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  • JUnitで出力されたテキストを単体テストする

    JUnitで出力されたテキストを単体テストする

    備忘録のために残します。

    作ったファイルは2つ

    1. Code.java: プログラム本体
    2. CodeTest.java: 1をテストするプログラム

    実際のコード

    Code.java

    package com.example.junit;
    
    public class Code {
    	public String sayHello() {
    		return "Hello, World!";
    	}
    }

    CodeTest.java

    package com.example.junit;
    
    import static org.junit.jupiter.api.Assertions.*;
    
    import org.junit.jupiter.api.Test;
    
    public class CodeTest {
    	@Test
    	public void ハローと返す() {
    		Code code = new Code();
    		assertEquals("Hello, World!", code.sayHello());
    	}
    }

    JUnitのテスト結果画面

    POM

    これも未来の自分に向けて、残しておこう。Eclipseで、なんか適当なMavenを使ってプロジェクトを作って、どっかのサイトから引用させてもらったものを使ったりして以下を完成させた。

    <?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
    
    <project xmlns="http://maven.apache.org/POM/4.0.0" xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance"
      xsi:schemaLocation="http://maven.apache.org/POM/4.0.0 http://maven.apache.org/xsd/maven-4.0.0.xsd">
      <modelVersion>4.0.0</modelVersion>
    
      <groupId>com.example</groupId>
      <artifactId>junit</artifactId>
      <version>0.0.1-SNAPSHOT</version>
    
      <name>junit</name>
      <!-- FIXME change it to the project's website -->
      <url>http://www.example.com</url>
    
      <properties>
        <project.build.sourceEncoding>UTF-8</project.build.sourceEncoding>
        <maven.compiler.source>16</maven.compiler.source>
        <maven.compiler.target>16</maven.compiler.target>
      </properties>
    
      <dependencies>
        <dependency>
          <groupId>org.junit.jupiter</groupId>
          <artifactId>junit-jupiter</artifactId>
          <version>5.7.2</version>
          <scope>test</scope>
        </dependency>
      </dependencies>
    
      <build>
        <pluginManagement><!-- lock down plugins versions to avoid using Maven defaults (may be moved to parent pom) -->
          <plugins>
            <!-- clean lifecycle, see https://maven.apache.org/ref/current/maven-core/lifecycles.html#clean_Lifecycle -->
            <plugin>
              <artifactId>maven-clean-plugin</artifactId>
              <version>3.1.0</version>
            </plugin>
            <!-- default lifecycle, jar packaging: see https://maven.apache.org/ref/current/maven-core/default-bindings.html#Plugin_bindings_for_jar_packaging -->
            <plugin>
              <artifactId>maven-resources-plugin</artifactId>
              <version>3.0.2</version>
            </plugin>
            <plugin>
              <artifactId>maven-compiler-plugin</artifactId>
              <version>3.8.0</version>
            </plugin>
            <plugin>
              <artifactId>maven-surefire-plugin</artifactId>
              <version>2.22.1</version>
            </plugin>
            <plugin>
              <artifactId>maven-jar-plugin</artifactId>
              <version>3.0.2</version>
            </plugin>
            <plugin>
              <artifactId>maven-install-plugin</artifactId>
              <version>2.5.2</version>
            </plugin>
            <plugin>
              <artifactId>maven-deploy-plugin</artifactId>
              <version>2.8.2</version>
            </plugin>
            <!-- site lifecycle, see https://maven.apache.org/ref/current/maven-core/lifecycles.html#site_Lifecycle -->
            <plugin>
              <artifactId>maven-site-plugin</artifactId>
              <version>3.7.1</version>
            </plugin>
            <plugin>
              <artifactId>maven-project-info-reports-plugin</artifactId>
              <version>3.0.0</version>
            </plugin>
          </plugins>
        </pluginManagement>
      </build>
    </project>
    
