内向型の生き方戦略 | 中村あやえもん | ★★★☆☆

私は内向的な人間で、だからこそこんな誰も見ていないところで日記を書いているんですけども、
こういう系の本を読むと、自分はいったい外向的なのか内向的なのか、分からなくなります。

私の場合、後天的かもしれないですが雑談する場が苦手ではなかったりするので、この本では「雑談が苦手なのは内向的の特徴」みたいに言い切っているので、そういうのを読んでしまうといったいどっちなんだい、と思ってしまいます。

そうなると先には進めなくなってしまって、何しろこういう決めつけ的なノリがまた苦手なので、どうせ臆病でリスクには敏感で、みたいな論調で先に進んでしまうんでしょ、と思ったりするので。

内向的なのが嫌だから、この社会で生きていくのに必要だと思ったからそういう雑談とか、大勢の中でも生きていく術を見つけてなんとか生きてきたのに、そういう私の頑張りがもしかして無駄だったのでは、なんて思ったりして。

違うんですよね、無理しなくても生きていけますよ、ってその生き方を戦略として紹介してくれているのだから、私が読むべきじゃ無いとか、私の生き方が否定されているとか、そういうことを言いたいわけじゃ無いんですよね。わかってるんですけどね。

そしたらいったい、私はどうやって生きていったら良いのだろうか。今までの生き方で培ってきた雑談スキルは、手放してしまっても良いのだろうか。

そもそも雑談って、私、好きだったんだっけか。
いつくらいに手に入れたんだろう。

雑談している時の自分は、好きなのか

雑談している時の自分のことを、自分は好きでいてくれているのだろうか、とふと思い至りました。
雑談するのは、その場の空気を暖めたいからで、なぜなら雑談の無い空気が苦手だからなんだよな。だとすると、雑談の無い空気から避けるために雑談するという「自分の頑張り」を、どう捉えるのか。
多分私は頑張って雑談をしていて、そうなると、無理して雑談するってことになるような。

無理して雑談って。そんなとこに無理する必要があんのかい、と。

けどその場の空気が苦手だから。

雑談のない空気に耐えるくらいなら、頑張って雑談するくらいの方が自分にとっては心地良いから。