人の努力を無碍に否定すんな

レイソルの試合が終わり、スタジアムから自宅まで、自転車で帰った時のこと。

途中、ほんの少しだけ下り坂の箇所があり、そこをギア最高にして疾走した。

まさに、疾走を体現する走り。
つい最近まで長男が乗っていた140cmくらいの人用、24インチクロスバイクに乗っていったので私の身長からするとめちゃめちゃ小さくて、膝がハンドルにぶつかりそうなほどだったから、実際のスピードは大したことなかったと思う。
けれど、暗闇を切り裂くほどのスピード(体感)で、アスファルトがタイヤを切りつけながら、走り抜けた((c)TMネットワーク)

いや、脱線するほどの話じゃないんだ。そんな回りくどく話すようなことじゃない。

疾走してる!と、そのスピードになってから私は気づいた。
さつきとメイが猫バスに乗ってる時、「私たち、風になってる!」と言っていたのを今思い出したが、多分、私も同じような感覚に陥っていたのだと思う。

違う。トトロの話じゃない。

話したかったのは、重松清の、疾走。

疾走してる!と体感した直後、私は、疾走の主人公が最後に立ち上がり、一瞬だけ走ろうとした瞬間の、あの時の気持ちを思い返してしまったのだ。

そのせいで、私は少し泣いてしまった。その、彼の気持ちを思い出して。

ネタバレになってしまうから多くは語らないけど、たぶんあの時、彼は、嬉しかったのだと思う。たくさんのストレスを抱えながら、好きだった「走ること」から遠ざかっていく自分。もうシンプルに走ることを楽しむことのできなくなってしまったような、いろんなことを経験してしまった自分。
だけど、最後に、もう一度、あの気持ちを呼び起こすことができたら、という思い。

人生は機嫌良く生きたもの勝ちだと思っている。
いやなことがあっても、それを「いやなこと」とそのまま受け止めておくのではなく、何か自分の糧になるのではないか。
そんな風に考えていれば、いつか人生は切り拓かれていくものかもしれないけれど、

人生はそんなに甘くない、と思っている。

そりゃ、生きるために努力する人だっている。たくさんいる。私だってそう。
それを否定するつもりはないし、否定したところで、私にはその努力を判断する立場にない。私が今、努力していることを、他人から否定されるようなことは、あってはならないはずなのだ。

だけど、いつまで経っても報われない人。報われる、報われないというのはある一つの方向から見ていないから、それ以外の観点で見たら、そんなことはどうだって良いのだけれど、

努力した自分、偉い。報われなかったとしても、努力したという実績、それが経験になるのだから、それで十分なのではないか。

疾走の彼も、自分が生きるために、努力したはずだ。
彼の、最後の、走ろうとして駆け抜けた数歩を、誰が否定できるというのだ。