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  • 7月29日 もっと生きていたいと考える

    7月29日 もっと生きていたいと考える

    健康診断を申し込んだ

    7時30分くらいに起床。今日もつくばに出社。家からオフィスまで1時間かからないって本当にありがたい。電車も混んでないし。

    眼精疲労?なのか分からないけれど、これまた感覚的なことだから言語化するのが難しいんだけれど、普段、耳に、チー、みたいな高周波の音が鳴るのを感じると思うんだけれど、それが、眼球を上いっぱいに上げた瞬間だけめっちゃ増幅される感覚があって。私は体調不良でこれから熱が上がっていきそうな時にそれを良く感じるんだけど、そんな感じで体のどっかに不調を来しているのかな、と焦った。そして会社で年1回受けましょう!っていう健康診断に申し込んだ。今から約2ヶ月後。
    そしてそれをCopilotに話し、今イマの身長、体重、飲酒喫煙習慣などを話したところ、飲酒量を下げることと、適度な運動を勧められた。
    私は鉄は熱いうちに打て派なので、かねてから取り戻したかったランニングの習慣を再開した。とりあえず週3目指そう、って優しいCopilotは勧めてくれたけれど、個人的には、いけるんなら毎日走っても良いのではないかと思っている。
    で、早速今日、終業後に走った。かねてから気になっていたちょこザップの無料体験を申し込んで、7kmくらい走ってきた。心拍140くらい、ペースはキロ7分くらい。ケイデンス164。まずまずかな、って感じ。ラン後は身体的にはへっちゃらって感じだけど、走れるなら外ラン、そして朝だよなぁ。5時くらいに起きて20km走ってた頃が懐かしい。あの頃の自分を取り戻したい。
    そして今夜の飲酒。これは日常のペースにしていきたいんだけれど、今日はハイボール1杯だけ。ウイスキー50mlだけ。これで酔い気分になれるんならちょうど良いかもな。

    飲酒による機会損失

    これ結構デカいと思っていて、小説書いたり、読んだり、ブログ書いたり、刺繍したりっていう、夜、一人で楽しむようなイベントが酒によって妨げられてるのが割と気になっていて。
    私は本来、酒を飲みたかったのかどうかすらよく分からなくなってきてて。それもCopilotに相談したら、多分私は、1日を締めくくるイベント的な感覚で飲酒していたのだろう、と。
    確かにな、と思った。
    1日を締めくくるには別に酒じゃなくなって良いだろう。
    最近は毎日のようにこんな感じで1日を振り返ってブログを書いているけれど、これだって1日の締めくくりを彩るためのイベントとして昇格させても良いだろうに。
    確かにね、酔って気持ち良くなるのは分かるんよ。私はハイボールを3杯くらい飲むと良い感じに酔ってきて、その感覚を楽しんでいたのは間違いようのない事実だけど、それによって蝕まれる健康のことを考えたら、トレードオフじゃないだろ、と。むしろマイナスだろ、と。
    だから、基本、酒はハイボール1杯とか、ビール1本とか、レモンサワー1杯とかで終わりにして、だらだら飲む習慣を絶ってみようと思う。
    分からんよ、意思薄弱と自分でも認めるくらいだから、飲みたくなる日だってあるでしょうよ。だけどそれを毎日のイベントとして掲げるのではなくて、たまにのご褒美で捉えるくらいでちょうど良いのかもしれんね。ご褒美って考えてる時点でまだまだだろ、とも思うけど。

    湊かなえ Nのために 読了した

    奥さんから勧められて読んだ。物語が何層にも重なっていて、ストーリーの構成力とかすごいよな、と思った。私にはこんなのは書けない。ロジックを組み立てるところで私は破綻してしまいそう。うまくできた話だよなぁ、実際の生活にはこんなことは起きないだろう、って点で、私はそこまでグッと来なかった。私は日常を描く話が好きなんだろな。
    考察。贖罪っていうものに登場人物全員が執着していて、それを意識的に感じてる人もいるし、そうじゃない人もいるし、だけどそれぞれが持つ意識のもとに行動していて、それ自体は自分の本心に基づいて動いているんだろうけど、だけど他人の感情や行動に振り回されることもあるもんね。
    心理描写って点ではそこまで深く抉っておらず、だけど多くの読者に対して、最大公約数的なところで描写を止めるあたりはさすがだな、と。読者に委ねるところと、文章で語るところの攻め際って難しいよなぁ。そういうとこすごいわ湊かなえさん。他にも読みたいかと言われると、うーん、なんとも言えない。私は心に火が灯ると図書館で本を借りまくってがっつり読み込むんだけど、そこまでではなかった。心理描写で語るというよりかは、ストーリーテリング、ロジックの妙で読ませるタイプのように感じたから。