  • 5月2日 キーホルダー

    5月2日 キーホルダー

    階段を昇っていくと、ちょうど電車が停車しているのが見えた。
    乗れるのなら乗りたい、と思ったがたまたま、私の前に歩いていた人のリュックについていたキーホルダーが目に入り、そして私は階段でつまづいた。
    電車は行ってしまった。
    周りに見られているような気がするのがとても気恥ずかしく、私は「こんなこと、へっちゃらですよ、日常茶飯事ですよ」という、なんてことない素振りをし、気を取り直して残りの階段を昇る。

    「運動不足なんだよお前。なんか運動とかしてんの?」
    お昼に、職場のけいちゃん先輩に、朝かっこ悪いことしちゃいました、と打ち明けたら、そんなことを言われた。運動って。どこまでが運動という範囲なのか分からないけれど、週末はサッカーチームを応援している、くらいかな。めっちゃジャンプして。大声出して。
    それ、結構な運動になると思うんすよねー、と語尾を伸ばして同意を求める。
    けいちゃん先輩は、意味わかんね、と私の意見をすぱっと切った。私の意見が、宙を舞うのが分かる。

    その日を境に、けいちゃん先輩は会社に来なくなった。
    というか、無断で欠勤しているという噂がまことしやかに流れ、一番仲良かったの誰だっけ?と課長からの問いかけに、みんななんとなく私の方を見て、それを察した課長が、最後の日に一緒にお昼ご飯を食べたということでサキ、お前、連絡先とか知ってるのか、ちょっと会社の金使ってでもいいから丸山(けいちゃんは丸山という苗字だった)に会ってきてくれないか、と言われた。
    私からの問いかけに、けいちゃん先輩が応えてくれるかどうか分からないので、まずLINE打ってみてからにさせてください、と線を引いた。
    正直めんどくさかったから、返事なんて来ないほうが嬉しいと思っていたのだけれど、けいちゃん先輩に打ったメッセージはすぐに既読マークがついた。このまま返事来なくても良いんだけどな、と思っている矢先、
    なんだよお前、急にどうした?
    と返事が来た。
    私は、課長に返事が来たことを報告しなかった。
    既読にもならないですねー、と語尾を少し伸ばしつつ、あ、ちょっとトイレに、と言って席を立った。
    どうしたじゃないですよー!3日も会社を無断で休むなんて!逆にどうしたんですか?!
    と、私にしては珍しくびっくりマークを多発させたメッセージを送信した。この間わずか22秒。

    その後、私は腹痛を訴え、仕事を早めに上がらせてもらった。
    「家のドアの開け方がわからなくなってさ」というけいちゃん先輩からの返事に、ただならぬ空気を感じたから。家がどの辺かは分からないけれど、最寄り駅なら分かる。まずそこまで行って、慶ちゃん先輩の様子を(会社に知らせる前に)きちんと把握しておきたかったから。
    私はただの、仕事の後輩であり、恋人関係にあるとか、そういう類のものではない、けれど、課長に指名されたってのも、あの日一緒にお昼を食べたってのもあって、変な使命感に突き動かされているような、死ぬためにセリヌンティウスの元に走るメロスのような感覚を持っていた。
    「ゆめみどう」という、広告。夢見堂なのか、夢御堂なのか、とぼんやり考えているうちに、けいちゃん先輩の住む街の駅に着く。ドアが開く。改札に向かう階段を昇り始めようとした時、私の前を歩いていた人のキーホルダーが目について、私はまたころ、びそうになるのをギリギリのところで回避した。けいちゃん先輩に、今度は転びませんでしたよ、と報告しよう、と心のノートに書き留めた。

  • 4月25日 給料日を迎えて

    4月25日 給料日を迎えて

    今月も無事に給料日を迎えることができた。

    四十四歳にもなり、家族がいるような身では、給料日だぜー!やったー!みたいな喜びはなく、もっと言うと給料が入ったことにすら気づかないほどの財務状況なので、まぁ、良くも悪くも給料日に執着していないということに喜びを噛み締めるべきなのだろう。
    それでも少しだけ、給料日を迎えたら自分へのご褒美で、何かしら買うことで、自分が普段頑張って仕事をしていることに対するモチベーションを作ることができるのかもしれないね。

