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  • 8月6日 あの頃の自分に戻りたいのではなく

    8月6日 あの頃の自分に戻りたいのではなく

    カロリーを控えめにしたから痩せるということではない

    7時くらいに起床。今日は眠気が残った。睡眠ログを見てみると、5時間を切ってる睡眠時間。
    確かにそうだった。昨夜、あまりうまく寝付けず、入眠が遅かった。これは心療内科の薬を飲んでいないということに依るのかもしれない。トレードオフとでも言うべきか。
    ということで在宅勤務に切り替え、二度寝。1.5時間くらい寝たことで、眠気はさっぱりと消えた。

    在宅勤務だと、誘惑が多いということは以前書いた。刺繍とか、iPadとか、手元にそういうものがあるので仕事に集中できない。
    人間っていうのは贅沢な生き物だ。これも最近書いたと思うけれど、私は通勤がとてもストレスだから、作家になって自宅で仕事ができるようにしたいと願っていた。それが叶った今、新たな悩みが生まれたということだ。

    悩みは、自分が成長できるきっかけでもある。悩みで終わらせるのではなく、それを解消するためにどう考え、どう行動していけば良いのかということに繋げれば、その悩みをきっかけとして、前に進むことができる。それはすごいことだ。そんなふうに人間は、死ぬまで成長できる。

    いい感じに仕事をし、お昼に素麺を茹で、19時に仕事終了。まだまだたくさん仕事はあるけれど、けれど今日を終いにするというケジメは、毎日必要な儀式の一つ。

    そこからランニング。今日も5km。期待していないけれど、全く痩せない。
    なんで痩せないの?とAIに聞いたら、彼は、人間はストレスとか睡眠不足、十分なカロリーを摂らないと、サバイバルモードに変わるとのこと。体に溜め込んだ脂肪をなるべく残し、飢餓状態になった時に初めてそれを使う。だから、いい感じにカロリーを摂取して、生きていけば、自然と痩せていくのだと。だからあすけんでは、カロリーが低めだった日に、あまり良い評価が取れないのだなと実感。あのお姉さん、結構厳しめだろと思ったけれど、人間の体を研究していた人のレポートをベースにしているはずだから、あすけんが間違っているということはないのだろう。

    さて、ランニングの話。今日は暑かった。最近は少し涼しい日々が続いていたので、走りやすかったんだけど、今日は暑かった。だからペースは遅め。途中何度か、なんでこんな苦しいと思えるようなことを、ほぼ毎日繰り返しているのだろう、と自分の欲望を訝しんだりした。

    あの頃に戻りたい、じゃなく、今の自分を認めつつ、成長したいという気持ちを持つこと

    あの頃の自分に戻りたい、と願うことは勝手だ。自分の中で、当時を思い返し、充実していたなぁ、と思いを抱く。体は軽いし、走れるし、その頃がよかった、と考える。
    だけどそれは、裏を返すと、今の自分に満足していない、今の自分を否定するということにつながる。
    これはとても悲しいことだ。なぜなら、今の自分が嫌いということになるから。
    それは、快楽と充実という考え方があるそうだ。何それ、と思った。

    快楽と充実について

    ランニングって、なんでこんな辛いのに走るの、この、クッソ暑い真夏。気温30度。なんでなんの得もないのに走るの、と考えた。それをAIにぶちまけたところ、人間には、快楽と充実という考え方があるのだとそう。哲学なのかな?心理学?

    ざっくりいうと、性欲食欲物欲みたいなものは快楽。手に入れた瞬間はとても気持ちが良いけれど、ポイントは、 快楽を追い求めると、満足が逃げるという点。手に入れた瞬間は、めっちゃ嬉しい。だけどそれは際限がない。次を、次を、と考えてしまう。

    一方、充実というのは、例えばランニング。走っている最中とかもめっちゃしんどい。今すぐに歩きたいと考える。しかし、走り終えた後の満足感は、それは体が無意識にもたらしてくれる。苦しいことをやり終えたというハードルもあるのだろう。今日も走れてよかった、と考える。それは体が、快楽だけでは満足しない、ということにつながるそうだ。これが、充実なのだと。

