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  • SRV250 ルネッサの調子が悪い。またしても。

    SRV250 ルネッサの調子が悪い。またしても。

    ここのところ、何があるか分からないからという理由で遠出はしておらず、したとしても私の住む市内、つまり半径5kmくらいをうろちょろと走ることが多いのですが、走っている途中でバイクに異変が。

    • 低回転状態だとエンジンの回転が落ち、最悪エンストしてしまう(だから常にアクセルをすこーしだけ開けて待ってたりします、信号待ちとかで)
    • 多少回転が上がってくると気持ち良いくらい伸び上がり、エンストなどの問題はない
    • バッテリーは13vくらい
    • (上の問題とは関係ないかもだけど)セルモーターが回ってない感じがする。昨日軽くエンジンをかけようとしたらそんな感じに。

    意味が分からない

    良く、パスコンに関するスラングで「何もしてないのに壊れた」と言う発言がありますが、まさにその状態。直前までは気持ち良く走れてたんです。私は回転を上げたりせず、普通に低めの回転数で走るのですが、だからエンジンに無理をさせるということはしていないのです。
    強いて言えば、最近暑いから?とか、信号待ちが多くて暑い中アイドリングさせてるから?とか、そういうことは思い当たるのですが、果たしてそれが原因とはちょっと思えず。

    次に何をする?

    • とりあえず、バッテリーを充電します。これでセルモーターが回れば、新しいのと替えなくても良いかなと思ったり。ま、ヤフオク品質なので、新しいものに替えても良いのでしょうけど。
      替えてみるか。
    • エンジンの回転を上げるときちんと吹け上がるということから、もしかしてエアクリーナーが劣化してる?と思ったので、これは新しいものを買ってみようと思います。

    ご参考まで、買おうとしている商品リンク


    ヤマハ SRV250 ルネッサ 4DN 1992-1993 1996-1997 セルモーター スターター モーター 社外品 純正品番 4DN-81800-00 4DN-81800-10 4DN-81800-20 互換 パーツ

    NTB(エヌティービー) YA-1014 エアフィルター SRV250/ルネッサ バイク
  • 8月29日 失敗から学ぶこと

    8月29日 失敗から学ぶこと

    ベランダでタバコを吸っていると、急に猛烈な雨が降ってきた。
    それはまるでお盆をひっくり返したかのような勢いで、私は驚き、ただ呆然と空を眺めることしかできなかった。
    自然の脅威。言葉で表すといかにも安っぽい印象のあるそれは、今まで幾度となく人間を恐怖のどん底に陥れてきた。今、日本で暮らしている人の大半の脳裏に焼き付いているのはやはり、宮城県沖で起きた2011年の大地震だろう。あの頃を思い出すと、日本はこの先どうなってしまうのかという不安に苛まれていた日々を送っていたように覚えている。私は仕事先のオフィスから自宅まで数時間かけ、徒歩で帰宅した。
    途中、大きな橋を渡る時、先が見通せる角度のところを垣間見ることができたのだが、まるで亡霊が三途の川を渡るように、皆一様に、前をぼんやりと眺めながら歩みを進めていた。
    あれは地獄だったと言っても過言ではないかもしれない。事実、私よりも震災被害の多かった地域の人の中では、自分以外の家族がみんな行方不明になってしまい、途方にくれた人もいたであろう。家族と、さよならも言えずに永遠に引き裂かれる思い。その人の心境になって少し思いを巡らせてみようとしたけれど、今の私が、私の家族と離れ離れ、一生会えないということを考えただけで胸が苦しくなった。
    そうやって考えることすらも地獄の一つなのかもしれない。
    逆に、今ここに家族と一緒に過ごせていることが一つの奇跡で、幸せを体現しているようなものだから、それをきちんと噛み締めて生きていくべきであろう。
    そういう私ではあるが数年前、自ら命を殺めてしまいたいと思うことがあった。あれはどのような経緯でそう思い至ったのか、あまり詳しく覚えていないし、もしかすると思い出したくはない出来事なのかもしれないけれど、今考えると、その、一時の衝動みたいなもので自分の命を殺めることなくやり過ごせて良かったと思う。今の、私の家族を含めた、私を取り巻く環境がものすごく幸せで、それを噛み締めることができなかっただろうから。
    と、今ではそう思うのだけれど、あの頃の自分のことを思うと、それが最善だったのかもな。それくらい私は追い詰められていて、大好きな家族に気を回すことなんてできていなかったかもしれないな。
    そう考えると、人間が抱く気持ちにも天災のような出来事が意図せずやってくるのかもしれない。こっちは全くもって準備なんてしていないのだから、そいつがやってきたことで自分の気持ちをうまく整理、コントロールすることができず爆発し、自分の意識では取り返しのつかないような事態を招いてしまうのかもしれない。
    それは、その時点で見てみると、決して良いことではないように思う。だけど人間はその出来事を生かし、成長していくではないか。
    それが糧となり、同じような事態がやってきた時に、ものすごく高い防波堤を作ることで、その波を抑えることができるのではないだろうか。
    なんでもかんでも物事をポジティブに捉えるのは個人的にはいただけないのだけれど、そうやって考えると、津波から学び、次からは失敗しないようにすることができるはずだ。人間だもの。

