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  • さよなら、ジャバウォック 伊坂幸太郎 ★★★★☆

    さよなら、ジャバウォック 伊坂幸太郎 ★★★★☆

    マンネリを感じるのはしょうがない、けれど伊坂幸太郎なりの味を確かめるために、もう一度くらい読んでみたい。これぞ伊坂幸太郎だよなと思わせる作品。すごいよね。面白いよね。思いついたことをいろいろ書こうと思う。起承転結などはなし、思いついた順に綴っていこうと思う。

    ジャバウォックというのは不思議の国のアリスに出てくるモンスターで、頭が混乱して何が何だか分からない状態に陥るそうだ。読んでないからわからないけど。

    相変わらずオシャレだなー、と思う。引用する哲学や歴史上の出来事、音楽など、引き合いに出す内容の豊富さに脱帽する。そういう点での知識欲求も満たしてくれるからすごい。
    過去と他人は変えられないというのは私の中での金言になってもいるから、その言葉をここまでフィーチャーしてくれるのは嬉しかった。やっぱそうだよねという気分になった。若干ネタバレになるけれど、その言葉が最後まで引っかかっているような気がして、そしてその言葉が結末の一つを表しているようにも感じた。

    小気味良い会話とかね。歳取ってるのに若々しい女性を描くの好きだよね。モダンタイムスに出てくるオバちゃんのことを思い出したよ。キャラが被るよ。

    先の読めない展開を綺麗に描くのすごいよなぁ。
    張り巡らせた伏線もきちんと回収するし。あの時のあの人がまさか、みたいなのが何度もあった。残り30ページまで、結末が読めない。多分、彼のことだからいい感じに、正義は勝つみたいなエンタメで終わらせるんだろうなと思いつつも、フーガはユーガの時のように双子の片割れがあんなことになってしまって(あの時は悲しかった!)、という結末を描いたこともあるから、もしかしたら今回も?!と半ばドキドキしながら読んだ。
    そして大円団(と言って良いのだろうか)を迎え、いろんなことがネタバレされ、読者の私は安堵したな、みたいな印象を持った。
    だけど正義ってなんなんだろうな、ここ最近の彼の作品には「いろんな面」での正義が描かれることが多いから、彼には彼なりの正義があった訳だし、ただ、それを他人にまで強制するかどうかとか、その辺りの線引きが必要なんだろうな。生きていく上でね。

    人は変われるのだろうかね。
    私の脳が、どこかの研究室のビーカーみたいなやつに電極で繋がれていたとしたら。何度も同じようなことを考えたことがあった。一時、その考えに固執したこともあった、けど、それを考えることの自分は自分自身だというデカルトの説に則って、それを信じることにした。
    思い出を何度も取り出してそれを愛でるのはもしかすると、その時代から飛んできたから記憶が鮮明なのでは、なんてことも考えたことがあったな。ついさっきまでその、思い出した時代に生きていた自分がいて、そこから一瞬で抜け出してきたとかね。証明する術がないから、ただの想像で終わってしまうんだけど。

    星4つにした理由。これは数多の作品を読んでしまったからということもあるのだと思う。私は彼の目新しい部分を少し期待していたけれど、いつもの伊坂幸太郎作品だよね、という点でまとまってしまったという点が、満点を取らなかったということ。あと、若干のファンタジー要素。苦手でして。
    これが最初の伊坂幸太郎です!ここから読みます!という人にとっては、入りやすい作品だと思う。彼らしさが出てるから、これを機に伊坂幸太郎が好きになりましたって人は、違う作品を読んでみることをおすすめする。長編が好きならぜひモダンタイムスへ。ハラハラドキドキしたいのならゴールデンスランバーも良いと思う。同じくらいのボリュームなら前述したフーガはユーガなどかな。

  • 朝を味方につけたい

    朝を味方につけたい

    朝が弱いです。とてつもなく弱いです。布団から出るのが辛くて。在宅勤務の日は、始業時間ギリギリまで布団の中で寝ています。良くないですよね。起きてすぐ仕事なんてできないし。普通に考えたら最低でも1時間くらい前には起きておいて、朝食を摂ったりして、始業に合わせて気持ちを作っていく必要があるのではないかな、なんて思うんです。

    睡眠時間が短い?