    と、考えた時、今は何が欲しいのだろうか。
    ちょーっとだけ高い、ウイスキーくらいしか思いつかんね。
    五千円とかの。

    それこそが、幸せなことなのかもしれないなぁ。
    欲しいものがない、満たされている、という幸せ。
    それも考え方の違いで、欲しいものがない=お金を稼ぐモチベーションが足りない=不幸!とも思えるのだから、人生って刺激的だなぁ。

    お金で買えないもので、欲しいものはちょっとあるんだけど。
    時間と、気力。
    特にTOEICを勉強するために必要なものたち。
    平日は仕事をした後に勉強をしよう!という気持ちになるのが難しく、それはその分仕事をきちんと頑張ったからだからしょうがないんだけど、それでも継続して勉強することで自分のプラスになるんだろうから、本当は毎日勉強するくらいの気力と、時間が欲しいんだよなぁ。
    大学の頃とかにもっと勉強しておけば良かったのかもしれない。
    あの頃は気力だって、時間だって、人にあげてもいいほどあったではないか。

  • 4月18日 心療内科の診察待ち

    4月18日 心療内科の診察待ち

    心療内科で診察に入るのを待ってる。気持ちが全くと言っていいほどバレない。

    一昨日から。

    • 眠れない。ほんとに眠れない。いや、眠る気がないの方が正しいのかも。このまま寝てもなー、って感覚。今日に未練が残ってるのかも。なぜ?分からない。仕事の日は家から出てないとか、なんらかの刺激が足りないのかも。お酒、タバコ、ほどほどに受け入れてるのだけど、そういう点での刺激が欲しいわけじゃないのかもしれない。満たされないとか?知らんけど。
    • 仕事に対する不安。仕掛かり中の仕事を無事にやり遂げられるか分からず不安。周りの人からの期待に応えられないかもしれないという不安。
    • 食欲は変わらず。

    なんらか、満たされていないと感じている?

    今の自分にあるもの、既に満たされてる部分を考えてみよう。もしかすると、これで良いのだ、という気分になるかもしれないから。ないものねだりしても、それが良いプレッシャーになって更に成長できるほどの英気を持っていれば良いけど、そうじゃない時は心を害する敵になるから。

    これで良いのだ、ってバカボンのパパだな。赤塚不二夫はすごいね。

  • 4月11日

    4月11日

    司馬遼太郎の関ヶ原を読み直している。
    どうする家康で、大河ドラマがやっているから。
    いつ買ったんだっけなぁ、買った当初は石田三成を推していた頃だったので、家康が悪者に見えてしょうがなかった。
    ところがそれかr幾年か経ったのちとなる今、それを読み返していると、石田三成の気の効かなさに切なくなってきてしまう。

    子供を想う、親の気持ちとも言えるほどの。
    じれったい、ってやつかもしれないなぁ。
    まぁ、司馬遼太郎のエッセンスが入り込んでいるだろうし、そもそも史実の通りに描くことは難しい局面もあるだろう。
    だからこれが石田三成の個性、という一方的な見方で捉えるのもちょっとアレだよなぁと思いつつ。

    もっと、周りに気を配ることができたら、西軍に軍配が上がったかもしれない。そうなったとしたら東京という街は今ほど栄えておらず、滋賀県のあたりが日本の中枢になっていたかもしれないと思いを馳せてみると、この戦いがあったから今の日本になってるんだよなぁと思ったりする。
    たらればだからね。思いを馳せるのは私の自由だけれども。

  • 4月4日

    4月4日

    この声が、誰かに届いているのだろうか。
    暗闇の中で、いくら声を張り詰めて大声を出したところで、その先に誰もいなければ結局、私が声を出したことを証明することすらできないのだ。
    誰もいない森の中で、木が倒れたことを誰も気づかないように。

    社会生活を、微力ながら営んでいると、他人がいてこその自分があるという存在証明にぶち当たる。
    私がいくら有益なツイートをしても、それを読む人がいなければ、誰も気づかない。私がそこにいるという存在証明を、表現することができない。

