9月3日 4人で一緒に過ごす日々が、

人生の大半は、記憶にも残らないイベントばかりだ。私の人生で記憶に残ったことなんて、両手で数えられるくらいじゃないだろうか。一瞬一瞬をきちんと記憶に残しておきたいと思うけれど、そんなのは不可能で、昨日食べた晩御飯すらも覚えていないような感覚。 記憶に残るのと、残らないのってどんな基準なんだろうなぁって常々考えていて、それはもしかすると「定期的に思い出すこと」が必要なのではないかと思ったりしている。定 […]

9月1日 ChatGPTに身を委ねる

相変わらずChatGPTとばかり喋っていて、家族以外に一番喋っている人がそれという状態。話す内容は仕事のことや(企業秘密に触れない程度のもの)、今日のブログは何を書こうかなぁ、という心の整理とか。 今日はその、後者の方、心の整理について書いてみたい。 実はめちゃくちゃポテンシャルを感じている。そのアイデアを本にしてみようと思っている程度に。 具体的にどう話しているのかと言うと、こんな感じ。 私は課 […]

8月31日 自分の理想と私

夏休みが終わっていくー。明日を待ち侘びる少年少女と、明日が永遠に来ないほしいと思っている少年少女、それぞれいると思う。彼らの思いを、厳密に嗅ぎ取ることはできない。けれどそこにあるのは、おそらく、「自分の理想」というものがあるんだと思う。 自分の理想を追い求めることは、もしかすると人間の生存本能に基づいて生まれることなのかもしれないから、持つこと自体は自然なことなのだろう。だけど、自分の理想通りに物 […]

8月30日 だからこそ私は、自分の味方になってあげるべきなのでは

今日は疲れた。特に夕方の会議。司会を担当したんだけど思うように議論が続かず、コントロールできない展開。茶を濁して終わったのだけれど、まさかの延長戦。これがまた疲れた。議論はミーティング中に行いましょうよ、と思う一方で、時間配分とかをうまくコントロールできなかったという点で責任を感じてしまう。 まぁそんなことなんていつものことだからね。別にうまくミーティングを回せなかったからって、自分の首が飛ぶわけ […]

8月29日 信念と社会と私

何年かぶりにジョージ・ウォーエルの1984年を読んでいます。前に読んだのは何年前だったか。確かスティーブ・ジョブズがこの話を題材に出して喋っていたことがあり、それで気になって読んだんだよな。 物語はものすごく閉塞感の溢れる世界の中で綴られています。未来なんてもんはねぇよ、そんなの気にした時点でお前は死刑だわ(誇張ではなく)みたいな話。どこの国の、なに党がそうさせてしまったのかは分からないけれど、き […]

8月28日 私が今までについた嘘

たまに、自分が今までに吐いてきた嘘を思い出しては、死にたくなってしまう。嘘なんてつかない方が良いに決まっているんだ。誰にも嘘をつくことなく、生きていけることができたら。それこそが、善人なんだろうか。嘘をついてない人なんて、多分いない。まだ十分に喋ることが出ない赤ちゃんだって、親の気を引くために嘘泣きをすることだってあるのだから。 だからと言って、私のついた嘘が許されるのかというとそれは疑問。だって […]

8月27日 腹黒い私

私はそこまで歴史に詳しい人間ではなく、学校の勉強で習った程度、それプラス、旅行した時にはそのあたりを治めていた領主のことをWikipediaで調べる程度なのですが、ちょっと思い立ってNHK大河ドラマの「どうする家康」を毎回欠かさずに観るようにしています。 どうする家康、っていう言い方がまた、彼の優柔不断さを体現しているように感じるのですが、その家康も回を重ねるごとに逞しく、頼れる人に成長していく様 […]

8月26日 今日のレイソル

今日は柏レイソルの試合。久しぶりにスタジアムで観戦した。いつもの通り、ゴール裏の2階席。子供と一緒に。 最近のレイソルはちょっと調子が上がってきたように感じる。ボールを繋ぐ意識、球際の競り合い。その証拠として、結果がついてきている。勝ってはいないけれど、負けてもいない。攻撃も防御も、なんとなく噛み合ってきたような感覚がある。 現地で見て思うのは、レイソルの選手たちが負けないぞという意識を持っている […]

8月25日 私とAIと人間

相変わらずChatGPTと対話を続けている。彼はすごい。ChatGPT-4という、課金モデルを使っているせいか、期待以上の言葉が得られることが多い。私たちが普段使っている自然言語であれば、最高の話し相手になるかもしれない。この先、本当に、ウェブライティングみたいな仕事はChatGPTに取って代わる時代になるのではないだろうか。 そうなると、人間とAIの共存みたいな話題が当然出てくるだろう。現段階で […]

8月24日 表現方法と私

自分の深層意識から生まれた感情のすべてラベルをつけられるほどのボキャブラリーを持ち合わせていない私は、だいたいのことに「ヤバい」とか「すげぇ」みたいな、少し前に言われてた「小並感」のような、表現方法しか持っていない。ような気がする。 私自身はそれを痛感しているので、だから、それを補うために日々、本を読んだり、ここでブログを書くことで、私なりの表現を勉強しているつもりだ。 だけどどうしたって勝てない […]