    そんなことはなくて、ほぼ毎日、22時には布団に入ってるんです。つまり、22時から翌朝9時まで、10時間くらいは寝ている計算になります。それって45歳男性的には、だいぶ寝過ぎなのではないかと思ったり。だけど私は心療内科で睡眠薬をもらって飲んでいるので、それのせいもあったりするんだろうなと思います。理想的な睡眠時間ってどうなんでしょうね。出社してた頃はだいたい7時間くらいで日々、暮らしていました。それくらいで十分だったような気がします。つまり今は4時間くらい多く寝ているということに。そんなに寝てどうするんでしょうね?どうせその4時間、浅い眠りなはずなんだから、寝なくても良いような気がします。

    疲れが取れていないのか

    私はIT業界で生きる人間ですので、身体的に疲れるということはほぼなく、あるとしたらたくさん頭を使った日に感じる、頭の糖分不足くらいです。ので、少しでも多く寝て疲れを取りたいぜ、ということは考えていないはずです。疲れが取れていないということはなく、

    私の、朝の理想

    理想は7時に起き、次男が学校に出るのと一緒に家を出て(7時40分くらい)、自宅周辺を10kmランニングする、というものです。この時期(1月)はとても寒いので、家を出るのが億劫になりますが、ランナーにとっては今の季節が一番良いことは、私も過去の経験から理解しているつもりです。また、私には「痩せる」という大きな目標があり、それがモチベーションになって、早起きからのランニングというのを今すぐにでも始められるんだよなぁ。

    朝を味方につけるためのステップ

    まず一度、頑張って7時に起きて、走ってみる。目覚まし時計を使う。二度寝しないように気をつける(これが一番難しそう)。走る距離は5kmとかでも良いんだけどこれは自分の感覚で、たぶん大丈夫。朝7時に起きるのが難しいなら8時に起きて、そこから走るでも良いですが、一般的に、7時起きって早起きの部類には入らないですよね、だからいったん7時で。

    もしかしたら目的を見失っているから?

    ちょっと難しい話になるんですが、私が長く寝てしまうのは私の欲望を満たしているからで、別に、私の身体をいじめているワケではないんですよね。私の欲望を満たすために長く寝ているだけで、それは果たして悪いことなのでしょうか。私の目的の設定次第なんですかね。善く生きる、自分が気持ち良いと感じるように生きる、なのであれば、10時間というロングスリープは決して悪いことではないはず。だけど私の中で、それは正しいことだと思っていなくて。だって10時間も寝ちゃったら、残りの14時間でやりたいことをやり切る必要があるから。14時間のうち、8時間は仕事で使っていると、残り6時間でやり切る必要がある、と。これにランニング(+シャワー)で2時間使うと、残り4時間。これでは足りないですね。ゲームしたいし、小説を書きたいし、本を読みたいので。いや、けど、ここで気持ちを切り替えてみよう。10時間を7時間まで減らしたら、24-7=17時間、ここから仕事の8時間を差し引くと残り9時間も残ることができます。これはデカい。

    そもそも睡眠薬を処方されている身体をなんとかすべきでは?

    睡眠薬を飲んでいても、出社して仕事してた頃は7時間睡眠でなんとかなってたんですよね。私の睡眠薬は、長く寝るためではなく、寝つきを良くし、睡眠の質を上げるために使っているから、睡眠時間を減らすことに対しては目的と逆行している、とは言えないです。

    考えがまとまってきた

    考えるより行動を早くしよう、という気持ちが芽生えているので、明日から早速やってみようかな、と思います。二度寝厳禁。そこだけ注意だなー。ここまで考え抜いて、で結局寝ちゃいました、ってことも十分にあり得るからなぁ。今まで何百日も同じようなことを考えてきて、あとはもう行動に移すだけ、まで来たところで足踏みってなってるのが多かったから、今度こそは。ここに書いているという「有言実行性」も私に良い効果をもたらすということを信じて。

  • 6/23 道の駅で苔玉を書いました

    6/23 道の駅で苔玉を書いました

    250円。道の駅って植物が安くて良いですよね。こんなのでもいいお店で買ったら1500円とかするもんな(想像です)。

    トキワシノブの苔玉

    小ぶりなんですけどね。とりあえず水に浸けてみます。きちんと育てられるかなぁ。しばらく楽しみたいと思います。

    とりあえず水に浸けた
  • 8月23日 価値観と視座

    8月23日 価値観と視座

    生きていると、ほんとにいろんなことがある。
    いろんな物事にぶつかり、それを各人が独自に解釈して、思考し、行動へと移す。
    その行動が他人の思いに影響し、伝播し、新たな思考、行動へと向かう。
    いろんなこと、と冒頭に書いたのはなにも特別なことではない。
    今日、起きた時に寝起きが良かったとか悪かったとか、そういう些細なことから生まれる。

    寝起きが良かったから朝ランに出かける。
    たまたま出勤時間の重なった、近所のパパ友に出会う。
    パパ友はそこで「最近運動不足だなぁ、俺も走ってみるか」と感じ、会社帰りにスポーツ用品店へ寄りランニングシューズを買う。
    気を良くしてその日はお酒を飲み過ぎてしまい、翌日、寝起きが悪いため、ランニングには出ない。
    その翌日は雨、で買ったばかりのシューズを濡らすのに気が引けてやめる。
    そのうちに仕事が忙しくなり、運動不足のことを忘れてしまう。
    パパ友はだんだん運動というものを疎ましく感じるようになる。
    ランニングシューズをヤフオクに出品する。
    購入したのはなんと、朝ランに出た私。

