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  • 7月30日 徒然なるままに

    7月30日 徒然なるままに

    今日も走った

    7時台に起床。今日もつくばに出社。
    通勤電車が快適ってだけで出社する気持ちが湧いてくる。
    昨日一昨日あたりの日記にも書いたかもしれないけれど、私はほんとに朝の通勤電車が嫌いなんだなぁと感じる。

    私は一体、朝の通勤電車の何が嫌いなんだろうか。
    まず、他の人に気を使うのが疲れる。体は触れたくないし、女性が近くにいたら男性以上に体やバッグが触れないように気をしないといけないし、本を読むのも辛いくらい人がいっぱいだと、本当に疲れる。
    出社する前から疲れるってどういうことだよ、と。

    だから、つくばへの出社は本当に気持ちが良い。まず、人に接触するというほどに混んでいない。ツいていたら座れるくらい。電車に乗っている時間も、自宅から虎の門に向かう時間の半分くらいだし。すごいよ。これなら在宅勤務じゃなくても良いかなって思っちゃう。

    9時前に出社し、18時まで集中して仕事。あっという間だった。たくさん仕事をこなしたなぁって感覚で退勤。

    ゾーンに入る、というと言い過ぎだと思うけど、たまに、時間を忘れて仕事に没頭する時がある。何がきっかけかはよく分からない。なんとなく感じるのは、自分の中で、仕事の具体的なアクションとか、ゴールが明確になっている時かな、ということ。

    逆に言うとふわふわした仕事、探りながら前に進んでいくような仕事は好きではないのかもしれない。仕事って全部が全部、取り掛かる前からきちんとゴールが示されているようなものだけではない。むしろ分からない方が多いように感じる。だから、ちょっと走って現在地点を確認、ゴールが見えるか探ってみてまたちょっと走る、みたいな、それこそマラソンみたいなやり方も必要だったりするよね。前が見えない状態で走ることができるかどうか、これって仕事をする上で、一つの才能だと思う。

    で、帰宅後、ランニング。5km。外ラン。気温は29度。ゲリラ豪雨明けの湿度MAX状態。めっちゃ大変だった。フルマラソンを走ってた頃はキロ5分20とかで走れていたんだけど、今日は暑すぎて7分を切ることができないくらい。こういう日に限って信号待ちできないくらい調子良いんだよな。赤信号にならず。結構な住宅街を走ったんだけどね。

    しかし走っていくとわかるんだけど、あっつい、もわっとした空気を感じるところと、ほんの少しだけ気温が低い空気が流れるところがあるんだよな。あれってなんなんだろう。空気というか気温って、基本的に均一だと思ってたんだけど、そんなことはないんだな。住宅街を走っていたから、建物から出る熱ということかもしれないけれど。よく分からない。最初は不思議に思って、建物を見てみたりしたんだけど、室外機が歩道の方にあるわけでもないし、昼間の熱?を吸った建物から出たりしてるのかなー、とか考えているうちに5km。最後の1kmは本当に辛かった。Apple Watchの距離のところを100m毎に見るくらいの頻度。そしてラスト50mくらいのところで、歩道の青信号が点滅したので、そこで止まることも考えたんだけど、50mをダッシュに近いくらいのスピードで駆け抜けた。トレッドミルでいう12.5km/hくらいのスピード。

    あと、アームバンドをつけて走りたいと常々考えていて、Amazonで安い割に評価が高いものが売っていたのでそれを購入して、それをつけて初めて走ってみたんだけど、走り始めてから2km超えたくらいで妙に肩が凝るようになって。きっとアームバンドのせい。あとはペースが非常にゆっくりだったので、いつもみたいなフォームで走ることができず、首が前に出がちだったのかな、とか考えた。次回からは腰につけるバッグに戻そうと思う。

