劣等感は自分が成長するためだ、にあまり納得できていない

なぜだろう、すっと腹落ちしていかないのは。

なんとなくむず痒い思いをしているのは。

素直に受け止めると、まぁそうだろうな、その劣等感を払拭するために自分が成長していくんでしょ、となる。
だけど、全ての人がそうかというと、そうではないと思う。

その劣等感に負けてしまう人、もしくはその劣等感と仲良くなってしまう人がいるからだ。
自分が抱くもやもやとした思いが、文章になっているか怪しい、けどその辺りの人たちのことを置き去りにしてませんか、という思いがある。

多分、前者、劣等感に負けてしまう人は、それを乗り越えるための元気が足りないということだ。
劣等感は狂暴だ。
こちらが隙を見せた瞬間に、一気に襲い掛かってくる。
そして、こちらはそれに打ち勝つための術がなく、元気もなく、布団の中に潜り込んでしまう。
劣等感を作り上げたのは自分だというのに、自分が作り上げたモンスターに負けてしまう。
人間だから、そういう時だってあるだろう。
やがて時間が経ってその罪悪感を作り出したのは自分だと気づくことで、もしかしたら、布団から出る瞬間を迎えられるかもしれない。

後者、劣等感と仲良くなってしまう人については、これはむしろ歓迎すべきなのかもしれない。
仲良くなるというのは、つまり、自分の価値観を変えることだ。
劣等感を抱く事象に対して客観的に見て、自分の理想を下げる(言い方が適切かは分からない)ような考え方の変更を伴うことで、その劣等感を払拭してしまう。
もしかしたらこれは、自分の成長という観点においては、良くないことなのかもしれない。
ただ、人間はみんな成長していくべきという考え方自体も私はあまり納得できておらず、現状に満足するという選択肢だってあってしかるべきだと思う。

成長という言い方が、あまりしっくり来ていないのかもしれないなぁ。