  • 8月29日 信念と社会と私

    8月29日 信念と社会と私

    何年かぶりにジョージ・ウォーエルの1984年を読んでいます。
    前に読んだのは何年前だったか。確かスティーブ・ジョブズがこの話を題材に出して喋っていたことがあり、それで気になって読んだんだよな。

    物語はものすごく閉塞感の溢れる世界の中で綴られています。
    未来なんてもんはねぇよ、そんなの気にした時点でお前は死刑だわ(誇張ではなく)みたいな話。
    どこの国の、なに党がそうさせてしまったのかは分からないけれど、きっとめちゃくちゃ強いボスの下にはイエスマンしかいなかったから、そういう世界になってしまったんではないかな、と勝手に想像する。そう言う背景は描かれていなかったので、勝手に想像しています。

    そんな中で主人公のウィンストンは、必死に自由だとか、正しい過去を信じようとするんですね。
    過去なんてものはいくらでも書き換えられるから、それこそ私がここで最近書いたように「事実は変わらない、解釈だけが変えられる」に少し近いんですが、この物語常では事実すらも変えられてしまうんですね。様々な文書が書き換えられてしまって、人々の中にあった記憶の中の過去は、もしかしたら間違えてるんじゃね?みたいなノリ。

    だけどウィンストンは、戦おうとします。こっそり日記を書くための手帳を買って、今自分が考えていることを書いたりしています。

    もう、これは信念だよな、と思いました。

    信念って難しいですね。言い換えると、自分だけが持ってる正論だと思うんですけども。
    正論は時として人を攻撃してしまいます。誰から見ても正しいと思える正論って実は少なくて、それこそ誰から見た正義だよ、って話にも近いんですけど、同じように、信念を貫こうとすると弊害が起きたりしてしまったり。
    そのうちに懐疑的になってしまって、私の持っていた信念って本当に正しいんでしょうか、って葛藤が生まれたりとかね。
    自分の信念を貫くっていうのは、ある種の自己満足だと思うんです。
    人間は自分のことがかわいいから、自分の信念は大切にしようと思うはず。
    だけど、そこで、「社会」というものとの兼ね合いが生まれてしまう。
    社会を立てようとすると、自分の信念を曲げなければいけない、と。
    どっちつかずなんですね。

    多分、その答えって、どうしたら自分が一番気持ち良いかって話なんだと思います。
    奉仕の精神って言っちゃうと言い過ぎかもしれないんですけど、人間は、社会生活において誰かに奉仕することで自己実現を得られたりするので、プラス承認欲求が満たされるっていうところも関係してて、だから自分が気持ち良いのはどっちだ、って胸に手を当てて考えてみると良いのかもしれません。
    その中で、少しだけ自我を通したいと思う人は自分の信念を貫こうとするし、逆の人は譲っちゃったりするんですよね。
    そうやって、社会って成り立ってるんじゃないかなぁ。