    私は、それ以降もランニングに精を出し、やがてフルマラソンに挑戦、無事に完走する。
    パパ友は運動が嫌いになり、運動を趣味にしている人を敬遠するようになる。
    以降、疎遠になり、街ですれ違っても目すら合わせようとしない。
    私は、なにか悪いことをしてしまったのか、全くわからないという「視座」があり、パパ友は、私に対して嫌悪感を抱いていることを露わにするけれど、これが攻撃につながっているわけではないという「視座」がある。

    ニーチェは、「事実はない、あるのは解釈のみ」と語った。
    この、上記の例は私がテキトーに考えただけだけど、お互いの視座があり、価値観がある話だと思っている。
    価値観を合わせるのって難しい。
    価値観の合う人が結婚相手として相応しいとは一般的に思われているが、確かに金銭感覚や趣味に対する考え方、みたいなものは近しいほうが良いだろう。
    だけど少しずれていたほうが、楽しさが増えることだってあるように思う。
    相手のことを深く知り、それによって自分の反応に驚いたりして、新たな価値観を手に入れることだってできるかもしれないからだ。

  • 7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    多分思い過ごしなんだけど、何もここに記さなかった日は、まるで私がこの世に存在していなかったかのような感覚を受ける。
    何かは考えている気がする。
    その証拠に、ほぼ日手帳には何かしら私の言葉が綴られているから。

    昨日までは大阪まで家族旅行で出掛けていて、そのせいで自分を振り返る時間を取るのが難しかった。というのは言い訳で、家族のせいにして自分の時間を取らないということは、ちょっと自分の人生を歩いていない気がして勿体無い。
    自分という人間はこの世に一人しかいないのだから、そして私に与えられた時間は私が生きるためにあるはずだから、それを満喫する必要があるんじゃないかと思う。
    いや、待て、この先に何があるか知ってるぞ私。
    自分の時間を犠牲にして、家族や同僚など、他人のために費やすことで、奉仕の精神のもとで生きていくことになり、そして自分を蔑ろにして自分のメンタルにダメージを与えてしまうんだよな。
    やめよう。自分の時間をきちんと確保しよう。

    一人になりたい、という自分の願望と引き換えに、家族との時間があるのだとしたら、どちらを優先したら良いのだろうと考えることが多かった。
    だけどそれは比較すべきものではない。なぜなら、どっちも同じくらい人生にとって大切なことだから。
    そこで私が、家族のために多く時間を使っていると感じているならば、少し立ち止まって自分の時間を多く確保すれば良いのだ。
    1日は24時間しかないし、1年は365日しかない。
    その中で、自分がやり遂げたいことをきちんと設定して、それに向かって一直線に進めば良いのだ。
    と、自分に言い聞かせ続けて、10年くらいは経ったのではないだろうか。
    なーんにも変わってないんだな。

  • 6月23日

    6月23日

    体調が微妙。
    身体がぼーっとする感覚。風邪をひいたのかなーと思う。
    こういう時は無理せず、こういう時こそ無理せず、ちょうど仕事の切れ目だったので14時で早退。本当は出社する予定だったんだけどそれもとりやめ。
    こんな金曜日でもまぁ、悪くはないと思う。

    ふと、今朝方に見た夢を思い出す。
    情景がありありと思い浮かぶのは、目覚め直前に見ていたからだろうと推測する。
    雑踏。
    背の高く、細いマンション。
    ヘッドフォン。
    マンションの踊り場。
    取り止めのない夢なはずだけれど、果たしてそれが何かしらの意味を作って要るのやもしれぬ、と考えるのはきっと人間だから。
    人間って、取り止めのない出来事が立て続けに起こると、それを結びつけたくなってしまうから。

  • 5月23日 ギンガムチェックの傘

    5月23日 ギンガムチェックの傘

    雨上がりの街。
    水面に残った雨が、水飛沫となって車の後を追っている。
    やがて、静かに空へと舞い上がり、またいつの日か地上に落ちてくるのを待っている。雲の隙間から、ぼんやりと。

    そんな循環を思い浮かべたのは、ついさっき思い出した、死んでしまった母のことがあったから。
    火葬の日、火葬場から舞い上がる煙のようなものが空に昇っていくのを見た。
    それはどこまでも舞い上がっていくように見えたけれど、そのまま宇宙まで飛んでいくとは思えず、どこかの雲に紛れて、母は小さな塵になってしまったのだと思った。
    そうしてまたいつの日か、私の傘にぶつかる雨音が、母の戻ってきた時を感じさせるのだろう。
    それは私にとって楽しみな出来事で、大好きだった母が、私の傘だと思ってくれるように、母が選んだギンガムチェックと同じ模様を何回も買い続けているのだ。

