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火曜日

5月30日 仕事の話

やっと火曜日が終わる。この頃になってくると、ようやく1週間が始まった感覚を持つ。月曜日はどうしても力が入らず、惰性で、実際には月曜から金曜まで惰性で暮らすのかもしれないが、なんとなくそんな感覚。今週は何をしよう、と思う。仕事のこと。私の仕事は長い目で見るものなので、1週間の中で物事が完結するということは少ない。だからこそ、今週金曜で終わらせようみたいなものは持っていないのかもしれない。 今は、会社 […]

5月23日 ギンガムチェックの傘

雨上がりの街。水面に残った雨が、水飛沫となって車の後を追っている。やがて、静かに空へと舞い上がり、またいつの日か地上に落ちてくるのを待っている。雲の隙間から、ぼんやりと。 そんな循環を思い浮かべたのは、ついさっき思い出した、死んでしまった母のことがあったから。火葬の日、火葬場から舞い上がる煙のようなものが空に昇っていくのを見た。それはどこまでも舞い上がっていくように見えたけれど、そのまま宇宙まで飛 […]

5月16日 振り返らず 錆びた風は 続くだろう

狂い咲く坂道 笑い出す口笛どこからか聞こえては 埋め尽くす色干からびた空を 焼き付ける THEE MICHELLE GUN ELEPHANT / ダニー・ゴー そのバンドに出会ったのは、私が大学生の頃だったような。バードメンという歌で、彼らを知り、一瞬で好きになった。全員、モッズを彷彿とさせるような細身のスーツ姿。ギターを「かき鳴らす」という言葉がピッタリの、ギャンギャンしたバンドサウンド。ガレー […]

5月9日 後悔は、私が忘れたくないと願った先にあるもの

たびたび、後悔を強く思い出させるような悪夢に苛まれて目が覚めることがある。そんな日は一日、調子が上がらない。そんなことで?と、自分ででも思ってしまう。早く忘れたいのに。アドラー流にいうと、私がそんな出来事を、後悔の一つと考えていたいから、その結果忘れようとしても忘れられていない、つまり私が望んだ結果なのだ、ということになるだろう。 人生の98%はどうでも良いこと、と私の同僚が言っていたことがあった […]

JUnitで出力されたテキストを単体テストする

備忘録のために残します。 作ったファイルは2つ 実際のコード Code.java CodeTest.java JUnitのテスト結果画面 POM これも未来の自分に向けて、残しておこう。Eclipseで、なんか適当なMavenを使ってプロジェクトを作って、どっかのサイトから引用させてもらったものを使ったりして以下を完成させた。

5月2日 キーホルダー

階段を昇っていくと、ちょうど電車が停車しているのが見えた。乗れるのなら乗りたい、と思ったがたまたま、私の前に歩いていた人のリュックについていたキーホルダーが目に入り、そして私は階段でつまづいた。電車は行ってしまった。周りに見られているような気がするのがとても気恥ずかしく、私は「こんなこと、へっちゃらですよ、日常茶飯事ですよ」という、なんてことない素振りをし、気を取り直して残りの階段を昇る。 「運動 […]

4月25日 給料日を迎えて

今月も無事に給料日を迎えることができた。 四十四歳にもなり、家族がいるような身では、給料日だぜー!やったー!みたいな喜びはなく、もっと言うと給料が入ったことにすら気づかないほどの財務状況なので、まぁ、良くも悪くも給料日に執着していないということに喜びを噛み締めるべきなのだろう。それでも少しだけ、給料日を迎えたら自分へのご褒美で、何かしら買うことで、自分が普段頑張って仕事をしていることに対するモチベ […]

4月18日 心療内科の診察待ち

心療内科で診察に入るのを待ってる。気持ちが全くと言っていいほどバレない。 一昨日から。 なんらか、満たされていないと感じている? 今の自分にあるもの、既に満たされてる部分を考えてみよう。もしかすると、これで良いのだ、という気分になるかもしれないから。ないものねだりしても、それが良いプレッシャーになって更に成長できるほどの英気を持っていれば良いけど、そうじゃない時は心を害する敵になるから。 これで良 […]

4月11日

司馬遼太郎の関ヶ原を読み直している。どうする家康で、大河ドラマがやっているから。いつ買ったんだっけなぁ、買った当初は石田三成を推していた頃だったので、家康が悪者に見えてしょうがなかった。ところがそれかr幾年か経ったのちとなる今、それを読み返していると、石田三成の気の効かなさに切なくなってきてしまう。 子供を想う、親の気持ちとも言えるほどの。じれったい、ってやつかもしれないなぁ。まぁ、司馬遼太郎のエ […]

4月4日

この声が、誰かに届いているのだろうか。暗闇の中で、いくら声を張り詰めて大声を出したところで、その先に誰もいなければ結局、私が声を出したことを証明することすらできないのだ。誰もいない森の中で、木が倒れたことを誰も気づかないように。 社会生活を、微力ながら営んでいると、他人がいてこその自分があるという存在証明にぶち当たる。私がいくら有益なツイートをしても、それを読む人がいなければ、誰も気づかない。私が […]