  • 7月29日 花火って、一瞬で出会いと別れを演出するんだよね

    7月29日 花火って、一瞬で出会いと別れを演出するんだよね

    近くで花火の上がる音がしていて、ベランダに出てみると二箇所から花火が上がっているのが見えた。
    一つは超有名なところで、もう一つはどこだろう、ちょっとわからない、と思ってGoogle mapで方角を見てみたら、埼玉県のあたりかな、というところまではわかった。

    花火に少し、思いを寄せてみる。
    大きな音と共に魅せる、一瞬の鮮やかな輝き。
    そのために何週間もかけて準備してきたんだろうな、と花火師の苦労なども考えてしまう。
    一瞬で消えるものに、なぜそんなに魅了されるのだろう。
    それは一瞬で消えるから良いのだろう。
    昨日書いた、別れについて、というところと少し近しい感覚。
    花火は一瞬で出会いと別れを演出するんだよね。
    その両方を体感することができるから、そしてそれを大切にしようという思いを持つ人が多いから、花火大会っていう規模で行われるのかもしれない。

    真っ暗な空に舞い上がる、大輪の花。
    時間の尊さ。一瞬で過ぎ去る刹那。記憶に留めておこうと思うけれど、いつもぼんやりとしか残らない不思議。むしろ露天商で買って食べた焼きそばや、ぬるい缶ビールの味の思い出の方が強い。

  • 6月29日 解釈について

    6月29日 解釈について

    ニーチェは、物事の解釈についていくつか言葉を残している。

    物事はいかようにも解釈できる。
    良い物事、悪い物事が初めからあるのではない。良いとするのも悪いとするのも、役立つとか役立たないとか、素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分なのだ。
    しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に自分を差し込むことになるのを知っておこう。つまり、解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ物事を見てしまうようになるのだ。
    つまり、解釈や、そこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。しかし、解釈せずには物事の始末がつけられない。ここに、人生を読み解いていくことのジレンマがある。

    ニーチェ たわむれ、たばかり、意趣ばらし

    どういうことだろう。
    私は今、44歳になるけれど、44歳の目線でしか解釈ができないということだろうか。
    確かに今からでは20代の気持ちを持ち、彼らの目線で解釈することはできない。
    例えば新宿の歌舞伎町は今治安があまり良くないと言われている。
    私としては、けしからん、彼らの両親はそのことをどう思ってるんだ、と思ってしまうけれど、「歌舞伎町は治安が悪い」というのは私の目線、参考にしているのはテレビのニュースだったりするけれど、その目線でしか物を語ることができない。
    実際に歌舞伎町に行ってみると治安が悪いというほどではないかもしれない。(治安の良し悪しについてもある程度の解釈が含まれるから、歩きタバコをしている人がいる!=治安が悪い!と思う人もいるかもしれない。正直なところ私は歩きタバコくらいは、いいんじゃないの、と思ったりしてしまう)

    ニーチェは、そこにジレンマがあると言う。
    私の解釈は、私の目線からでしか解釈できない。毎日のように歌舞伎町で飲み歩くような人生を送っていたら、違う解釈になるだろう。
    今の私の境遇だと、外野からニュースを見てる程度の知識量で歌舞伎町の治安を語るようなレベルだろうから、その程度の目線でしか解釈ができないということだ。

    喧嘩両成敗、という言葉がある。
    ある人から、例えば仕事の同僚からある人の愚痴を聞かされたとしよう。
    私はそう言う時、その人の話をよく聞いてしまい、その人の肩を持つようになるのだけれど、もしかすると愚痴の対象となっている人からの声を聞いてみないと、きちんと成敗することはできない。
    それも解釈の一つで、その諍いを公平な目で見るならば、両方から聞いてから成敗するのが適当なやり方だと思う。
    両方聞いてみると、最初に愚痴を聞いていた方が悪い、みたいなことだってたくさんあり得るだろうから。

