自分は意志が弱い人間だから、長いものには巻かれてしまうような気がしている。ニーチェが民主主義を批判したという箇所を読んだことがあるんだけど、それは上述のような場合があるから。
神をみんなで信じましょう。
それ自体が、神様なんていないと感じる人がいたとしても、その人の感覚を蔑ろにし、周りからの同調圧力を経て、信じさせてしまうという現状。
遠い国で戦争が起きていて、向こうが攻めてきたから、こっちは応戦する必要がある、と訴えかけ、それを理由にして普通の、どこにでもいるような家族の命を奪ってしまうような現実。
そんなことがあってたまるか、と思う一方、それじゃ私に何ができるのだ、という話。
せいぜいインターネットで寄付をするくらいしかできない。
かと言って、現地に行ってボランティアをするほどの気概もなく。
そりゃそうだ、自分だって現実と対峙していかないといけないんだから。
ここぞとばかりに、対岸の火事じゃないぞ!日本も隣国との関係性で同じ状況になっていく可能性あるぞ!と訴えかけるサイトも、最初に書いた同調圧力に持っていくための一つなのではないかと思っちゃったりする。
みんながそのように考えてしまうと、どのような社会になってしまうのだろうか。
とは言え、だけど、きちんと怖がることも必要だとは思うのよね。
生存するための、不安、恐怖を発端として、行動に移すはずだから。