タグ: 成長

  • 11月10日 日記と成長と私

    11月10日 日記と成長と私

    一日がいつもと同じようにすぎていくけど実際は違うことを考えて生きている。はずなんだけど、だいたいのことを忘れてしまう。そういう、忘れちゃうところが勿体無いと思っていて、つまりもったいないと思う気持ちがモチベーションになってるんだな。

    それを記すことで何かのプラスになるんだろうか。ふと忘れてしまうようなこと、それは本当に瑣末で、忘れてしまっても私の人生にはなんの影響もないものなんだけど、それでも日記に記すことで、改めて自分の目で見て思い返すことができる。それって良いことなんだろうか。

    たられば論になってしまうけど、人間が日々成長していくことを前提としよう。2023年11月10日に私が考えたこんなことを、数年経った後で改めて見返してみると、なるほど今の自分とは違う考えを持っているんだな、ということになったりするのではないだろうか。

    それはもしかすると、人生における楽しみの一つなのかもしれない。自分が、どう成長したかを確かめるための材料として、過去の、私が考えていたことと今を見比べてみて、考えてみて、私は確かに成長していると実感することが、人生において大切なことなのではないだろうか。

  • 7月31日 成長することについてその2

    7月31日 成長することについてその2

    昨日、人が学び、成長することについてブログを書いた。
    あんまりまだ自分の中では合点がいってなくて、それはなぜかというと、人は意識的に学ぼうとしなくても、無意識のうちに学習しているだろう、ということがあり得るからかもしれない。

    ちょっと視点を変えてみる。
    上述した「無意識のうちに学習しているだろう」という点について。
    例えば、私たちは時間を持て余した時にニュースサイトで最新のニュースを見たとしよう。
    最近ではニュースに匿名でコメントを載せることができるところが多い。
    そのコメントから、人の考え方というのを学ぶことができる。
    こんな感じで、何かから意識的に教わろうと言うもの以外から、人は吸収することができる。
    だけどここで、意識的に「人の考え方を学ぶ」と考えながらコメントを読むことで、意識的にその考え方を学ぶことができるはずだ。

    となると、学ぶことを意識することでより深く、そして意味のある学びを得ることができる。
    無意識的な学び自体も重要で、それがあることで意識的に学ぶことのきっかけを掴むことができるのではないだろうか。
    それをきっかけとして、意識的に深く学ぶことで、自分自身の知識や理解に組み込むことができるはず。
    さらに、自分の得た知識をベースに、一段階ステップを上げて、さらに深い分野へのドアを開けることになるだろう。

    人は意識的に成長することができる。
    毎日の生活の中で私たちが遭遇する無数の情報を吸収し、それをどのように自分自身の成長に利用できるかを理解する。
    無意識的な学びから、意識的な学びへと移行することで、より深く、完全に理解し、そして新たな可能性を開くことができる。
    学びは人間の基本的な能力なのかもしれない。
    意識的に学んでいくことで、そのプロセスを有意義で、充実したものにすることができるだろう。

  • 7月30日 成長することについて

    7月30日 成長することについて

    今日は暑かった。今日も暑かった。
    日曜日ということで、明日からまた始まる1週間に向けて英気を養うべく、少しだけ行動して、だいぶ休んだりした。

    今日はカレーを作った。
    ナスとピーマン、そして玉ねぎのカレー。
    夏野菜が安い時期なので、そっち方面のカレーにした。
    いつもじゃがいもとにんじんみたいな根菜ばっかりのカレーなので、たまに趣向を変えてみるのも良いものだ。

    人間ってマンネリが嫌いだからね。
    マンネリが嫌いなのはなぜなんだろう。
    ベランダにいるメダカはほぼずーっと餌を求めて泳ぎ続けている。
    たまに疲れちゃったりしないのかなとか思ったりするけれど、彼らの体がそういうふうにできているんだろう。
    話が脱線してしまった。

    マンネリが嫌いなのは、人間は成長する生き物だからだ、と考えたことがあった。
    だけどそれは意識の高い考え方なんだと思う。
    この世に生きている人間全てが、成長したいと考えているだろうか。
    成長したい、と考えていながら、本は読まず、余暇はスマホゲームに勤しみ、お腹が空いたら菓子パンを食べる人が、成長していると言えるのだろうか。
    多分、考えすぎなんだと思う。
    生きてるだけで丸儲け、と誰かが言っていた。
    成長するには、身体的欲求が満たされていなければいけない。
    満腹で、睡眠もバッチリ取れている快活な人が、成長に向けて新たな芽を伸ばしていけるのではないだろうか。
    私はどうなんだろう。

  • 唐突になにかを学びたくなってきた

    • 漢字検定。子供が5級(だったかな)を以前受験してて、面白そうだったから。
    • プログラミング。これはもう生涯学習って感じで考えてる
  • 今日の振り返りが、明日への糧になるように、前向きになって考えてみる

