人間が成長したのは、苦しみからなのだろうか

人間は死ぬまで成長できる、と考えていたけれど、時折、足踏みするよなと思ったりもする。

足踏みする自分を許容しても良いのだろうか。そんなことじゃダメだろ!と鼓舞し、自分の成長を促すべきなんだろうか。

促すには体力が必要だ。気力も同じくらい必要で、それらがないと自分の中で力が出てこない。

成長のために、気力と体力を準備するのって難しい。40代も後半に差し掛かってくると、その両方が同じタイミングで満たされるってことが結構貴重なことなんだなと思う。

だとすると、自然の流れに従って、死ぬまでぼんやりと生きるという生き方、考え方も貴重なのではないかと思う。

貴重というか、考慮すべきというか。

常に100%、いつでも発射できますぜ!というスタンスを作るのが難しくなっていくからこそ、ケセラセラ、Let it be的な生き方も考慮すべき、みたいな。

たぶん、基本的には後者のスタンスで生き、自分の中で「今行けるな」と感じた時に、成長の機会を促すべくアクションを起こしていくことが必要なように思う。

たぶん、って上で書いたけれど、きっとこれ正解ってないんだよな。

だけど昨今、成長していかなきゃ!ってなることが多い。

SNSとか見るだけでも、他人と比較してしまったりして、自分の武器の拙さ、弱さに辟易したりして。

ちょっと哲学的な考え方に実を寄せてみると、これ系のことがすでに打ち出されているのに気づく。

例えばニーチェ。自分で価値を作り、それを肯定すべき。苦しみは成長するための条件。(善悪の彼岸)

ずいぶんとまぁ背中を押してくれるよな、と思う。

いやそもそも、上記、私の前提が良くなかったかも、と思う。

気力体力を十分に必要とする成長にばかり目を向けていたから、「できないときはしょうがない」なんて条件を加えていたんだ。

そうじゃなくて、気力体力が十分じゃない時にでも、その時に持ってる気力体力で臨んでいけば良いだろう。

自分の価値を創造するために、必ずしも気力体力が必要じゃないということ。

そもそも、上述したけど、むしろ100%じゃない時の方が多いもんな。

成長の機会、と言ってみても、それはいったいどんなことが挙げられるだろう。

分かりやすいところで考えると、仕事をもっと効率的、効果的に進めるために、必要な知識を得ることとか。

今の私で言うと数字を集計し、マネージメントへ報告するという業務が大半なので、数字が暴れているところをいち早く察知して、それの原因を探り、必要な対策を講じること、この一連の仕事をもっと効率的にやっていきたい。

この流れで考えると、自分の仕事を効率化させるには数字を集計するところのスピード。あと正確性。もしくは、見方を変えてみると、一連の流れを自動化することも可能かもしれない。

目の前にある仕事を毎月のように同じ作業を繰り返すこと自体は楽だ。あんま物事を考えなくて済むから。だけどこのご時世、このテの仕事は自動化すべきだという風潮をものすごく強く感じるので、その方向で考えていっても良いのかもしれない。

仕事から離れてみるとどうだろう。このブログにも書いているけれど、ランニング。つい5年くらいの間に、ランニングをする習慣がなくなり、身体が太ってしまった。健康的な身体作りというのは、ライフワークとして考えていくべきなんだろうな。こんなところで倒れてなんていられないもんな。

ランニングは日々、コツコツとやっていくことが肝心なので、なるべくそっち側に意識を向けて、頻度を上げて取り組んでいきたいと思う。

仕事とプライベートという両面で、成長の機会というものを考えてみたけれど、その前に、こんな感じでブログを書くことだって自分の成長につながるのではないかと思う。文を書くって難しい。自分の考えを適切な言葉を使って可視化するのって、すごく難しい。けれどそういうものもランニングと同じで、日々、コツコツと続けていくことが必要なんだろうな。

そう考えると、コツコツと続けることこそが、人間にとって一番大切なことかもしれないなぁ。

結局、正解はないんだよな。でもニーチェはこう言った。『苦しみの訓練こそ、人類のあらゆる高まりをもたらした唯一の原因である』。私は、いったいどんな苦しみを抱きしめる?