ある哲学書で、主人と奴隷の関係性について描かれていた。
主人は奴隷の労働によって成り立っているから、主人は依存している。
一方奴隷はというと、自分自身の労働によって主人を助け、労働という制約はあるものの、それを含めた全体の生活での自由を見つけ、それを確立していく。
つまり助け合っているということだ。
言葉尻だけを受け取ってしまうと主人のほうが偉そうに見えるが、それはあくまで言葉の上だけで、ある視点で見れば主人よりも奴隷のほうが自由だし、人間らしいと感じられる。
その辺を読んでいた時に、それを現代で置き換えるとSとMの関係性になるのかな、と一瞬考えたので、その小さな芽を少しずつ大きくしてみたい。
きっかけは飲み屋での話。以前(そっち系の話に強い)同僚が、SとMでは、Mがいないと成り立たないから、SよりMのほうが強いんです、って話をしていた。
私はそれが、私の価値観を揺るがすほどの話だったので、数年前に聞いたのに未だに鮮明に残っている。
私はSでもMでもない(ような気がする)から、どっちの気持ちも分かるような、分からないような感覚で、冗長な言い方になるがどちらも共感できるし、信じられない部分もある。
例えば痛めつけるのが前提という点。
相手の痛がる顔なんて見たくないし、わざわざ痛い思いをしてまで、と。
どちらも信じられない。
ただ、自由という点において、SはMの痛がる反応を感じ取らないと、自分の欲求は満たされない。
だとすると、Sには不自由さが残る。
痛むように痛めつけないとMは喜ばないから、うまくやらないといけない。
一方、Mは、自分の欲求、痛めつけられたいという思いが叶えられるから嬉しい。
自分の反応でSを喜ばせることができるという承認欲を満たせるという点でも嬉しい。
だから、Mのほうが強いのではないのだろうか。
もちろんこれは一方的な見方しかしていないので、もっと時間をかけて多角的な視点から見ると、いろいろな観点があるだろう。
さらに私は前述の通りどちらのタイプでもない(と思う)から、私はどっちなんだろうと考えてみるのも、考えが拡がって良いのかもしれない。