    腰につけるバッグから、アームバンドになぜ変えたのかというと、腰につけるバッグはかなり年代物で、時代としてはiPhone 7とかそのくらいだったような。つまり、今の標準的なiPhoneのサイズよりも、ポケットが小さくて、私の今使っているiPhoneを入れると、ファスナーが全部閉まらない状態。ま、新しいの買いなさいよって話ではあるんだけど。そっか、新しいの買っても良いかもなぁ。それで快適に走れるんなら安い買い物でしょ。

    あと、ランニングしてシャワーを浴びたあと、鼻の頭が猛烈に痒い。そして鼻水も出る。もう花粉の時期って終わってなかったっけか。花粉症の薬が欲しい。

  • コントロールできるのは現在だけ

    コントロールできるのは現在だけ

    今日はマルクス・アウレリウスの自省録から、ブログのネタになるようなものを探してみます。
    Wikipedia調べですが、彼はローマ皇帝だったんですね。第16代のローマ皇帝だとか。Wikipediaはそれだけで一つの本になるくらい大量に、マルクス・アウレリウスについて述べられています。書いた人すごい。
    彼は多くの戦いを指揮したんですが、彼の内面での振り返り、今で言う自省というものがその言葉そのまま、本になって、数千年経ったあとまで受け継がれているってのはなかなかすごいことです。
    そういう、根本みたいなものは数千年経とうが、変わりはないということでしょうか。
    平たく言うと「生き方」に関する本は千差万別、今の時代にも「自己啓発」というジャンルで多くの本が出版されているものの、上述の通り根本となっているものは何も変わらないのかもしれません。

    コントロールできるのは現在だけだ
    私は、小さな肉体と魂で成り立っている。この小さな肉体にとっては、あらゆることは無意味だ。というのは、肉体そのものは違いを認識できないからだ。
    だが、精神にとっては、精神にかかわる活動だけが意味をもつ。それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。
    そして、現在にかんすることだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。
    マルクス・アウレリウス 自省録 6-32より

    ぱっと見、よく分からない感じで書いてあります。私にこれを解読できるのでしょうか。難しい。

    小さな肉体と魂で成り立っている。

    これは分かりますね。いわゆる、フィジカルとメンタルってやつでしょうか。その、フィジカルの方については、違いを認識できないから、あらゆることが無意味だと?「違い」というのは、いったい何を指しているのでしょうか。ここまで読んでも、ちょっと意味がわかりません。

    精神にかかわる活動だけが意味を持つ。

    次の行を読んでみて、うーん、と唸る自分がいます。精神にかかわる活動、というのは例えば、考えること、とか?「精神にかかわる活動」とは、考えるとか、思うとか、そういう意識的な一面だけではなく、無意識なものも含むんでしょうかね。

    それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。

    精神にかかわる活動とはいったい、どんなことを指しているのかをはっきりさせないと、先に進めない気がします。私が決めちゃっても良いんだろうか。いいんだと思う。ので、ここでは、精神にかかわる活動=考えること、としたいと思います。精神にコントロールされている、それがどんな時も。私が今、このブログを上梓しようとしているために、文章を考えていること。それは、精神にコントロールされているのだと。当然のことのように思います。精神にコントロールされていない行動ってあるんでしょうか。「自分の体が言う事を効かない!」なんて、まるで映画のワンシーンのようですが、例えば大量にお酒を飲んで酩酊状態になった時、まっすぐ歩くことができなかったりします。あれは精神で、言い換えると、例えば気合いでまっすぐ歩こう!と思ったとしても、決してまっすぐ歩くことができません。多分それは、人間がまっすぐ歩くために使う神経を、お酒によって上手に使えなくなってしまっているんでしょう。酩酊状態の時に、物事を考えようとしても、考えが散ってしまって全くうまく考えることができません。
    うーん、こんなことを言いたかったんだろうかマルクス・アウレリウスは。なんか違う気がしますね。私は脱線してしまっているのではないかと思えてきます。