    充実を得る方が、満足度は高い。

    いやけどこの話って難しいよね。今でこそ私、47歳になってそういういわゆる欲みたいなものがなくなってきたから、充実度を向上させるためのマインドセットを醸成することができてきている。だけど若い頃は快楽に溺れたいと考える。人間だもの。それを否定するつもりはない。

    いや、何歳になったって欲に溺れる人はいるだろう。それこそ価値観の問題だから否定するつもりはない。高い酒を飲んで、たくさんの女を抱いて、みたいな典型的な「快楽」を求める人は多い。それはそれで頑張って生きてくれれば良いと思う。

    私は、充実を求める人だ、ということ。

    そして充実を求める人という点で、もう一個メリットがあって、あの頃の自分に戻りたい、ではなく、今の自分を愛し、それを土台にして成長していこうという気持ちを培うことができるということ。
    それはデカい。上述したけれど、今の自分を否定しながら生きていったとしたら、悲しい人生を送ることになる。今の自分を自分で認めていないということは、とても悲しい。今を愛するという点は、自分の成長に大きな武器となるんだな。

  • 走れた日、書けなかった日

    走れた日、書けなかった日

    昨日5km走った。ペースも上がった。一昨日までの自分に打ち勝つことができた。
    距離、ペース共に速かったら他に気にするものなどないだろう。

    だけど、残念ながら、ブログを更新することができなかった。
    会社から帰宅後、すぐに走り、子供と風呂に入り、夕食、そして心療内科の薬を飲んだところで、クレイジージャーニーで砂漠に咲く花のやつやってて、それを観てしまった。
    そして、ちょうど終わることに睡魔。
    ブログを更新するタイミング無し。

    いっそのこと通勤中に更新とかしても良いのかもしれないけどね。
    iPhoneで、フリック入力でも書けるっちゃ書けるんだけど指が痛くなってしまってどうもね。
    たくさんの量を書くとなるとなかなか難しいよな。
    帰宅時にはHHKBを持ち歩いているのだから、どっかカフェとか、テーブルがあるところに寄って書くとかでも良いんだろうけど。
    そんなことするくらいなら早く帰れよって思ったりもして。

    なんの中身もない文を書いているなぁ。

    そして今日の日記。
    今日は仕事で、Excelのピボットテーブルをこれでもかってくらい使いまくった。
    毎日10個くらいのピボットテーブルを作っている気がする。そんな感じの仕事。
    7月に入社して、10月にアサインメントが変わってメインで集計・報告の仕事をするようになってからずーっとそんな感じ。
    最近はパイロットの色彩雫、蛍火を使っている。
    書いている時は薄いなー、って思うんだけど、少し時間が経つとだんだん濃くなっていく気がする。
    それでも濃いめのインクよりは薄いんだけど、仄かに放つ色彩の鮮やかさがとても美しくて癒やされる。

    今日の手書き日記を振り返ると、こんなことが書いてあった。そうだそうだ、出勤時にそんなことを考えていたんだった。
    「昔好きだった人に似ているからという理由で、今いる人を好きになったとしたら、それは失礼なことだ。お前が好きなのは「お前の記憶の中にいる、昔好きだった人」なだけで、今、そこにいる人ではないのだから。
    そりゃそうだ。それはただの未練というヤツだろう。

    では、昔好きだった人を今でも好きだと気付いた場合、人間は、どうしたら良いのだろうか。
    まず、再びアタックするのか(1)、空気がゆっくり抜けていく風船のように、ゆっくりと忘れていくのか(2)。それによって戦略が変わってくる。
    前者、再びアタックしよう!(1)の場合。
    まず、「再び」ということは、一度失敗しているはずである。
    そこでもまた選択肢があって、片思いから告白を経て散ったのか(1-1, 2-1)、それともいったん付き合ったけれどなんらかの理由で別れてしまったのか(1-2, 2-2)。
    こちらの後者、つまり2-2、いったん付き合ったけど別れたパターンでは、そこからやっぱり好きでした、に至るには、振られる、つまり向こうから別れを切り出される方が自然だろう。
    だって自分から振っておいて、やっぱり好きでしたってパターンっての、自分勝手すぎるだろ、と思ってしまう。