    なるべく公平な目で、物事を見て解釈していきたいと思う。
    地球のどこかで今も起こっている諍いが、それぞれの頭で考えた解釈をベースに行なわれているはずで、蓋を開けてみたら、まぁ、お互いに悪いところあったよね、みたいなことだってあるんじゃないかなぁ。そんな簡単な話でないことはわかっているけれど。

  • 5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    案外生きてるな、と思う。
    会社にてカレンダーを見た時に、もう5月も終わりか!と思って、同じことを4月や3月でも感じていて、常にあっという間にすぎてしまうんだよな、そんな日々を過ごすことが、一歩一歩進むということが、人生なんだよな、と。

    あっという間に感じるのは、日々の思い出をあまり植え付けずに暮らしているからなのかな、と思って、とはいえここで毎日日記を書いてアップロードしているけれど、確かに、記憶に残らない日ってあるんだよな。
    そういう、細切れの人生があるからこそ、思い出が同封された、厚い日がやってくるわけで。相対的なもので、細切れの人生がなかったら、毎日思い出ばかりだったとしたら、多分、一個一個の思い出が薄まってしまうような気がする。
    そりゃあ、毎日が厚い日常に覆われていることの方が、良いのかもしれない。けどそれだけじゃないでしょ、なーんにもない日だって、立派な日常なはずだから。

    そんなこんなで、明日も生きていくことをここに誓う。
    思い出に染まらない日があったって、別に良いという想いを胸に秘めながら。

  • 4月29日 子供は大きくなっていく

    4月29日 子供は大きくなっていく

    今日は約1ヶ月ぶりに日立台で柏レイソルの試合を観戦した。
    対するは京都サンガFCというチーム。
    向こうは当たりの強い印象があるから、厳しい展開になるかなー、というような感覚で柏熱2階の指定席へ。

    子供二人と共に、自宅から自転車の旅。
    今日はめちゃめちゃ風が強くて、次男が自転車を漕ぐのが大変そうだった。
    だけど陽射しがあり、風は南風だったのかなぁ、なんとも心地良い気分で自転車に乗れた。
    長男は中学3年で、もうそろそろ受験に向けてエンジンをかけ始めていくので、3人で試合を観に来れるのもそんなにないんだろうなぁと思いつつ、子供二人が仲良く自転車に乗る姿を目に焼き付けた。
    一瞬一瞬が、今だけの特典なんだよね。
    ほんと、あっという間に大きくなっていくんだなー子供って。
    大きくなんてならなくていいのに。ずっと小さいままで、私の手のひらに載っててくれてもいいんだけどなぁ。
    という気持ちと、早く大きくなっていろんな体験をしてってもらいたいなぁと思う気持ちも半分くらい、いやそんなことないか、98%くらいはそっちの気分を抱く。
    20インチの自転車も、ほんともうそろそろ新しいの買った方が良いよね、というくらい小さくなってしまった。兄が乗っていたお下がりを、何の不満も抱かずに乗る次男。とても狂おしい。

    さて試合。
    あっという間に相手の23番に決められた。
    前半15分くらいだったかなぁ。
    え、って感じのミドルシュート。CBと SBの間を突かれ、ふわふわと浮かんできたボールが23番の足元に落ち、練習?ってくらいかるーく振り抜いた、軽やかな足。ゴールの左隅に決まる。
    おいおいーって気分を抱き、あまり多くのチャンスシーンがないまま前半が終わる。

    試合開始直後、とても綺麗な飛行機雲。
    どこへ行くのだろう。綺麗な線を描き、北の方へ飛んでいった。

    試合中に見た飛行機雲

    後半に入り、徐々にレイソルの熱が上がっていった。
    そして、念願のゴール。ゴール間際でもつれたところをサヴィオがスパッと撃ち抜いた。
    歓声に包まれるゴール裏。私も思わず、言葉にならない声をあげる。
    うおおー!うわーー!って感じ。前に座っていた、知らないおじさんとハイタッチ。
    嬉しかったなぁー。あの瞬間があるから、試合を観に来てよかったなぁーって感慨に耽る。