    ちょっと先に進めてみます。わからないので。

    そして、現在に関することだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。

    これまたどこかで読んだことのあるような文章ですが。多くの自己啓発系の本で「今に集中しよう」みたいな謳い文句を見ますね。
    精神でコントロールできるのは今だけ。確かにその通りです。過去や未来を精神でコントロールすることができないですからね。
    例えば「あの日、あんなこと言うんじゃなかったー!」と後悔することがありますが、過去の、その時に、精神をコントロールして言動を訂正することなんていうのはできないから、過去を悔やみ、後悔するくらいなら今に集中しよう、ということでしょうか。
    今、私が、後悔したとします。
    後悔、ということを考えている、と。
    後悔はいったい、何のためにしているのでしょうか。
    健全な生き方をしている人間であれば、「もう2度と同じ後悔をしないようにするために、同じような状況になった時、自分はどう精神をコントロールすれば良いのか」と考えるはずです。
    それが、今、このタイミングに集中して、より善く生きるために精神をコントロールしよう、ということなのかなぁ。

    わかったような、わかってないような

    いや、こんな結論になるとは、この章を選んだ時点でわかっていました。以前、同じような題材を自省録から引用して、ブログにしたことがありますが、その時もやはり、同じようなことを考えたことを覚えています。大切なことなんだよなぁ、今を生きるという考え方。

  • 8月30日 そういう日もある

    8月30日 そういう日もある

    そういう日もある。
    自分に何かを諦めさせようとするこの言葉。
    この言葉は不思議な魔力を持っていて、それは言霊とも言えるのかもしれないけれど、そういう日もある、と自分に言い聞かせることで、私が今日やってきたことであまり上手くいかなかったことがあったとしても、それを水に流してしまおうという魂胆なのだ。

    私は常日頃から考えていることがある。それは、自分の中で障害となっている物事に立ち向かう必要がある場合、ある程度のパワーを必要とするが、それに打ち克つには大量のパワーが必要だということ。そのパワーを充電する余地がある際、何日もの日々をやり過ごし、パワーがみなぎるのを待つ。その際、私は気が弱いところがあり、待ちきれずにその障害のことを案じて不安になり、パワーがみなぎる前にそれを諦めてしまったりすることがある。
    気が熟す、と昔から言われている言葉を信じ、それを待つということも自分の仕事(仕事というのは給料をもらうための仕事ではなく、人生を賭けた仕事のほうの意味)なのだろう。だけどそれを待つことができない。もしかすると私はせっかちなのかもしれない。そういう時にこそ、「そういう日もある」と自分に言い聞かせることが肝要なのではないだろうか。
    また、障害に真っ向から向かうのではなくどこかを迂回して進むなどの戦略を考えることも必要だったりする。ただ真っ向から勝負し成功するのは、よほど自分に自信がある時のみだけだろう。その、対症療法ともいえる戦略を駆使し、障害を少しずつ削っていくことで、だんだんと小さくなっていき、気づいたらひょいっと乗り越えることだってできるかもしれないのだ。
    そう考えると、戦略というのは非常に重要で、特に今の自分の実力では到底敵わないような物事に対して綿密な戦略を考え、それを粛々と実行し、やがて打ち克つことができるだろう。

    戦略と聞くと、例えば国同士が戦うレベルでの戦争や、スポーツの世界で良く言われることのように思うが、実は自分が挑もうとする課題に対しても有効なのだ。こんなに身近に、戦略を立てることの重要さがあるとは。この投稿を執筆する中で気付けて良かった。

  • 9月30日 iPhone SE第2世代をiOS17に上げるのは気をつけたほうが良い

    iPhone SE 第2世代をiOS17にアップグレードしてから、めちゃくちゃ動きが悪い。
    バックアップしておけばよかったー!と幾度となく叫んだ(心の中で)。
    そんなことをいくら悔やんでもしょうがない。前を向くしかない。

