6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

3月21日から始めた、この毎日なにかしらブログを書くということで、「今日なに書こうかなぁ」と考える時間が増えた。
ネタに困る、とシンプルに言うとそういうことも少なくはなく、だけど、日々気になったものや、新たに始めてみようと思うようなことをここに書き留めることで、自分の考えを俯瞰できるような気がしている。
過去に書いた日記を振り返ることは、ほとんどしない。
正直に言うと、昨日書いた日記すら、なにを書いたか覚えていない。
せっかく書いたんだから、と思う一方で、どうせ死ぬまでの暇つぶしで、1日に数万回くらいの発想を無意識に行なっている中で、それが記憶に残る程度まで強かったものだとしても、それがどうした、と考えてしまう。
私としては後者の方が思いとしては強く、ほぼ日手帳にも同じように日記を書いている中で、そちらも気が向いた時くらいしか振り返ったりはしない。
最近投資を新たに始めたので、時系列で追うことで何かが見えてくるかもしれないが、それをやる労力と効果を比較した時に、メリットが感じられないので、まぁいいかと思ったり。

ここで書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記、なにが違うのだろう。
一番最初に思いつくのは、他人が見るかどうか。ここは誰かしら見る場合があるので、書いてることの支離滅裂さはある程度制限させ、私としてはきちんとした文章を書こうと心がけている。
一方でほぼ日手帳のほうは、完全に殴り書き。誰も見ないし。たまーに、書いたところを写真で撮影してツイッターとかにアップロードすることもあるけれど、自分の書く字の輪郭など含めてプライベートに踏み込み過ぎていると考えており、あまり載せるようなことはしていない。
どちらかに寄せても良いのかもしれない、と考えることがある。
今のところはどっちも共存させていくつもりで、その分2倍の労力がかかるのだけれど、思考を外向けと内向けで使い分けることで、お互いの良い面を生かしながら自分の文章を書く力に役立てていけたら嬉しい。

いや、これは自分の文章を書く力として役立っているのだろうか。
このブログだって思いついたことをさらさらと書くだけで、自分のスキルとして身についているのか、甚だ疑問だ。
自分のスキルを測るのって難しいけどね。続けることで、自然と身についていくものなのかもしれないけども。