雨が好きな人だっている

毎年、決まった時期に桜が咲くのだと思っていた。
だいたいいつも、入学式が行われる頃。
だけど今年は、それよりも早い、卒業式が行われる頃に、満開を迎えた。

死んだ母は、この季節が大好きだった。
風に舞う桜吹雪を見ていると、なんだか嬉しくなるの、と口癖のように言っていた母は、土砂降りの中、横断歩道を渡っている時、母に気づかなかった車に轢かれた。
当時のことはすっぽりと記憶から抜けていて、私はその頃、どういう心持ちで過ごしたのか、まったく思い出せない。
母の代わりに家庭を保全してくれた叔母が、母と似ていたので、彼女のことを見る度に涙ぐんでしまい、非常に困らせたと、後になって聞いた。

そのことがあってから私は、雨が嫌いだった。

いや、もともと、着ていた洋服が濡れるから、私は嫌いだったのだ。
長靴がなかなか脱げないところも、脱いだ足が湿っていて、とても不快になったところだって、全部嫌いだったのだ。
やがて大人になり、営業として外回りをすることが主な仕事になってからも、やはり今までと同様に数少ないスーツが濡れるから、という理由で雨が好きになれなかった。

雨なんて。誰のことも幸せにできない。
これは私の信念だった。
母の大好きな桜を散らすのだって、いつも雨のせいなんだから。

母は、雨のことが嫌いだっただろうか。
母はあの日、傘を忘れて塾に行った私の弟がかわいそうだからと言って、弟の傘を持って家から出たのだった。
母はいつもそうやって、自分の身を犠牲にして、家族や周りの人を助けてきたのだった。
優しい人だったんだ。
それに比べて私は、雨ごときでこんなにイライラしてしまう、心の小さな女になってしまった。
せめて母のような優しさを、私も持てれば良かったのに。
私が、母の代わりに弟を迎えに行けば、もしかしたら私が母の代わりに。
天から降ってくる雨は、私が涙を流すよりも早く、そして強く、雨足を強めた。

母はこんな私を見て、いったいどう感じるのだろう。
こんなわがままで、周りのことを気遣うことのできない娘を、きっとがっかりした目で見るのだろうな。

帰宅途中、最寄駅に着いてからも、相変わらず雨はザーザーと強く降っていた。
傘を忘れた私は、もうどんなに濡れたってかまわない、という心境で、駅舎から自宅に向かって歩き出した。
シャツも、スーツも、ストッキングもパンプスも、ぜーんぶびしょびしょだ。
私の心だって、それらと同じように濡れていた。
ぷ、っと膨れ面を浮かべながら、青が点滅した横断歩道を待っていると、道路の向こうに母が見えた。
傘を差して、手元にはもう一本の傘を持ち、待っていた。
そんな訳ない。この世に、母は、もういないのだから。
私は彼女の元に少しでも早く近寄りたくて、歩行者用信号が青になるのを待った。
待ちくたびれるほど待った。いつもはスマホを見ながら、青になるのをぼんやり待っていたこの信号だったが、スマホを見ている間に母がいなくならないように、少しでも母の姿を見続けられるように、雨の中、傘を差さずに母の事を見つめた。

青になる少し前、トラックが通り過ぎ、母はトラックに吸い込まれるようにいなくなってしまった。青になったら一目散に駆け出し、母の胸元に飛び込みたかったのに。
私は、母に抱かれたかった。最後、母の持っていた傘を受け取りたかった。
しかし、さっきまで私が見ていたのはきっと思い出で、妄想で、だから母の持っていた傘を受け取ることはできなかったのだ。

だけど一瞬だけ、奇跡が起きた。
ぶわっと強い横風が吹き、横断歩道の横にずらーっと植えてあった桜の花びらが、一斉に舞った。無数の花びらが舞う横断歩道。
私は思わず空を仰いだ。
母が、「雨と一緒に舞う桜も、実は悪くないのよ」と言った気がした。