  • 7月28日 故郷を想う

    7月28日 故郷を想う

    茨城で仕事

    私のオフィスは東京だけではなく、茨城のつくば市と、北海道の札幌市でも働くことができる。
    それを恩恵と呼ばず、なんと呼べばいいのか。
    私は子供の頃から、筑波山を見ながら育ってきた。
    実家は筑波山から、そこまで近いわけではないけれど、けれど裏山に行けばいつでも筑波山を見ることができた。
    故郷を想いながら、仕事に励む。
    こんなことが実現できるとは、この会社に入るまで考えたことはなかった。
    いや、嘘だ。
    私はいわゆる田舎の長男坊で、だから大学こそ静岡にある大学で過ごしたけれど、いつかは実家に入らないといけないと感じながら過ごしていた。
    とは言え、気持ちと体は別というか、大学を卒業し静岡に本社がある印刷会社に新卒で内定が取れ、そして東京支店への勤務が決まった。
    そうやって、徐々に実家に近づいていくプランを、当時の私はぼんやりと感じ取っていた。
    意識的に考えていたわけではない。のらりくらりというほどではないが、風に身を任せ、いつから茨城という地に軸足を置いて生きていくんだろうな、とぼんやり考えていた。
    時は経ち、私はそこから25年くらいを生きてきたという計算になるが、いまだに軸足は東京に置いて過ごしている。
    物事は意識的に計画していかないと、人生というものは固まらない。
    先日、バレットジャーナルに集中して取り組もうとして、それ系の本を何冊か借り、読み、そしてバレットジャーナルに対応できそうなA5のノートを買った。Editの320ページのやつ。借りた本を読んでいると、1、2、3、5、10みたいな、自分の中でのマイルストーンを決めて、その数字ごとの未来を描いていこう、みたいなことが書いてあり、私はハッとした。
    風に身を任せて生きていく、というのと、物事は計画的にいくべきだ、という両極端な意見を上述した。
    とはいえ私は前者の方が自分の考えに合っていると感じることが多いから、1年後の自分を想像することができず、ましてや10年後なんて、試しに1ページをそのプランにあてがってみても、10分考えてみても何も浮かんでこなかった。
    何も、浮かんでこなかったのである。
    だって10年後って想像できる?私が今、在籍している会社で働いているかどうかすらもわからないのだから。そんな私が、たとえば3年後ですら、何をしているか分からないのだ。そりゃそうだ。だって生まれてこのかた、自分の将来を真面目に考えてきたことがなかったんだから。

    自分の将来についてじっくり考えてみる機会は必要なのだろうか

    不要なのかもしれないよね、と考える。
    これこそ自分の持つ価値観の話で、自分の生き様を計画していくことで、それに基づいて日々の暮らしを計画していく。物事を計画的に考えて生きていくべき!と考えている人はきっと、こっち側なんだろう。
    ふと、MBTIのことを考える。私は3番目のやつがTなのか、Fなのか良く分からない。Tは計画的、Fはその場の感覚で生きる、みたいに私は捉えている。
    私はFの方に大きく針が振れているんだろう。それを悪いとか良いとかっていう判断材料にはしていないけれど、多分これが、私の計画性の弱さという一面を物語っているように感じる。
    だって自分の将来って。私は今、結婚していて、2人の子供がいるけれど、私の計画通りに家族が生きていくとは限らんもんね。私は自分なりに健康に気を遣ったり、仕事も真面目に取り組んだりしているけれど、妻や、子供たちが私の計画した通りに生きるとは限らないじゃないか。だとすると、私が今ここで、47歳の人間として考えることすら意味がないじゃないか、と考える。
    いや、違うのかもな。何を計画するのか、という考え方にもよるのだけれど、たとえば、家族がどんな生き方をしていたとしても、私は私、私なりに考えた生き方を貫いていきます、ということになるのかもしれんよね。
    たとえば、妻が癌に罹患したとしよう。してほしくないけど。だけど妻が入院したりして、今の生活を継続できなかったとしても、私は仕事をやめないし、できる限り全力で家族を支えていくのだろう。それを計画と呼ぶのかどうか、それこそ個人の価値観による。
    そこには「臨機応変」という言葉がとても良く当てはまる。臨機応変ってすごい。TでもFでも、どっちも当てはまるのだから。
    だから、もしかすると、MBTIとは違う階層に、「自分の価値観」というものが被さっているんだろうな。
    私はF型だから綿密な計画はできないけれど、「それでも生きていく」みたいなマインドで、その場その場で適切な選択肢をたどりながら、なんとか自分の生きたいように生きていくんだから。

