今日は10km走った。
風が強く、向かい風の時は前進するのがキツく、被っていた帽子の鍔が上にめくれ上がるほど。
向かい風があまりにも強かったので5kmで終わりにしようかと途中引き返すことも考えたけれど、なんとか予定通り走り切ることができた。
走り切ると言っても、途中信号待ちで休憩したりしたので、実質10kmを休みなく走るというところまでは到達できなかった。
年が明けてから心機一転、走ることを趣味の一つに据えて過ごしている。
去年は数カ月に1度走るかどうかくらいだったので、1月に入ってからすでに5回走っているという実績は、自分に自信が持てるような感覚を得ることができた。
私にとって、過去、10kmだけでなくフルマラソンを経験しているというのは強い。
全くゼロ経験の人と比べると、恵まれている気がする。
身体が、筋肉が、走ることを覚えているから。
そういうことって覚えてるんだよな、みたいなことを考えながら走った。
いや、走りながらなにか考え事をしていたかというと、そんなことはなかった。
走り出してから1kmくらいで今日のペースを掴んだら、思考はそこで置き去りにしていた。
プン、と昔のブラウン管テレビを消した時のような音が頭の中で響き、そこからは信号で止まるかとか、ペースとか、息切れとか、走るルートとか、そういうものだけを考えるようになった。
いつもこうだ。常日頃走っていた頃も同じで、何も考えることなく、淡々と走る生き物になった。
何も考えていないというのは、生き物として、人間としてそこに在るのだろうか。
今日は繁華街の一部を走ったので、その間はすれ違う人の目に私は映っただろう。
だけど実際の私は、上述したようなことしか考えていなかったので、そこには確かに在ったけれど、考える生き物としてはイエスとは言えなかったような気がする。
いや、無理に、なにかを考える必要なんてないのだろう。
そもそも私は「走る」というイベントを体験しているだけで、それに没頭しているから、走ること以外のことは考える必要なんてなかったのかもしれない。
他になにか考えるというのは、言わば雑念のようなもので、走ることを邪魔すると言っても過言ではない。
おそらく、無理になにかを考えるべきということが、間違っていたのだと思う。
それにしても走り終わった後に得られる爽快感の強さ。
そのために走っているわ、といつも思う。
代替できることってあるのだろうか。昨今のサウナブームで、整う、って言い方をする人がいるけれど、それに近いのかもしれない。
サウナを趣味にしてみる?いや、時間が足りなすぎる。