    今日の振り返りが、明日への糧になるように、前向きになって考えてみる

    どんどん仕事が忙しくなってくる。

    日々、資料作り、会議の段取り、調整事、あっという間に時間が吸い取られていく。

    私は何かしら成長しているのだろうか。

    私が今持っているスキル内でなんとかなっているもので、ゾーン状態には感じていないので、おそらく、あまり成長できていないような気がする。
    それでも良いのだ、たまには。
    上司から指示されたことについて抜け目なく遂行出来ているのだから、上司へ向けた承認欲求は高まっていると感じられる。

    今日を振り返ることの大切さ

    しかし、自分の成長はできていないとしても、日々、自分のやったことを振り返る時間は必要だろう。
    最近はほぼ日手帳でバレットジャーナル化しているので、今日やったことの結果をまとめ、明日に向けて手帳を終わりにする必要があるのだ。
    朝から夕方まで、あっという間だった。
    一瞬で終わってしまった。
    記憶に残らない思考や言動、妄想など沢山あったように思う。
    それらをゆっくりと思い出すことで、明日への活力を見出すことだってできるのではないだろうか。

    振り返った収穫は、きっと明日への糧になる

    めちゃくちゃ前向きな姿勢で描けているので、多分、まだ仕事への気力は高いのだろう。

    今日振り返って、うまくいったことは明日以降の仕事に対するモチベーションになるし、もしうまくいかなかったことがあったら、それも同じように、次はちゃんとやろうという気持ちを持つことで、モチベーションにつながってくる。

    Photo by Simon Migaj on Pexels.com

    多分、私には希望が見えているのだ。今日より良くなろう、という希望を。
    うまくいかなかったことについて、ぼやくことで現実から逃避できるかもしれない。
    ぼやきながらお酒を飲む、これだって立派なストレス発散だろう。
    それでストレスがゼロになり、また明日からリセットして頑張ろう、というスタンスなのであれば良い気がする。
    だけど私の場合、根本治療をしなければ気が済まないタイプなので、お酒を飲んで現実逃避をするということが、実は性に合っていないのではないだろうかということに、最近になってようやく気が付いた。
    お酒は人を選ぶのだろう。
    私は、現実から逃避するためというよりも、ただ酔って良い気分になりたい、という目的がふさわしい気がしている。

  • 手帳を使う目的

    手帳を使う目的

    基本的に手帳は1月はじまりか、4月はじまりである。
    日本で生活することを考えたら、その年、その年度が始まる時期に手帳を開始するというのは、ある種自然なことだ。

    だが手帳業界に取ってみたら、この時期しか売るタイミングを見込めないというのはなかなか辛いものがある。

    そして私たち消費者も、例えば7月くらいに転職したとして、その時期から「手帳を始めてみるか!」と思っても、タイミングが合わず、その動機がいつの間にか消失してしまう。

    この、大切な機会を損失するのは、非常に勿体ないな、と思う。

    そもそも、手帳に何を求めるのか。まずそこに立ち返る必要があるように感じる。

    日々の予定を書きたい。実績を、日記を書きたい。1年を通して活動したことを可視化したい。手帳を持つ人によって様々なことが浮かんでくる。

    そういう、目先の目的を考えるのも良いが、その先にあるのは自分の成長を可視化したいということになるのではないのだろうか。

    そう考えると、自分の成長が可視化できればどんなツールだって良いはずだ。

    であれば、Campusのノートに、自宅にあるボールペンを使うなどで十分だ。
    少しでもそこにこだわりたい人が、自分の好きな書き味の紙、ペン、などにこだわったり、マンスリー、ウィークリーのカレンダーがあらかじめ入っているほうがありがたいなどの趣向が重なり、その結果として手帳を選択するということになるだろう。

    私もほぼ日手帳に万年筆という、変なこだわりを持ちながら数年にわたって手帳生活を続けているが、上記についてずっと悩んでいる。

    というのも、私にとってはほぼ日手帳についているマンスリー、ウィークリーのカレンダーや、グラフを書く欄など、不要に思えるのだ。
    だけど習慣を変えるのに少し抵抗があり、10年程度ほぼ日手帳を使い続けているのを、ここでやめてしまうのか、と自問自答する日々を送っている。

  • 劣等感は自分が成長するためだ、にあまり納得できていない

    劣等感は自分が成長するためだ、にあまり納得できていない

    なぜだろう、すっと腹落ちしていかないのは。

    なんとなくむず痒い思いをしているのは。

    素直に受け止めると、まぁそうだろうな、その劣等感を払拭するために自分が成長していくんでしょ、となる。
    だけど、全ての人がそうかというと、そうではないと思う。

