8月6日 無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう

誰だって、自分の思いと同じ勢いに対しては、こちらこそが正義だと思ってしまう。
これは昔からそうで、人間って群れる生き物だし、自分こそが正しいとバイアスがかかってしまうから仕様がないんだけれど、それで数万人の命を奪ってしまうことだって、正義だというのだろうか。
一体、正義というものを履き違えているんではないかと思ってしまう。

78年前の今日、日本という小さな島国に、巨大な、邪悪な爆弾が落ちた。これは世界的に有名な話で、その威力に世界中が驚いたことだろう。
それが、残念ながら1度ではなく、2度もこの国に落ちたという現実に対して、世界は一体どう思っているのだろう。
無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう。

そんな過去を背負って生きる義務を負った日本は、その後あっさりと降伏し、世界の負け組となった。
かつてないほどの威力を持ったその爆弾は、原子爆弾と呼ばれ、人類が作った兵器の中でも類を見ない強さを持った。

幸運と呼ぶべきか、その原子爆弾という兵器はその後使用されることはなく、現在に至るのだけれど、日本人というアイデンティティを持った私でも、その日まだこの世に生まれていなかった私でも、核兵器を持つべきではないということに賛同している。

核兵器を持たないべき、という考えは、今ではおそらくこの世に暮らす人間たちの中で大多数を誇る「正義」と呼べるかもしれない。
今日は、ニュースではそのことをしきりに流しているけれど、私は、私も、私が死んでから、この星に人間がいなくなったあとでも、この核兵器を使うことがないことを切に願う。