ちょっと時間が経ってしまいました。
引き続きマルクス・アウレリウスの自省録から気に入ったものを。
しかしこれ、何度も書いてますが、数千年前に書かれたものとは到底思えないですね。
今、この、2025年という日において、十分役に立つ言葉が載せられているということの、マルクス・アウレリウスの先見の明がいかに偉大か。マルクス・アウレリウスは自分のために書いた、とどこかで読みましたが、それだとしても、他の人に見られることをまるで想定しているかのような書き方をしていることにも驚きます。
未来の私に伝えたい言葉
これはおそらく未来の自分に向けて、彼は書いたんだろうと思います。
日記なんかでもそうですよね、未来の自分へ書く手紙だ、と言われることもあったりします。
未来の私に、伝えていきたい言葉を、今、頭の中で整理して書いてみるという行為は、自分の身体(というかメンタル)にとってとても大切です。未来の自分に向けて書くという点で考えると、マルクス・アウレリウスの自省録もそうですが、自分が「善く生きる」ために必要なことを書いているワケです。時々、日記に今日の愚痴を書く、書きなぐる、という人もいるようですが、それは結局建設的に、明日は今日よりも善く生きようというのに繋がらないから、そればっかりだとダメなような気がします。
愚痴を書いて、それを反面教師として、明日の自分への糧にする。この考え方であれば、どんな愚痴でも十分に自分を成長させるための材料なのだと思います。
> ものごとはすべて変化によって生じることを、絶えず観察すること。自然がもっとも愛するのは、いま存在するものを変化させ、それに似せてあらたなものをつくりだすことにある。
> いま存在するものはすべて、これから生じようとしているものの種子だ。だが君は、大地や胎内にまかれるものだけを種子だと考えている。じつに浅い考えではないか。もっと深く考えることだ。
自然の中で、絶えず変わっていくもの
毎日毎日、同じような生活をしていて、変化がないように思う日々とか。
同じ仕事をしていると、あれ、今日水曜日?!火曜日はどこいった?!俺の火曜日、なんも生み出してない!というような思いに駆られることがあります。
日にちって難しいですよね。きちんと意識していないと、すぐ、今日は何月何日なのかを忘れてしまいます。
海軍が金曜日にカレーを作って食べるのは、曜日感覚のない生活を過ごしているから、カレーを食べれば金曜日、という風に状況を作り出すことで、曜日感覚を忘れないようにしているのです。
マルクス・アウレリウスは言います。「自然がもっとも愛するのは、いま存在するものを変化させ、それに似せてあらたなものをつくりだすことにある」のだと。
自然っていったい何なんでしょう。ベランダから見える外?それだけではないはずです。
私が思うに、自分という存在 を含めた、全体的な自然なのではないでしょうか。
つまり自分も、自分の周りを取り巻く自然というものの一部なのだと。
自然とうまく付き合っていくことが、自分が善く生きるコツなんです。