  • ロディア(Rhodia)の良さに気づき始めています

    ロディア(Rhodia)の良さに気づき始めています

    文房具沼に浸っているうちに、何となく気になっていたロディア(Rhodia)No.11を使ってみた。これが思った以上に良くて、まるで自分と並走してくれるような感覚がある。

    やることはとにかく“書く”だけ。思いついたことをひとまずメモに落とす。
    併用してB6のノートも使っているけれど(ちなみにコクヨのソフトリング。万年筆でも裏抜けしないから好き)、アイデアを書き殴るには、B6って案外大きい。

    その点、ロディアNo.11は一言しか書けない。
    この“制限”がいい。
    余計な装飾が削ぎ落とされて、メモがだんだん洗練されていく感じがする。

    次は、この小さなメモパッドをどう日常のタスク管理に落とし込んでいくかを書いてみたい。

  • SRV250ルネッサ 復活に向けての進捗

    SRV250ルネッサ 復活に向けての進捗

    前回までの記事はこちらです。

    そういえば前回の週末のことを書いてなかったなと思い、備忘録的な部分も含め書いてみようと思います。

    バイクの現状

    • バッテリーはヘタり気味、3000円くらいでバッテリーの充電器を買ったので、適宜充電しています。
    • ガソリンコックのところ?がおかしい気がしています。コックONのままエンジンを始動させると、一発で始動するんですが、そのままの調子で800mとか1kmくらい走ったところでエンストしてしまいます。
    • ↑これ、ONのままで走るとそうなる?から、試しにPRIのままでやってみたんですが、それでも同様に1km足らずでエンスト。

    次のプラン

    前回までのブログででも書いたんですが、1月最初の週末にヤフオクで出品してた人のところから自走で帰ってこれた(40km)のを考えると、キャブレター周りがおかしいとか、そういうことではないような気がしていて。インテークマニホールド(インシュレーター)に多数の亀裂が入っているけどこれはヤマハのバイクでは典型的な症状とのことで(どこかのブログで読みました)、それが、ここ2週間とかで急激におかしくなるとは思えず。
    で、これまたどこかのホームページで拝見したのですが、PRIのままにしてガソリンをダダ漏れさせてしまった場合、エンジンオイルを交換する必要がある、とのこと。
    ので、エンジンオイルを今度の週末までに届くように通販で買いました。自分でやるようの、廃油捨ても同時に購入して。
    また、せっかくなのでプラグも交換してみようと思い、それも買ってみました。
    ので、次の週末にはオイル交換と、プラグ交換にトライしてみたいと思います。
    私はマンション暮らしで、そういうことやるガレージがないため、近くの洗車場にバイクとオイル、その他を持ってってみようと思います。そこまで押してくのが辛いですが。。2kmくらいあるかなぁ。天気が良くなることを願います。