    そうは言っても最近はそこまでスマホに執着しておらず、強いて言えば買い物時に使うポイントカードやQA決済系のアプリの起動がめちゃくしゃ遅いので、そこで店員さんに申し訳ないなぁと思うくらいである。
    あらかじめ準備しておけば良いんだけど、例えばららぽーとの無印良品で、QA決済を利用する時にめちゃくちゃ困る。
    ららぽーとのアプリを起動し、時間をかけてアプリ会員のQAコードを表示、その後に無印良品のアプリ、そして最後にQA決済アプリを起動する、という流れ。これがめちゃくちゃ時間がかかる。
    これをまともにやろうとすると、レジはきっと長蛇の列になるだろう。
    後ろからのプレッシャーを感じながらいちいち開くのは、小心者の私としては非常に心苦しい。

    ということで今、バックアップを取り、ダメ元でiPhoneを工場出荷状態に戻そうとしている。
    吉と出るか、凶と出るか。
    結果は明日、綴ってみたい。

  • 8月30日 だからこそ私は、自分の味方になってあげるべきなのでは

    8月30日 だからこそ私は、自分の味方になってあげるべきなのでは

    今日は疲れた。特に夕方の会議。
    司会を担当したんだけど思うように議論が続かず、コントロールできない展開。
    茶を濁して終わったのだけれど、まさかの延長戦。これがまた疲れた。
    議論はミーティング中に行いましょうよ、と思う一方で、時間配分とかをうまくコントロールできなかったという点で責任を感じてしまう。

    まぁそんなことなんていつものことだからね。別にうまくミーティングを回せなかったからって、自分の首が飛ぶわけではないのだから、
    と自分を宥めすかす。

    「こうしよう、こうなりたい」と自分が思いを持つことは大切なことだ。
    人間は成長する生き物だから、すいう思いをベースに、それに到達できるように努力していくんだろう。
    だけどそれに苦しめられてしまったら本末転倒だなと思う。
    自分は成長したいのだけれど、途中で躓いてしまった時に、そっと背中を押してまた立ち上がれるようにしてあげることも、成長と同じくらいの温度感で持つべきではないだろうか。
    このご時世、周りは人を叩くことで躍起になっている人が多い。
    つまり敵が多いってことなんだろうけど、だからこそ私は、自分の味方になってあげるべきなのでは。

  • 7月30日 成長することについて

    7月30日 成長することについて

    今日は暑かった。今日も暑かった。
    日曜日ということで、明日からまた始まる1週間に向けて英気を養うべく、少しだけ行動して、だいぶ休んだりした。

    今日はカレーを作った。
    ナスとピーマン、そして玉ねぎのカレー。
    夏野菜が安い時期なので、そっち方面のカレーにした。
    いつもじゃがいもとにんじんみたいな根菜ばっかりのカレーなので、たまに趣向を変えてみるのも良いものだ。

    人間ってマンネリが嫌いだからね。
    マンネリが嫌いなのはなぜなんだろう。
    ベランダにいるメダカはほぼずーっと餌を求めて泳ぎ続けている。
    たまに疲れちゃったりしないのかなとか思ったりするけれど、彼らの体がそういうふうにできているんだろう。
    話が脱線してしまった。

    マンネリが嫌いなのは、人間は成長する生き物だからだ、と考えたことがあった。
    だけどそれは意識の高い考え方なんだと思う。
    この世に生きている人間全てが、成長したいと考えているだろうか。
    成長したい、と考えていながら、本は読まず、余暇はスマホゲームに勤しみ、お腹が空いたら菓子パンを食べる人が、成長していると言えるのだろうか。
    多分、考えすぎなんだと思う。
    生きてるだけで丸儲け、と誰かが言っていた。
    成長するには、身体的欲求が満たされていなければいけない。
    満腹で、睡眠もバッチリ取れている快活な人が、成長に向けて新たな芽を伸ばしていけるのではないだろうか。
    私はどうなんだろう。

