生きることが成果として認められるのか

私はつい、日々、生きる時には何かしらの成果を出すべきだと思ってしまう。
いったいなぜなんだろう。

そんなにせかせかと生きるような人間ではなかったはずなのよね。
沢山もがいて、成果を求めるようになったところで、結局見えるのは何?と考えてしまう。

結局は自己満足、そもそも生きること自体が自己満足、私自身は両親の自己満足で生まれてきただけの生き物なのだから、私は、私が満足する生き方ができれば、それで十分なんだろうな。

上記の「成果」ということについて、私は何に対しての「成果」を求めていたのだろう。
もしそれが、私が満足するという視点での「成果」なのであれば、それは私が成果として認めるかどうかが焦点なのであって、そう考えると私の価値観というところを考えないといけないんだろうなぁ。

価値観なんてふとした瞬間に180度変わることだってあり得るのだから、たいして当てにならないものだとしても、

だとしても、それを何かの拠り所として持っておくことは、人生を順当に生きるためには、正解なのかもしれないなぁ、なんて。