    その劣等感に負けてしまう人、もしくはその劣等感と仲良くなってしまう人がいるからだ。
    自分が抱くもやもやとした思いが、文章になっているか怪しい、けどその辺りの人たちのことを置き去りにしてませんか、という思いがある。

    多分、前者、劣等感に負けてしまう人は、それを乗り越えるための元気が足りないということだ。
    劣等感は狂暴だ。
    こちらが隙を見せた瞬間に、一気に襲い掛かってくる。
    そして、こちらはそれに打ち勝つための術がなく、元気もなく、布団の中に潜り込んでしまう。
    劣等感を作り上げたのは自分だというのに、自分が作り上げたモンスターに負けてしまう。
    人間だから、そういう時だってあるだろう。
    やがて時間が経ってその罪悪感を作り出したのは自分だと気づくことで、もしかしたら、布団から出る瞬間を迎えられるかもしれない。

    後者、劣等感と仲良くなってしまう人については、これはむしろ歓迎すべきなのかもしれない。
    仲良くなるというのは、つまり、自分の価値観を変えることだ。
    劣等感を抱く事象に対して客観的に見て、自分の理想を下げる(言い方が適切かは分からない)ような考え方の変更を伴うことで、その劣等感を払拭してしまう。
    もしかしたらこれは、自分の成長という観点においては、良くないことなのかもしれない。
    ただ、人間はみんな成長していくべきという考え方自体も私はあまり納得できておらず、現状に満足するという選択肢だってあってしかるべきだと思う。

    成長という言い方が、あまりしっくり来ていないのかもしれないなぁ。

  • 「この中から選べ」以外

    「この中から選べ」以外

    今、自分の前に見えている選択肢だけが、答えではないという。

    誰かの手のひらで転がされている時には特に、選択肢が狭められて提示されることがある。
    相手にとって都合の良い選択肢しか、壇上に並ばない。
    いずれかを選んでも、結局は相手の手中から逃れることができない。
    だから、いつも、出された選択肢以外のものはないか、見極める必要がある。

    なんて書くとさぞ意識の高い人間が書いた文章のように思えるが、選択肢以外を考える必要のある機会など、そうそう現れない。
    私が出会う選択の機会など、今夜はワインにするか、ウイスキーにするか、くらいなものである。
    その程度の選択肢しか、目の前にしか現れない。
    今後も、よほど大きなイベント、例えば車を買うとか、転職をするとか、引っ越すなどのことが訪れなければ、選択肢以外のものを探る必要がないように思う。

    だからと言って、その訓練を怠っても良いのだろうか。
    確かに、私の生活では、日々訪れる選択の機会など、人生において重要ではないかもしれない。
    100歩譲って「今日は走ろうか」「もしくはだらだらとお酒を飲んでしまおうか」に関して、前者のほうが自身の健康にとってプラスなのだから、人生において重要なことなのかもしれない。
    だが、現時点の私からすると、どちらも同程度の魅力があり、その瞬間に私の身体や精神がどちらを欲しているかによって、あっけなく決まるような気がしている。
    その、ほぼ無意識に決めることが、大きな選択をする際に、選択する時の思考を鈍らせてしまうのではないかと思う。
    どちらにしても自分の人生に大きな影響がないようなことでも、それを短期的な視野で考えるのではなく、少なくとも中期的、できれば長期的な展望に立って考えることで、日々の一歩がやがて大きな成長につながるのではないか。

  • 人とのつながりは、広げるべきなのか

    人とのつながりは、広げるべきなのか

    この頃、いろんな人の意見を目にすることが多く、疲れてしまうことがある。多くの人と関わりたいというのは、群れたいという本能?から来るものなのか分からないけど、自然と、沢山の人と関わりたいと思うタイミングが、年に数回くらいの感覚で訪れる。

    これは一つの欲求なのかもしれない。欲が出ると、多くの人とつながろうとしてしまう。その背景には、いくつかの理由があるのかなと思ってて。

    • 自分を知ってほしい。もしくは他の人からの反応を得たい。承認欲求から来るものなのかな。
    • 新しい刺激がほしい。今の自分が持っている思想にマンネリ感を抱いていて、それをバージョンアップさせたいから、他人の意見を聞きたい、とかね。

    人と繋がりたいという気持ちは、本来は、悪いことではないのかなと思う。自分を成長させるきっかけになるので。変わることに対し不安を抱くことはあっても、自分を成長させたいという気持ち自体は応援されるべきで、そのための行動を妨げ続けるのは、なんか自分を停滞させるような気がしてイヤなので。

    だけど、そうとは言え、私の場合はタイミングとか、気の持ちようというのが割と多くて、そしてどちらかと言うと億劫になることが多いので、ポジティブに人と繋がりたい!と思うのは少ないのだよね。これはもしかしたら、残念なことなのかもしれない。

    来年はもうちょっと、人と関わる機会を増やすようにしようかなぁ。そっちのほうが、なんとなく良い気がするので。