  • 6月30日 潜在意識を変えていけ

    6月30日 潜在意識を変えていけ

    Kindleで、「あなたはあなたが使っている言葉でできている」という本を読んでいる。
    海外?ではベストセラーとかで、書いてあることは割と松岡修造さんに近しいところがあるように思えた。

    自分の意思は、無意識下にある自分の潜在意識からできているとか。
    今の私が太っているのは、そのあたりにある自分の潜在意識からそうなった訳で、とても耳の痛い話がつらつらっと書いてあった。
    私は、太っていくことを自覚しながら、暴飲暴食を繰り返していたのだな、と。それが私の全てなのだから、まずはそこを肯定せねばなるまい。
    もし私が痩せたいと思うなら、本気でそう思ってるんなら、そのための行動を起こせ、と。
    今の自分は過去の自分が繰り返し行ってきた行動によって作られたのだから、数ヶ月後に理想となる身体を描くのであれば、そこに向かって直向きに走れ、と。

    と、言葉で言うのは簡単なんだよね。
    で、そこで私がいつもだらけてしまうのも、私の培ってきた個性みたいなものだから、それを認めてだらけるようになってしまうのか、ここで一発奮起して痩せるために本気を出すのか、それは自分次第。
    私は自分の理想となる体型を目指すつもりだ、と心に誓うことで、潜在意識までその方向に靡くようになるのだな。
    明日から本気出す、と冗談のように言っているけれど、少なからず痩せたいと思っている私を蔑ろにはできないわけで、その自分と寄り添うには辛くても頑張るという気持ちが大切なんだろう。

    あと1ヶ月くらいで健康診断がやってくるので、それまでには60kg台になっておきたいと思っている。
    今は74kgなので、あと5kg。あと5kg痩せるために、私は潜在意識にまでそのことを知らしめ、とりあえず健康診断をB判定でクリアし、その先には標準体重の65kgまでもっていきたい所存。
    ここで、「できるかどうかは分からないけどね」と自分にエクスキューズ、逃げ道を与えてしまいたくなる自分がいるけれど、そんな自分にはさよならを告げたい。

  • 5月30日 仕事の話

    5月30日 仕事の話

    やっと火曜日が終わる。
    この頃になってくると、ようやく1週間が始まった感覚を持つ。
    月曜日はどうしても力が入らず、惰性で、実際には月曜から金曜まで惰性で暮らすのかもしれないが、なんとなくそんな感覚。
    今週は何をしよう、と思う。仕事のこと。
    私の仕事は長い目で見るものなので、1週間の中で物事が完結するということは少ない。
    だからこそ、今週金曜で終わらせようみたいなものは持っていないのかもしれない。

    今は、会社としての品質計画書をどのように捉えるかということに注力している。
    品質って難しい。
    そればかり優先すると納期が遅れ、コストは嵩み、結果として品質は良かったけれど失敗したプロジェクトになってしまう。
    予算が強いのかもしれないなぁ、と思い無駄なコストを削減しようとすると、それは実際は無駄ではなくて、市場に出しても良いと思われる品質まで高めようとチャレンジしたものであり、そうなると、本当は必要だったコストということになってしまう。

    また、品質って難しくて、市場に出てから、つまり一般ユーザーの手に渡ってから何も障害がないとしよう。
    すると、このプロジェクトでやってきた品質目標は過剰だったのではないか、という人が出てくる。
    だけどどの程度まで品質を高めれば良いのかって誰もわからなくて、神様ですらも分からないから、予算の許す限り品質向上活動に時間を割く人たちの要員を割いて、頑張って最良の品質を作り出そうとする。
    最良の品質っていうのもなかなか難しくて、市場で不具合が出てないから良い、だけど不具合が出ないギリギリのラインで品質を止めようとしても、その目安がわからないのだ。
    そう考えると、もしかすると、市場には多少の不具合が出ても良いのかもしれない。
    不具合は出るけれど、お客さんにとって致命的な不具合、命を脅かすだとか、お金が理不尽な形で減ってしまうだとか、そういうところにまで至らなければ良いのではないだろうか。
    暴論だと思う。
    けれど、会社のオプショナルな対応で完結できるのであれば、自社以外は誰にも迷惑がかかっていないのだから、良いのではないか、と。
    暴論だよね、わかってる。けどこれを論破できるロジックは、今の私には思いつかないのであったりする。

