8月28日 私が今までについた嘘

たまに、自分が今までに吐いてきた嘘を思い出しては、死にたくなってしまう。
嘘なんてつかない方が良いに決まっているんだ。
誰にも嘘をつくことなく、生きていけることができたら。
それこそが、善人なんだろうか。
嘘をついてない人なんて、多分いない。
まだ十分に喋ることが出ない赤ちゃんだって、親の気を引くために嘘泣きをすることだってあるのだから。

だからと言って、私のついた嘘が許されるのかというとそれは疑問。
だって私以外の全員が嘘をついたことがある、という相対的な比較しかしていないのだから。

自分のついた嘘って重い。
こんなことになるくらいなら、嘘をつかずに生きてくれば良かった。
どうしたら、倒れそうになる自分を支えることができるんだろうか。

他人と過去は変えられない、とこのブログで書いたのはいつのことだっただろう。
つい最近なように思う。
つまり過去は変えられないのだ。私がいくらここで、自分がついた嘘を悔んだとしても、その事実を変えることはできない。
無数の嘘は、私を苦しめるけれど、その事実を変えられることはできなんだ。
だから、解釈を変えるしかない。
誰かの心に付いてしまった傷を、私が癒すことができたら良いのだけれど。
私がついた嘘で誰かを傷つけてしまったとしたら、その傷はすでに癒えているだろう、と楽天的に考えることができるかもしれない。

未来は変えられるんだとすると、私はここから先、嘘をなるべくつかないで生きていけば良いんだろう。
たぶん、考えすぎているんだと思う。
難しく考えずにシンプルに、真摯に生きていけば良いだけなのではないだろうか。
この先、嘘をつく必要が出てくるかもしれない。けれど、その嘘が誰も不幸にしないのであれば、良いのではないだろうか。
私が今までについてしまった嘘については重たく受け止めておくべきだろう。
だけどその事実を覆すことはできないのだから、私の解釈をポジティブに変えていくようにしよう。