    いや。
    うーん。

    考えすぎだろう。というか、風呂敷を広げすぎだろう。

    いや、けどさ、自分から、例えば違う人を好きになっちゃってさ、だけどその後にやっぱあなたが好きでしたごめんなさい、ってこともあるよな。
    相手は振り回されっぱなしだけど。
    相手は、受け身で、自分から行動に移すような人ではないとしたら、一度離れた人が再び自分の元に返ってくるの、実は嬉しかったりするのかなぁ。

    考えすぎた。ちょっと面白かった、この思考実験。

  • インプットが足りてないのかな

    インプットが足りてないのかな

    ここ数日、割と毎日ブログを書いていたものの、今日になってから急に筆が進まなくなりました。
    おそらく、インプットが足りてないからかな、なんて思います。
    私はインプットとして図書館から借りた本とか、Kindleで過去に購入した本などを読み返したりしますが、今日はどんなに過去の資料を読み漁ってもピンとくるものがなく。
    そういう時は、おそらく、インプットが足りてないんだと思います。

    インプットすると、何が良いのか

    インプットインプットと言っていますが、これは「情報を取り入りれる」ということになります。
    かといって適当にインターネットを漁ってみても、そういう、これだ!というものに辿り着かず、時間だけを浪費していて、結局私の身になったかというと、決してそんなことはないんですね。
    いわゆる、心の琴線と言いますか、そういう、私のアンテナに引っかかったものがないと、なかなかそのインプットからアウトプットに持っていくのは難しいように思います。
    そういう時、どうしたらいいか。
    アンテナを低くして、普段の感度よりもいろんなものを吸収しやすくしてみると、良いのかもしれませんけど、そういう時はノイズも入りやすいように感じます。
    そのノイズを、勘違いして「これこそが私の求めていたものだ!」と紐解いてみると、実はそんなことなくて、もともと知っていた知識の二番煎じだったり、そもそも私が吸収すべきものではなかったりと、結果的に時間の無駄で自分の求めていたものではなかったりします。

    ではどうしたらいいのか

    なかなか難しいんですが、私が今まで暮らしてきた中で、ちょっと感じるのは、自分が引っかかりやすい言葉をあらかじめ覚えておくと良いのかもしれません。
    私で言えば、生き方、とか、価値観、とか、事実や解釈、みたいなものは引っかかりやすいです。
    また、趣味で言うと、ランニング、メダカ、盆栽、などと言う感じで、趣味があればあるほど、引っかかりやすいように思います。
    それら全てが引っかかったサイトを全部見にいくのもまた難しいことですので、あらかじめ、そう言うものが投稿されやすいサイトを巡回するようにすると、良いように思います。
    1990年代の頃は、自分のお気に入りサイトをインターネットブラウザのお気に入り登録をして、それを巡回したものです。

    は、結局あの頃と今と、何も変わっていないと言うことなんですかねこれ。
    私は私の生きたいように、生きているだけなんだけど、これはつまり、あのころとそう変わらないということなのではないでしょうか?!

  • 9月6日 真夏のピークが去ると必ず思い出す

    9月6日 真夏のピークが去ると必ず思い出す

    台風の影響だろうか、がくんと音を立てるように涼しくなった。
    久しぶりにエアコンを停止したまま眠れそうな夜。
    気温は25℃とのころ。

    真夏のピークが去った、と歌ったのは誰だろうか。
    若くして夭折してしまった天才は、名曲をいくつか残してこの世を去った。

    夏が終わっていくたびに、彼のことを思い出してしまう。

    茜色の夕日を見ていたら、など、彼が放った詞には季節を鮮やかに形容する言葉が記憶に残る。
    私も季節の移ろいには敏感な方で、それは花粉症などでも気づいたりするのだけれど、四季という季節がある日本に生まれたからこそ、そういう目には見えないけれど感じるものを大切にしたいと思う。

    東京の空だって、星は見えるんだろう。
    田舎にいるからこそ綺麗な星空を観ることができるかもしれないが、東京の華やかな街灯の下でも、キラキラ光る一等星くらいだったら見える。
    有象無象が蔓延る世界にも、それくらい輝いた星ならば、きっと綺麗に見えるんだろう。
    彼はそれくらい輝いていたのかもしれない。

