コントロールできるのは現在だけ

今日はマルクス・アウレリウスの自省録から、ブログのネタになるようなものを探してみます。
Wikipedia調べですが、彼はローマ皇帝だったんですね。第16代のローマ皇帝だとか。Wikipediaはそれだけで一つの本になるくらい大量に、マルクス・アウレリウスについて述べられています。書いた人すごい。
彼は多くの戦いを指揮したんですが、彼の内面での振り返り、今で言う自省というものがその言葉そのまま、本になって、数千年経ったあとまで受け継がれているってのはなかなかすごいことです。
そういう、根本みたいなものは数千年経とうが、変わりはないということでしょうか。
平たく言うと「生き方」に関する本は千差万別、今の時代にも「自己啓発」というジャンルで多くの本が出版されているものの、上述の通り根本となっているものは何も変わらないのかもしれません。

コントロールできるのは現在だけだ
私は、小さな肉体と魂で成り立っている。この小さな肉体にとっては、あらゆることは無意味だ。というのは、肉体そのものは違いを認識できないからだ。
だが、精神にとっては、精神にかかわる活動だけが意味をもつ。それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。
そして、現在にかんすることだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。
マルクス・アウレリウス 自省録 6-32より

ぱっと見、よく分からない感じで書いてあります。私にこれを解読できるのでしょうか。難しい。

小さな肉体と魂で成り立っている。

これは分かりますね。いわゆる、フィジカルとメンタルってやつでしょうか。その、フィジカルの方については、違いを認識できないから、あらゆることが無意味だと?「違い」というのは、いったい何を指しているのでしょうか。ここまで読んでも、ちょっと意味がわかりません。

精神にかかわる活動だけが意味を持つ。

次の行を読んでみて、うーん、と唸る自分がいます。精神にかかわる活動、というのは例えば、考えること、とか?「精神にかかわる活動」とは、考えるとか、思うとか、そういう意識的な一面だけではなく、無意識なものも含むんでしょうかね。

それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。

精神にかかわる活動とはいったい、どんなことを指しているのかをはっきりさせないと、先に進めない気がします。私が決めちゃっても良いんだろうか。いいんだと思う。ので、ここでは、精神にかかわる活動=考えること、としたいと思います。精神にコントロールされている、それがどんな時も。私が今、このブログを上梓しようとしているために、文章を考えていること。それは、精神にコントロールされているのだと。当然のことのように思います。精神にコントロールされていない行動ってあるんでしょうか。「自分の体が言う事を効かない!」なんて、まるで映画のワンシーンのようですが、例えば大量にお酒を飲んで酩酊状態になった時、まっすぐ歩くことができなかったりします。あれは精神で、言い換えると、例えば気合いでまっすぐ歩こう!と思ったとしても、決してまっすぐ歩くことができません。多分それは、人間がまっすぐ歩くために使う神経を、お酒によって上手に使えなくなってしまっているんでしょう。酩酊状態の時に、物事を考えようとしても、考えが散ってしまって全くうまく考えることができません。
うーん、こんなことを言いたかったんだろうかマルクス・アウレリウスは。なんか違う気がしますね。私は脱線してしまっているのではないかと思えてきます。

ちょっと先に進めてみます。わからないので。

そして、現在に関することだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。

これまたどこかで読んだことのあるような文章ですが。多くの自己啓発系の本で「今に集中しよう」みたいな謳い文句を見ますね。
精神でコントロールできるのは今だけ。確かにその通りです。過去や未来を精神でコントロールすることができないですからね。
例えば「あの日、あんなこと言うんじゃなかったー!」と後悔することがありますが、過去の、その時に、精神をコントロールして言動を訂正することなんていうのはできないから、過去を悔やみ、後悔するくらいなら今に集中しよう、ということでしょうか。
今、私が、後悔したとします。
後悔、ということを考えている、と。
後悔はいったい、何のためにしているのでしょうか。
健全な生き方をしている人間であれば、「もう2度と同じ後悔をしないようにするために、同じような状況になった時、自分はどう精神をコントロールすれば良いのか」と考えるはずです。
それが、今、このタイミングに集中して、より善く生きるために精神をコントロールしよう、ということなのかなぁ。

わかったような、わかってないような

いや、こんな結論になるとは、この章を選んだ時点でわかっていました。以前、同じような題材を自省録から引用して、ブログにしたことがありますが、その時もやはり、同じようなことを考えたことを覚えています。大切なことなんだよなぁ、今を生きるという考え方。