    バイクを手に入れたこと自体について考えてみる

    40過ぎの、子供が2人いるような世帯で、バイクを買うのって結構おおごとなイベントです。私は幸いなことに、家族からの同意が得られたので、その点ではハードルではなかったのですが、マンションのバイク駐輪場に停めるための月額料とか、ガソリンとかエンジンオイルの消耗品コストとか、いわゆるランニングコストは最低限なもので暮らしていかないといけないよなと思っています。
    その点、ヤフオクはバイクの車体自体が安いことが多く、同じものをいわゆるバイク屋さんで購入すると、ヘタすると2倍近くすることがあります。ただしその分、安心を購入するという点が大きく、ヤフオクの場合はノークレームノーリターン、ノーアフターみたいな、「買ったあとは買った人がどうにかしてくださいね」というのが常識的にまかり通っていて、それがヤフオクの性質であり、つまり買った人がバイクを多少いじれるような人じゃないといけないのかな、と思います。
    ヤフオクで、動画を載せてます!みたいな出品も多く、その時点ではちゃんと動いてるのが分かるんですよね。だけどそれを過信してしまっては、今回の私のように足元を掬われる結果につながるんだろうなと思います。それでも私は幸いなことに、自走引き取りで40kmを走り切ることができ、無事に家まで帰ってこれたから、それだけでも良かったのかもしれません。よく、ヤフオクで、「自走引き取りはおすすめしません。必ず軽トラック等で配送手配をしてください」と出品コメントに書いてあり、落札側とすると、例えば隣県とかであれば、ツーリングがてら乗って帰って来たいよな、だってエンジンとかちゃんと動いてるんでしょ?みたいな思考に至るのは真っ当で、バイクに乗りたい人にとってみたら片道100kmくらいまでであれば気軽に、乗って帰りたくなりますよね。2時間程度のツーリングなんて最高じゃないですか。だけどそれは「落札した状態のバイクが、2時間のツーリングに耐えられることを信じる」ワケで、それって軽く考えてはいけないよなと思います。私はそれを信じて、たまたま事故などのトラブルに遭わなかったから良かったですが、ヘタすりゃ死にます。そこをきちんと考えて、特に家族がいる人なんかは、自分がいなくなることで被るリスクをきちんと考え、バイクを落札すべきと思います。

  • 9月27日 日記が続かない人の特徴

    9月27日 日記が続かない人の特徴

    下手の横好きとは言え、一番大切なのはそのものに取り組む姿勢だと思う。
    下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、という言葉もあるし、大切なのはそれを楽しむことと、続けることだろう。

    一つのことをずっと続けるって難しい。
    私はここでの日記を毎日続けたいと考えていたけれど、結局6ヶ月くらいで挫折してしまった。
    せめて1年くらいは、静かに共し続けているこの日記生活を絶やすことなく、過ごしたかった。

    昨日の日記にも書いたんだけれど、これを悪い思い出としてしまっては、もったいない。
    私はなぜ、日記を続けることができなかったのか、ぱっと考えただけでも以下の2つが思い浮かぶ。

    日記が続かない人の特徴

    1. 結構なボリュームを書かなければいけないと思っている。これは自分の思い込みで、こうして人前に出す文章だからといって、立派なものを作り上げようと考えてしまいがちだ。実際はそんなことなくて、メモ書きのようにぱぱっと書いた程度の日記でも、その日のことを語ることができれば、それで良いのでは無いだろうか。
    2. 日記の内容を考える時間を作らない。これは見方によってはしょうがないことなのかもしれない。忙しい現代人、日々の出来事を反芻する時間すらも取れず、さらさらと流れる小川のように記憶が流れて、水に混ざってしまうのだ。これは訓練次第でどうにでもなって、と言うのは、パターンは2つあるような気がする。
      1. 日記やメモ帳に書き留める。こんなことできたらそもそも毎日の日記を続けることなんて余裕じゃん、と思うけどね。今日何を書こうかなーって考えている時に、考える題材があるとだいぶ捗るような気がする。
      2. ほぼアドリブでやっつける。実は私はだいたいの日がこれである。今日何を書こうかなー、と思い返しても何も出てこない日の方が多い。これは困ったもので、さらにずぼらだから、ちゃんとメモろうという気さえ起こらない(ほぼ日手帳を持っていながらも)。だからどうするか。そしたらもう瞬発力で乗り切るしかないのだ。

    私は、今日冒頭に書いた一行目から、自分の思うがままにキーボードを打つ指を走らせてみた。
    これくらいの分量なら割と苦しむことなく書けるのだけれど、これは日々書いているからなのかなー。