  • 8月6日 無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう

    8月6日 無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう

    誰だって、自分の思いと同じ勢いに対しては、こちらこそが正義だと思ってしまう。
    これは昔からそうで、人間って群れる生き物だし、自分こそが正しいとバイアスがかかってしまうから仕様がないんだけれど、それで数万人の命を奪ってしまうことだって、正義だというのだろうか。
    一体、正義というものを履き違えているんではないかと思ってしまう。

    78年前の今日、日本という小さな島国に、巨大な、邪悪な爆弾が落ちた。これは世界的に有名な話で、その威力に世界中が驚いたことだろう。
    それが、残念ながら1度ではなく、2度もこの国に落ちたという現実に対して、世界は一体どう思っているのだろう。
    無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう。

    そんな過去を背負って生きる義務を負った日本は、その後あっさりと降伏し、世界の負け組となった。
    かつてないほどの威力を持ったその爆弾は、原子爆弾と呼ばれ、人類が作った兵器の中でも類を見ない強さを持った。

    幸運と呼ぶべきか、その原子爆弾という兵器はその後使用されることはなく、現在に至るのだけれど、日本人というアイデンティティを持った私でも、その日まだこの世に生まれていなかった私でも、核兵器を持つべきではないということに賛同している。

    核兵器を持たないべき、という考えは、今ではおそらくこの世に暮らす人間たちの中で大多数を誇る「正義」と呼べるかもしれない。
    今日は、ニュースではそのことをしきりに流しているけれど、私は、私も、私が死んでから、この星に人間がいなくなったあとでも、この核兵器を使うことがないことを切に願う。

  • 6月6日 自分の歩む先を、自分の理想とする方向へと

    6月6日 自分の歩む先を、自分の理想とする方向へと

    あの頃の自分に戻れたら、と自分のふっくらしたお腹を見て思う。
    あの頃、今から10kgぐらい痩せていた頃の体型が、とても大好きだった。

    過去の、自分がかつて歩んできた道の頃を考えてみることは、自分を前進させているのだろうか。
    もしかすると、今の自分という存在を否定しているのではないか、と。

    違うのだ。
    今の私は未来に向かんで少しずつ歩んでいるのであって、過去の自分に戻りたいわけではない。
    たまたま、私の歩んできた道のなかで、「あの頃は良かったな」と思える瞬間を思い浮かべているだけなのだから。

    もしかするとそれは、恵まれていることなのかもしれない。
    自分の思い描く理想を、自分が歩んできた道の瞬間に出会っていたのだから。
    だとすると、今の自分をまず肯定してあげて、あの頃生きていた自分を思い描き、それに向かって進むだけなんだろうな。

    未来って難しい。難しいけれど、未来は359°の可能性に満ちているから、自分の歩む先を、自分の理想とする方向へと足を向けるだけなんだよな。
    もしかすると、私の選択は、未来の方向性を340°狭めてしまうかもしれない。だけど、残り19°あるんだから、そこからまた自分の思い描く方向へと、足を向ければ良いのだろう。

  • 5月6日

    5月6日

    今年のゴールデンウィークも、あっという間に残り1.5日となった。
    別に期待してなかったんだけどね。未練がましく「もっと休みたい」などと考えていても、残酷ながら時間は待ってくれないのだよ。

    休みは、多い方が良いのだろうか。

    きっと人間はないものねだりだから、休みばっかだと、勤労をして誰かのために、社会の役に立つようなことをしなければ、生きた心地がしないのではないか。
    とは言え、決して大きな仕事を成し遂げる必要はなく、ボランティアだって立派な仕事なのだから、社会に奉仕するっていう精神を持ち合わせていた方が、生きるということにハリが出てくるような気がしている。

    いや。

    去年、2ヶ月ばかり会社を休んだのだけれど、あの時は、暇すぎて生きた心地がしないなんてことはなく、それはもしかすると一緒に住む家族のために料理をしたり、車で塾の送迎をしたりしたからかもしれないけれど、