    だけど試合は、1−1のまま終了。
    途中、レイソルは4人くらい人を替え、そしてフォーメーションも変わり、果敢にゴールを狙ったけど、ネットを揺らすことはできなかった。
    くそー!悔しいー!って感覚。
    喉が痛い。

  • 3月29日

    3月29日

    好きなものに囲まれて暮らすことが、どんなに幸せなことかと。

    物欲って絶えないんだけど、ちょっと胸に手を当てて考えてみよう。
    今、自分が持っているもので十分なんじゃない?
    今あなたが持っているものを買った時の気持ちを思い出してみよう。
    それが手元に届いた時はどんなに嬉しかっただろうか。

    わかってる。この世界は物で溢れている。
    あなたの物欲をどうすれば刺激できるか、企業の人たちはものすごく考えている。
    あなたが買うことで、企業にお金が入り、また新しい物欲に向けて商品を作るのだから。

    それを企業努力と呼ぶのであれば、この世は余計なものまで努力が注ぎ込まれているような気がして仕方がない。

    だけど、だけどね。
    あなたが今持っているもの、それで十分満足なんじゃない?

  • 4月29日

    この時期にしてはだいぶ珍しく、すげー土砂降り。
    今年のGWは降ったり止んだりが続くようで、農作物がすくすくと育つような気がしています。

    今週はとにかく気を遣うことが多く、メンタルがだいぶ疲弊したせいで、昨夜の飲酒量が半端なかった。
    家で飲んだから、帰路で路頭に迷うということはなかったのだけれど。

    路頭に迷う。

    不惑、ということばがあるけれど、自分の道をきちんと定め、それに従って進んでる人って、だいたいどのくらいいるんだろうか。
    例えば10年後の目標を立てて、それに到達するための目標を小刻みに作るとすんじゃん、そうなると、細分化すると1週間単位とかで出来てくるような気がするんすよね。
    そこまで刻んでいくと、それこそ1日単位での、目に見えない目標ができてくるじゃんきっと。で、それが、1日を振り返る時に、どうだったか、っていうところまで反省タイムが作れるような気がするんだけどさ。

    けどさ、そこまでやっちゃうと、きっと疲れちゃうと思うんだよなぁ。
    今日の陽射し、風の雰囲気が最高!
    っていう、10年後の目標とは全く関係のない気持ちを、私は蔑ろにできないと思うからさ。
    そういうところが、人間臭さってものなのではないかね。

  • 3月29日

    雲の多い、今にも雨が降り出しそうな3月29日を迎えている。
    今日は、長男の誕生日。あの頃も桜がほぼ満開を迎えていて、退院する頃には散っているだろうなと思っていた。

    人をどう想うかは、人の勝手である。お節介と思われようが、自分の好きなように人のことを想うべきである。
    とは言いたいが、残念ながら「世間の空気」というものがあり、それに流される形で、自分の想いを、それに合わせてカスタマイズする必要が出てきたりする。

    愛情。子供への愛情。

    親としては当然の想いだと思っているが、私が考えている「子供への愛情」は私だけの価値観だから、それが世界共通とは言えない。
    私からすると、自分の子供(だけじゃなくて他人の子供も含むけど)に危害を加えるようなことは全くもって想定できない。あり得ない。だけど私の価値観にそぐわない人はいて、そんなニュースを見て、私は心を痛める。

    そして、さらに、遠くの国で起きている戦争。それからも、多くの子供たちが命を奪われている。
    奪われて、という表現。
    自分の意図しない形で、生きていることが終わってしまう。
    とても切ない。彼らの、未来に見えただろう光景が、彼らの目に映ることなく、終わってしまうなんて。
    もっと楽しいことだってあったはずだろうに。

    とても悲しい。