4月1日

ソフトウェアはシステムの品質を検査するような仕事をしているのだが、突き詰めると、限度がよく分からなくなってくる。

良い塩梅というのはどんな世界にもあるもので、のめり込むのは身体に悪い。

ここのところエピクテトスとニーチェに傾倒していたのだが、それもハマりすぎると厭世的になってしまい「あぁ今すぐにでも死んだほうが楽になれる」と考えたりするので、それもよく考えるとのめり込む例なんだなと思う。

十分な品質、というものがあるのだ。

日本は割と品質が高いものを求めがちだと言われるのよね。
まぁわかる、自動販売機ではお釣りに間違いがないことが前提だし、街の横断歩道にある信号だって壊れてないし、車は頑丈だし、電子レンジはいつまで経っても壊れないし。

それはそれで良いことなんだけどね、
その「品質を守るためのコスト」が、世間にとって必要十分であるかどうか、確かめることが必要なのかな、とかね。

雑多な居酒屋ではハイボールの濃さに少しギャップがあっても、まぁしょうがないかな、と思っちゃうけど、そんなお店だとしても刺身が古くてお腹を壊しちゃうとダメだし、その辺の線引きをきちんと考えておかないといけないんだよな、とかね。
いつだったかペヤングの工場で虫かなにかが入ってたとかあったけど、まぁ正直虫は高熱殺菌されてるし今イマだと昆虫食って考え方もあるから、実質ありかもしれないけど、買う側としてはそういうところは気になっちゃったりするけどな。
私としては、キャベツの隙間にイモムシがいても、まぁしょうがないかな程度の感覚なんだけど、その価値観は人次第だから、なにが正解かというのが分からなくて難しいなぁ、と考えているうちに1日が終わってしまいます。