  • 4月30日 愛とは、雨の中を一緒に歩くこと

    4月30日 愛とは、雨の中を一緒に歩くこと

    午後から雨。
    穀雨とも言うべきか、静かに、さらさらと降る雨の午後。

    ネタが思い浮かばないので、ピーナッツから名言を拝借。

    Love is walking in the rain together.
    愛とは雨の中を一緒に歩くこと。

    Peanuts

    愛とは、そもそもなんだろう。
    愛とは、見返りを求めずに情を注ぐこと、と考える。
    見返りとは。損得を考えずに、自分の力を注ぐこと。
    自分の力を、ただその人のために注ぐ。
    自分のプラスになるかどうかも分からないのに。
    そんなことって、あり得るんだろうか。

    子供のことを考える。
    子供が雨に濡れないように、そっと傘をさしてあげる。
    自分は濡れても良いけど、子供には雨がかからないようにさす。
    生存本能に従って生きれば、自分は風邪をひかないように、傘を自分にさすはず。
    だけど、子供のために、もしくは恋人のために自分の傘を差し出す、と。

    雨の中を一緒に歩くのであれば、目的地まであとどのくらいか自分で把握しているだろう。
    雨=苦難と考えると、その苦難を一緒に乗り越える存在が、愛を共有すべき存在なのかと。

    なるべく多くの人に、そんな愛を注ぎたいよなと思う。
    家族はもちろんだけれど、自分に余力があれば、その余力をどう定義するかにもよるけれども、なるべく、博愛の精神で生きていきたい。

  • 3月30日 プライドについて考えてみた

    3月30日 プライドについて考えてみた

    プライドが高い人ほど、偏見を持ちやすいように思う。
    自分の中で固まった固定観念があり、それをベースにして物事を考えることが多いと思うから。

    プライドって邪魔なものだろうか。
    誰にでも分け隔てなく接し、自分よりも相手を立てる人がいる。
    そんな人の周りには人が集まってくるし、信頼されていることが多い。

    私はそんな人に憧れている。

    そんな人の、プライドについてちょっと考えてみた。
    彼らにもプライドはあるはずなのだ。
    プライドを持つことによって自己肯定感が生まれるから。
    自信を持つことにもつながるような気がする。

    うーん。

    私の中で考えがあんままとまってない感じがする。ハードルを一段下げて物事を考えてみたい。

    このブログを書くに当たり、当初「プライド=悪」という構図を考えた。
    その等号は、プライドを持つと他人の意見を聞き入れる時に、偏見を持って聞いてしまうから、という理由を考えた。
    だけど、プライドを持ちながらも、人の意見をきちんと聞くことができる人だっている。少数派かもしれないけど。
    また、プライドを持つことで自分に自信が生まれる。
    私はここで生きてっていいんだ、働いてっていいんだという自信は、自分の存在意義を明確にする。
    これって結構重要なことで、自己肯定感の低い人、自分に自信が持てない人は、その先に「生きづらい世の中」が待っている。
    そう考えると、プライドって別に悪そのものではないよな。自分を支えてくれる味方のようなものだから。

    いや、別に否定するつもりはないんだよな。
    上述した通り、私はそんな人に憧れているのだから、なるべく自分の意見を持たずにニュートラルな視点で他人の話を聞こうとしていて、けどそれが仇となって自分に自信がないように感じているので、プライド、自信を持つ、ということと、プライドを前面に出さずに周りの話を偏見を持たずに聞くことのどっちを優先するかということなんだと思う。

    プライドを持ちつつ、なるべく偏見を持たずに暮らすというのが、今の自分の最適解なのかもしれない。