  • 8月28日 私が今までについた嘘

    8月28日 私が今までについた嘘

    たまに、自分が今までに吐いてきた嘘を思い出しては、死にたくなってしまう。
    嘘なんてつかない方が良いに決まっているんだ。
    誰にも嘘をつくことなく、生きていけることができたら。
    それこそが、善人なんだろうか。
    嘘をついてない人なんて、多分いない。
    まだ十分に喋ることが出ない赤ちゃんだって、親の気を引くために嘘泣きをすることだってあるのだから。

    だからと言って、私のついた嘘が許されるのかというとそれは疑問。
    だって私以外の全員が嘘をついたことがある、という相対的な比較しかしていないのだから。

    自分のついた嘘って重い。
    こんなことになるくらいなら、嘘をつかずに生きてくれば良かった。
    どうしたら、倒れそうになる自分を支えることができるんだろうか。

    他人と過去は変えられない、とこのブログで書いたのはいつのことだっただろう。
    つい最近なように思う。
    つまり過去は変えられないのだ。私がいくらここで、自分がついた嘘を悔んだとしても、その事実を変えることはできない。
    無数の嘘は、私を苦しめるけれど、その事実を変えられることはできなんだ。
    だから、解釈を変えるしかない。
    誰かの心に付いてしまった傷を、私が癒すことができたら良いのだけれど。
    私がついた嘘で誰かを傷つけてしまったとしたら、その傷はすでに癒えているだろう、と楽天的に考えることができるかもしれない。

    未来は変えられるんだとすると、私はここから先、嘘をなるべくつかないで生きていけば良いんだろう。
    たぶん、考えすぎているんだと思う。
    難しく考えずにシンプルに、真摯に生きていけば良いだけなのではないだろうか。
    この先、嘘をつく必要が出てくるかもしれない。けれど、その嘘が誰も不幸にしないのであれば、良いのではないだろうか。
    私が今までについてしまった嘘については重たく受け止めておくべきだろう。
    だけどその事実を覆すことはできないのだから、私の解釈をポジティブに変えていくようにしよう。

  • 7月28日 別れることについて

    7月28日 別れることについて

    さっきオフィスで仕事していたら、今日で最後なんです、と挨拶に来られた同僚がいてびっくり。
    彼とはちょっと一緒に仕事をした程度だったが、ご丁寧に挨拶されて返って驚いてしまった。
    正直なところ、彼がいてもいなくても今の自分が持っている仕事には影響がない。
    だから、辞めてしまったとしても、別に困ることはないのだけれど、
    それよりもまず、知ってる人が少なくなっていくのが少し寂しい。
    私は外資系の会社に勤めているということもあり、入れ替わりは激しいように感じる。
    だからこそ、なのかもしれない。こんな感じで知っている顔がまた一ついなくなってしまうのが、こんなに寂しいものだと。

    今まで何回の別れをしてきただろう。
    今生の別れと、そうではないもの(また会える可能性のもの)に分けてみると、圧倒的に後者の方が多い。
    だけど、私から意識的に「会いにいく」という行動を起こさない限り、その割合が50%ずつ、私の頑張り次第では左側に重心が寄っていってしまう。
    ではいったい、私は今「仮の別れ」をしている中で、何人に「まだ会いたい」と思っているか。
    実際のところ、片手で数えられる程度かな、と思う。
    これが、ドライと感じられるかは、聞いた人の感じ方次第だけれど、私はその五人に対しては、私が苦労してでも会いたいと思っているのは確実だ。
    別に私は、これがドライだとは思っていない。
    その五人に対して熱い思いを持っているから。

    もしかしたらその五人のうち、誰かは、すでにいなくなっているかもしれない。
    そう考えてみると、少しばかり私にプレッシャーをかけるように感じる。
    だけどそのプレッシャーを前向きに捉え、いろいろな調整ごとをこなし、そしてその人たちに会いにいくことができたら、私は幸せかもしれない。

