今日は、昨日ほどは調子は悪くない。
変なふうに聞こえてしまうかもしれないが、起き抜けに見る夢の内容が、その日の一日に過ごす気分を左右することがわかった。
昨日は散々だった。
起き抜けに見た夢のことをほぼ日手帳にがーっと書いて、書くことで俯瞰して自分のメンタリティを感じ取り、あんまポジティブになってないことだけは分かった。
自分で引き起こした(はずの)夢という意識に対して、自分のメンタルが攻撃されるってシチュエーションは、自分を傷つけるという点でだいぶ不可解だと思う。生存すべきという本能がベースにある時に、それを虐げる立場になるから。
そもそも、夢で見るほどのことってなんなんだろう。
私のメンタルを傷つけた夢は、一言でいうと嫉妬のようなものだった。
それに執着し嫉妬していることを客観的に見た私は、「なんでそんなものにこだわるんだろう」という自分と闘い、そして負け、引きずり、一日中暗い気分で過ごした。どちらの私に味方すれば良いのか、あまり良く分からないまま一日が過ぎていった。
執着とは。嫉妬とは。私がそれらをもはや、手中に収めることができない状況で、未だにそれを欲しているということを、もう一人の私がしらけた目で見ているのが分かる。もう無理すんなよ、お前はお前の道を歩んできたじゃないか、と。
現状に抗いたいのか。自分は。
現状を受け入れずに、手に入れたいという「執着」は、現状に満足していない証拠なのではないだろうか。
そうか私は、夢に出てくるほど、現状に満足していないのか。
それじゃ、もう一度過去に戻り、「それ」を手に入れるのか。
できるはずないだろう。できるはず、ないだろう。
それならば私は、現状を受け入れるしかないのではないだろうか。過去に戻れないという世界の中で、過去にしがみつこうとするのは、もうやめたらいいじゃないか。
それは諦めなのか。倒れるならば、前向きに倒れよう。