私は登場人物に会いに行っている

山本周五郎の、樅ノ木は残ったを読んでいる。
最初はとっつきにくいな、と思った。登場人物があまりにも多く、時代小説ならではの名前が長いことや、なんとなくぼんやり似ていることなど、きちんと覚えなくてはいけないところが辛い。
だけどそれを乗り越えたら、山本周五郎ならではの人情をちょこっと擽るストーリー展開、心情の揺れ動きがめちゃめちゃ楽しめる作品だった。だった、と言ってもまだ全4巻中の2巻目に入ったところだけど。

小説を描く時の要素として、私は「ストーリー展開の上手さ」と「キャラクターの際立たせ方」の2つが重要と思う。
山本周五郎はさぶ以降2作目(たぶん)で、さぶもそうだし人物の際立たせ方がとても秀逸である。ストーリーの中で、ヤマ場での立ち回り方だけではなく、そのヤマ場へ至るまでの行動、心情、それらを上手に操らないと話がまとまらない。ストーリーだけ上手に展開していったとしても、キャラクターの個性が読者にぼんやりとしか伝わらないのだとすると、それは正解ではない作り方なのだろう。

私はストーリー展開よりも、キャラクターの際立たせ方を重視している。
強烈な個性を持つ必要はなくて、どこにでもいるような人を登場させても良いだろう。
シンプルにキャラクターを作り、その個性、派手さは特段いらないような個性を、きちんと読者に説明できれば良いのだと思う。
辻村深月のゼロ、ハチ、ゼロ、ナナのように、登場人物の外見的な特徴を一切排除し、読者に委ねるという手法もなかなか、思いつかないけれどそういう書き方もあるのだね、と思ったことがあった。
他、私の好きな伊坂幸太郎、西加奈子それぞれ、ストーリー展開もすごいしキャラクター作りもすごい。
例えば伊坂幸太郎の砂漠のように、本当に、どこにでもいるような大学生を主人公に据えて描かれている。主人公の個性はどちらかというと薄く、だけど周りにいる人はそれぞれ何かしら特徴的な個性を持っていて(それがまた面白い)、上手いなぁ、と感嘆することばかり。
驚くような個性を持たせる必要はないのかもしれない。だけどそれって読者にしてみると「近くにいそうな人」という、現実の延長線上にいるような人を描くことになる。読者の思いとしては、現実離れした世界の話を読みたいという人もいるだろうから、好みは様々なんだろうな、と思ったりもする。

では、個性はどこに出てくるのだろう。
上にもちょっと書いたけど行動、心情それぞれの描写の中に、個性が滲み出てくることが多い。
家の鍵はいつもジーンズの右ポケットに入れる、とか、ハンカチは忘れないように育ってきたとか、そういう小さなところから個性って出てくるんだよな。

冒頭に書いた山本周五郎など、気が向いた時に青空文庫で本を読んでいるけれど、キャラ立ちについては昔も今も変わらないよなと思う。
これからすげー勢いのパラダイムシフトが起こらない限り、きっと、ずっと変わっていかないのだろう。