  • 6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

    6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

    ふと昔の記憶を辿る。
    駅から自宅まで歩いている間とか。
    スマホとか、PCとか、テレビなどから離れてみて、さらに音楽からも離れる時間を作ると、私の場合は過去の出来事を思い返すことが多いように思う。
    その出来事を掘り返し、出来事というのは良い思い出、悪い思い出、両方含めて様々な思いがあるものなどだったりするけれど、掘り返してあの行動は正しかったのか、今この状況でも同じ行動を起こすか、みたいな検証をしたりする。
    検証したところであの日、あの時間に私が返ることはないから、ただの思考実験でしかないのだけれど、その行為自体が好きなんだろうなと思う。

    だけど、それって後悔を生むことがある。
    あの行動は正しくなかった、もっとこうすれば良かった、と思う時は危険で、今思えば正しくない行動だったんだけど、あの時はああするしかなかった、あれ以外に思いつかなかった、みたいに考えてしまう。
    それって過去の自分を否定することにつながるだろう。
    過去と他人は変えられないといろんなところで目にするけれど、この件はまさにそれで、変えられない過去に対してウジウジと悩んでしまう、そしてそのまま落ちる、みたいな典型的思考パターンだったりする。
    私は日々変わっている。昔の価値観と、今の価値観は違う。
    だからこそ、過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい。
    そうだよ、日々、私が成長している証として、過去の振り返りをする、というのは良いと思うんだよな。
    自分は昨日までの自分よりも成長している、比較すべき対象として頭の中に存在しているのだから。

  • 5月28日 このわがままボディめ

    5月28日 このわがままボディめ

    今日は風が強く、洗濯物がすぐに乾くような天候。
    さっきちょっと走ってきた。近所をぐるっと5km。
    暑くて、途中何度か歩いてしまった。
    なぜ、この苦行を続けるのか、と、自問自答するランニングだった。

    暑いって分かってるのに、なんで走ろうとするんだろう。
    その後に訪れる、爽快感が欲しいとでもいうのだろうか。
    苦しい物事から逃げたくなるのは、生き物の本能だとすると、なぜ、ランニングをする人がこうも多いのだろう。
    みんな、その本能に逆らおうとでもいうのだろうか。

    私は、少しでも健康で、欲を言えばもっとスリムな身体になれたらいいな、と思いながら走っている。
    下半身をたくさん動かすことで得られる基礎代謝の恩恵に預かり、体内で眠っている脂肪が消費されたら嬉しいな、と思いながら走っている。

    だけども全然痩せてくれないんだよね。
    苦行に耐えてこその恩恵があるだろうに、私の身体からは、その脂肪たちが消えてってくれないんだよね。

    いや、わかってる。食生活を見直さなければいけないことくらい、わかっている。
    もっと栄養バランスの良い食事にしないといけないんでしょ。
    お酒も我慢しないといけないんでしょ。
    わかってるんだけどさー。このわがままボディめ。

  • 4月28日 話し相手の気を吸い取ってしまうらしい

    4月28日 話し相手の気を吸い取ってしまうらしい

    人と話しすぎると、疲れる。
    ちょっと久しぶりに、会社の同僚とランチする機会があり、たくさん話を聞き過ぎて、身体がぼーっとしてる。
    こういうことよくあるんだよなぁ。身体の症状を調べると、機能性低血糖の疑いが。知らんけど。

    どうも私は、話し相手の気を吸い取ってしまうらしい。
    重ための相談を受けた後、ずーんと気持ちが重たくなってしまう。
    良いことなのか、悪いことなのか。
    答えはきっとグレーで、どっちとも言えるし、どっちとも言えないんだけど、少なくとも私の身体に症状が出るようであれば、ちょっと避けるようにした方が良いのかな、と思ったりしてる。
    相手が気持ち良くなれるのならそれで良いのかもしれないけれど、時間は万人に共通に分け与えられるリソースだから、私は私のためにその時間を使いたい。

    また、今日、ランチに同席した同僚から、私の相槌の打ち方、共感しようとする力が絶妙で、話してる方は気持ち良くなってしまいずーっと喋り続けてしまうことがあるんです、と言われた。
    私は無意識にやっていることでも、それが相手から言われることで気づく、ジョハリの窓で言うところの、私は気づかない/相手は気づくエリア。
    だけど私は私を労わる必要があるはずで、話を途中で遮ったりして、自分の身体に影響のないように暮らしていきたいなぁ、と指先や手先などの末端が痺れている身体を感じながら、思う。