  • 4月23日 自分磨きって簡単なことじゃないよね

    4月23日 自分磨きって簡単なことじゃないよね

    今日は早速、TOEICのリスニングに挑戦した。
    495点で満点のうち、自己採点で385点。
    こんなもんかー!と言うのがとりあえず抱いた感想。

    受けてみて、一番悩ましいのが短時間で多くの問題を解く必要がある点。
    TOEICを受けた人ならわかると思うけど、これはきちんと訓練を
    していきそのペースに慣れるようになっておかないといけない。
    私、飽きっぽいからなぁ、けどこれを地道に続けていけば良いのかな。

    明日以降、取れなかった110点の復習を行い、徐々にこのペースに慣れるとともに、自分のスコアアップに繋げていきたいなぁー。

    実際に受けるのは夏くらいかなぁなんて思ってる。
    TOEICって隔月くらいでやってるんだっけか、ちょっとそこも調べておかないと。

    それにしても、自分を磨く行為ってものすごく大変。
    特にこういう英語とかって、いわゆる一般教養に含まれるのかなと思うけど、会社から「頑張って受けろ!」と言われているわけでもないし、自分で努力していい点を取れるように頑張っていかなきゃいけないというその姿勢を、1日や2日程度ではなくずーっと続けないといけないから、そこに費やす労力とか、その辺を考えるとズーン、ってなる。

    同じようにランニングとかも、自分を磨く一つになるんだよなぁ。
    ここのところだいぶサボってしまっていて、2週間に1回、10kmを走る程度だから、気温が高くなってきたし、そろそろもう一度取り組んでいきたいなぁ。

  • 3月23日

    3月23日

    少し湿った空気。午前にバーっと雨が降った。

    雨が降りそうな空のことを「今にも泣き出しそうな空」と表現することがあるけれど、雨=空の涙と誰が決めたのだろう。
    そんなことを思いながら歩いていたら、大きな水たまりに気づかず足を踏み入れてしまって、買ったばかりのスニーカーが濡れた。まさか、おろした日に水たまりへ侵入するなんて、このスニーカーを作った人ですら思いつかないだろう。

    前を向いて歩くとか、上を向いて、下を向いて、いろいろな方向を見ながら歩くことができるけど、首は180度回転するわけではないから、後ろを見ながら歩き続けることはできない。
    自分の足跡が残されているはずで、その足跡はつまり、あなたが今ここにいるという存在証明になるのだ。だけどその存在証明をはっきりと見ながら生きることができないのは、人間の欠陥なのかもしれない。

    生きる目的を、欲しがる。生きがいも、生きる目的と同様か。
    そんなもの、欲しがる必要なんてないということを理解しているはずなのに、どうしてもそういうものに縋りたくなってしまう。
    自分が、ここに居るということに、自信を持てないから。

    君の足を見てごらん?と空から声が落ちてきた。空耳?と思ったけど周りは時速50Km/hくらいで走る車だけ。もしかしたら誰かが窓を開けて喋ったのかもしれないけど、私にはそのように聞こえた。
    足には、さっき濡れてしまったスニーカー。
    思わず、後ろを振り返る。私の目はすぐに、私のスニーカーを濡らした水たまりを捉えた。
    そうだ、そうなんだ、私の靴は、私があの水たまりを超えたという証明になるんだ。

  • 8月23日

    曇り。少しだけ秋の気配を感じるような質感。
    まだ湿度は高いけれど、それ以上に雲の湿り気が夏の頃のそれとは違う。

    仕事から離れて、3週間。
    今日は診療内科へ行く日。

    どうやって仕事に復帰したら良いのか、そのやり方がよくわからなくなってきそうな気配。
    夏の雲が持つ湿り気ってどんなんだったっけ、っていう程度に、忘れかけている。

    仕事から離れたいのか。戻りたいのか。
    自問自答を繰り返す日々。

    何がイヤなのかさっぱり分からないけれど、「ここからいなくなりたい」という気持ちだけは全くゆるがず、私の心のど真ん中にずどーんと居座り続けている。
    そんなにイヤなの?分からない。
    繋ぎ止めているのは、家族や親類、知り合いという存在だけ。
    その人たちがいなくなったら、

    この世に未練があるのか。good enoughですよもう。満足したよ。

    この辺りを心療内科の先生に話したら、自制する気持ちが負けてしまうようなことがあるとすると、それは入院を意味すると諭され、とりあえずモニタリングすることにしたんだよね先々週。
    メタ的に、自分がどんな気持ちを抱いているのか、ずっと観察してる。