    と思ったけどあの時は自分の気力が100%ではなかったから、社会に奉仕したいぜ、みたいな気持ちが浮かんでこなかったのではないだろうか。

    社会に奉仕するってのも、なかなか気力の要ることだからね。

    一番身近なところで言うと、ベランダに出て深呼吸をし、緑のために二酸化炭素を吐き出すというのが挙げられるような気がする。社会の定義にもよるけれど。

  • 4月6日 長嶋有と私

    4月6日 長嶋有と私

    長嶋有の作品は、いつもすかっとする。
    物語のすかっと性ではなく、歯切れの良い文章を読んだ時に感じる、爽快感。
    必要な言葉が最小限使われていて、物語も短編ということでさらっと読めるし、大好きだ。
    こんな風に文章が書けたら良いなー、と読むたびに思う。

    思うだけではダメで、余計な言葉をなるべく使わないように、日々、魂を綴っている。
    魂を綴る、なんて大それた名前にしてるけど、あまり出し控えせずに心の赴くままに書いていると感じる。
    インターネット上に流れる文章だから、それに合わせたリテラシーは守ってるつもりだけど、逆にいえば、それくらいしか制限をかけていないつもり。

    今日はほとんど家から出なかった。
    出ないから何も書けないかというとそんなことはなくて、顕在化された意識、つまり思いつきは8秒間に1回起きるってどっかで聞いたことがあるので、私の中の気づきはそれくらい起きているんだろうな。
    残念なのがほとんど覚えていないという点で、明け方に見た夢を覚えていれば、それについて文章を書くことだってできたのに。
    いや、良いのだ別に覚えていなくても。その程度のものなんだから。
    そしてこれから死ぬまで、8秒間に1回くらいの頻度で何かを思いついていくんだろうな。ほとんど捨てちゃうんだけど。

  • 福よし 札幌駅西口店でお酒を嗜んだ話

    福よし 札幌駅西口店でお酒を嗜んだ話

    ちょっと札幌に行く用事があり、その夜に久しぶりのソロ飲みをしてきました。

    お店はこちら。

    滞在したホテルが近く、近場で気軽に飲める居酒屋がいいなぁーと
    ぶらついていたところにたまたま発見しました。
    20時すぎの入店で、お店は平日の中日だったこともあり、30%くらいの席が
    埋まっていたように感じました。

    不勉強ながら美唄は焼き鳥が有名だと言うことを知りませんでした。
    農林水産省のリンクはこちら。

    夕張山地に続く山岳兵陵地帯であり、かつては全国でも有数の炭坑の町として栄え、多くの炭坑労働者で賑わっていた。当時の炭坑労働者が好んで食べていたといわれるのが「美唄やきとり」である。いまも「美唄やきとり」は地元のソウルフードとして、子どもから大人まで幅広い世代に食べられている。

    農林水産省のホームページより引用

    その焼き鳥をおまかせ盛りで10本いただきました。
    きちんと火が入っているのに鳥胸肉は柔らかく、間に玉ねぎが挟んであるのですが
    それがまたシャキシャキしててとても良い食感、僅かながら玉ねぎの甘みを感じることができました。

    美唄の焼き鳥はどうやら3本が1セットになっているようです。串を文字で表すのが難しいですが、

    1. 鳥胸 – 玉ねぎ – 砂肝 – 玉ねぎ – 鳥胸
    2. 鳥胸 – 玉ねぎ – キンカン – 玉ねぎ – 鳥胸
    3. 鳥胸 – 玉ねぎ – レバー – 玉ねぎ – 鳥胸

    こんな感じのセット。真ん中に位置する具材が違っているのがミソです。
    このお店では全て塩焼きで提供されましたが、そのせいもありさっぱりとした食感でした。
    キンカンは初めて食べたのですが、コクがあり、高タンパクな雰囲気を纏っていました。

    肝心のお酒ですが、
    瓶ビールから入り、ホッピー、そして旭川の地酒である「大雪乃蔵 純米」をいただきました。
    日本酒の事はあまり詳しくないのですが、コメどころである北海道でもたくさんお酒を作っているところがあるんですね。純米だったこともありこちらもさっぱり目、あっという間にお酒がなくなってしまいました。

    焼き鳥10本おまかせのセット。奥の3本が上述した美唄の焼き鳥セットでした
    元祖美唄のもつ、元祖美唄のせい、というちょっと変わった名前
    こちらが大雪乃蔵。店員さんがギリギリまで注いでくれました。
  • レコーディングダイエット

    レコーディングダイエット

    今日もカロリーの目安を下回っているはずなのに。なのに。