    結局人生は自己満足の連続だから、私が何を考え、どこで大声をはって発信したとしても、それで話が終わる。
    私が大声を出すという行動で、全てが終わる。

    独りよがりかもしれない。独りよがりに違いない。
    けれど、そこにいたということは、私自身がわかっていれば良いのだから。

  • 3月28日

    3月28日

    大雨の降る空間の上には、太陽が燦々と輝いていると気づいた時に、私の知ってる世界は一部分だけで、その、言わば「無知の知」と言えるような気づきに、私の脳を伝わる電気信号のスピードと密度が上がったような気がした。
    一時期、「アハ体験」と呼ばれたことがあったが、人生において何度かその、脳がアップデートされる瞬間がある。
    おそらくそう思ってるだけで、実際には何も変わっていないだろう。
    私の場合、パキッとした音と共に、ぐわーっと脳がぐるぐるし出す感覚。

    人生において、何度もない機会。

    私は私の意識で生きていて、他の人は他の人の意識の中で生きていることに気づいた時とか。
    みんなそれぞれの人生を歩んできて、いろんな経験をして今のみんなができていると気づいた時。
    それに気づく瞬間、なんか適切な言葉があった気がする、忘れたけど。

    ちょっと脱線するけど、「子供は親を選んで産まれてくるのか」という話。
    私は、意識は後天的に出来上がるものだと思ってる派なので、子供が持つ意識はその親、ないし教育のために近くにいた人から培われるものだから、そう考えると子供は、周りにいる人から唯一無二のものとして作られる。だから、同じ意識を持ったまま、別の親の元で育つということはあり得ない。だから私の答えはノー。というか、親を選ぶという意識はそもそも存在しない。

    難しい。私の意識は、ただ、脳の中で動いている電気信号なのだから、その電気信号のOUTとINを結ぶ経路は私の経験によって作られているはず。その経路は、私が抱いた感情によって徐々に作られていくのだとすると、親とか、周りの人から受けた感情を元にして唯一無二のものとして作っていく。
    その思考回路の癖こそが、まさに私を表現していて、それが個性と呼ぶのかなぁ。知らんけど。

  • 3月21日

    3月21日

    だいぶ長い間、日記をサボっていた。
    サボった理由は特になくて、単に面倒くさくなったから。
    そうやって、いろんなことが中途半端に止まっている。
    別に、義務じゃないからね、いいんだけどさ。
    だけどなんとなく気持ち悪くなって、こうやって数ヶ月ぶりの日記を。

    仕事が忙しくなると、こうやって自分を振り返る時間を疎かにしてしまうところがあるんだよなぁ。
    まぁ、そこが自分のキャパシティなんだろうな。
    糸井重里ってすごいよなぁ。毎日更新してるでしょ。
    いつも考えるタネを自分で見つけて、それについて考えつくところまで、結論が出るまで考えて、文章を綴ってるもんね。

    自分には無理だー、と考えてしまうのは、それは自分を糸井重里と重ねようとしているから。
    別に重ねなくて良いんだし。
    自分には自分のペースがあるんだし。

    こうやってはき出すことで、今日にけじめをつけるみたいなノリなんだけどね。
    何も産まないけど。何かを産む必要なんてないんだけど。

  • 12月27日の日記

    12月27日の日記

    もうすっかり世間は年末気分。

    そりゃそうだ、12月27日なんだから、と思ったが私の中では別に年末だろうがどうでも良く、
    自分が健やかに過ごせれば良いのではないか、と思っている次第。

    仕事はすでに落ち着いていて、今日はずーっとJavaのトレーニングを受けていた(オンライン視聴)。

    暇なほうが嬉しいのか

    それには2パターンあると思っていて、暇だと落ちてしまうか、そうじゃないか。

    「仕事の貧乏性」と言う言葉を5年くらい前に聞いて、はっ、俺、それじゃん、と考えてしまった。
    引用元はどっかで流れてきたTumblrだったような。

    ざっくり言うと、「常に仕事を求めてしまう人」のことを指す。
    何か手持ちの仕事がないと落ち着かないような、ちょっと生き急いでいるんじゃありません?という人。

