8月29日 失敗から学ぶこと

ベランダでタバコを吸っていると、急に猛烈な雨が降ってきた。
それはまるでお盆をひっくり返したかのような勢いで、私は驚き、ただ呆然と空を眺めることしかできなかった。
自然の脅威。言葉で表すといかにも安っぽい印象のあるそれは、今まで幾度となく人間を恐怖のどん底に陥れてきた。今、日本で暮らしている人の大半の脳裏に焼き付いているのはやはり、宮城県沖で起きた2011年の大地震だろう。あの頃を思い出すと、日本はこの先どうなってしまうのかという不安に苛まれていた日々を送っていたように覚えている。私は仕事先のオフィスから自宅まで数時間かけ、徒歩で帰宅した。
途中、大きな橋を渡る時、先が見通せる角度のところを垣間見ることができたのだが、まるで亡霊が三途の川を渡るように、皆一様に、前をぼんやりと眺めながら歩みを進めていた。
あれは地獄だったと言っても過言ではないかもしれない。事実、私よりも震災被害の多かった地域の人の中では、自分以外の家族がみんな行方不明になってしまい、途方にくれた人もいたであろう。家族と、さよならも言えずに永遠に引き裂かれる思い。その人の心境になって少し思いを巡らせてみようとしたけれど、今の私が、私の家族と離れ離れ、一生会えないということを考えただけで胸が苦しくなった。
そうやって考えることすらも地獄の一つなのかもしれない。
逆に、今ここに家族と一緒に過ごせていることが一つの奇跡で、幸せを体現しているようなものだから、それをきちんと噛み締めて生きていくべきであろう。
そういう私ではあるが数年前、自ら命を殺めてしまいたいと思うことがあった。あれはどのような経緯でそう思い至ったのか、あまり詳しく覚えていないし、もしかすると思い出したくはない出来事なのかもしれないけれど、今考えると、その、一時の衝動みたいなもので自分の命を殺めることなくやり過ごせて良かったと思う。今の、私の家族を含めた、私を取り巻く環境がものすごく幸せで、それを噛み締めることができなかっただろうから。
と、今ではそう思うのだけれど、あの頃の自分のことを思うと、それが最善だったのかもな。それくらい私は追い詰められていて、大好きな家族に気を回すことなんてできていなかったかもしれないな。
そう考えると、人間が抱く気持ちにも天災のような出来事が意図せずやってくるのかもしれない。こっちは全くもって準備なんてしていないのだから、そいつがやってきたことで自分の気持ちをうまく整理、コントロールすることができず爆発し、自分の意識では取り返しのつかないような事態を招いてしまうのかもしれない。
それは、その時点で見てみると、決して良いことではないように思う。だけど人間はその出来事を生かし、成長していくではないか。
それが糧となり、同じような事態がやってきた時に、ものすごく高い防波堤を作ることで、その波を抑えることができるのではないだろうか。
なんでもかんでも物事をポジティブに捉えるのは個人的にはいただけないのだけれど、そうやって考えると、津波から学び、次からは失敗しないようにすることができるはずだ。人間だもの。