    私が、その時に自分のことだと感じたのは、暇な時にその時間を満喫することができないから。
    *仕事において

    常に仕事を求めてしまうのは、良いことなのかもしれないけれど、長い人生で見たら暇な時だってあるんだから、そういう時にはきちんと心を休める必要があるんだよな、と今更ながらに感じています。

    そういう意味で今一番近くで働いている同僚は、暇をきちんと満喫できる人なので、彼を見習えば良いのかもしれません。

    どこでそうなってしまったのか

    最近、子供の発達に伴って生まれてくる言動や行動を見てると、私に似てきたな、と思うことが多いです。
    それってやっぱり親の背中を見て育つ、と言うことなのかなと思うのですが、私の性格からすると慎重で怖がりなところとか、やっぱ子供にも伝染するんだろうなと思います。
    慎重で怖がりって長生きするように思うし、良いと思うんですけどね。
    なるべく長く生きるように埋め込まれた私たちの遺伝子として一番真っ当な生き方なのではないかと。
    だって慎重で怖がりだと余計なことをしないし、病気?!って思ったらすぐに病院に行くし。
    たまに男らしく冒険を!とかも考えて、うーん、ってなるんですが、思うだけで実行には移さず。

  • 考え方の癖に気づくための努力

    考え方の癖に気づくための努力

    何度かこのブログでも書いていますが、自分ってネガティブ思考だよな、ということにショックを受け、更にネガティブになっていく、という負のスパイラルに陥っています。

    これは改善しないと、きっと人生がつまらなくなってしまう原因にもなり得るな、と。

    こういう人って一般的には、他人へのアドバイスにはものすごく前向きにできるという話をどっかの記事で読みまして、それを自分に置き換えてみると、確かにそうだよなと思ったりしてます。

    なので、普段はそんなだから、私、ネガティブ思考なんすよね、とカミングアウトするとたいていの場合びっくりされます。
    ホントはそんなことないのにね。

    ネガティブ思考を全否定するつもりはない

    それ自体は、物事を慎重に考えることにつながるので、悪いわけではないんですよね。
    だけど、自分を追い詰めてしまうことに繋がってしまいます。

    だからこそ、ネガティブ思考を受け入れつつ、考え方の癖に気づき、違う観点から思考を変えていくことで、人生が豊かになるのだと信じています。

    例えば、旅先で、雨が降ってきたとしたら。

    あぁ、私が雨男だから、こんな時に雨が降ってしまったぜくっそ、って思うでしょう。

    だけどそれは天気がたまたまそうなっただけであって、私のせいではないはずです。
    だけどネガティブ思考の人は、そんな風に考え方の癖を持っているから、自分は雨男=全部自分が悪いんです、と思うようになってしまいます。
    で、機嫌が悪くなる、と。

    考え方の癖から抜け出してみよう

    これは認知行動療法の本を読んで知ったのですが、自分の考え方ってなかなか自分で見つけることはできません。
    それを見つけるやり方としては、まずネガティブ思考に陥ってしまったことを紙に書き出してみること。
    その次に、その事柄から得られた感情を、パーセンテージ付きで羅列し、自分の感情にはどんなものが含まれているか考えてみることが良いらしいです。
    で最後に、目線を変えてみて、本当に自分のせいなのか?と問いかけてみると、雨が降ったこと自体は私のせいではないよね、と考えに至るのだとか。

    確かに雨が降ったこと自体は、私のせいではないです。
    まぁ百歩譲って雨具の準備くらいはしてきても良かったよな、とさりげなく自分の改善ポイントを見つけつつ、前を向いて歩く、これがポイントです。

    これちょっとやってみようかと思って。
    週に1回か2回くらい、原因不明の憂鬱な気分に陥ることがあるんですが、それにはきっと原因があり、そしてそれが自分のせいなのか、をちゃんとはっきりさせてみようかなと思っています。