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魂を綴る

悪い思い出との付き合い方

ここ数日は、自分が過去とどう向き合っていくべきかという点について考えることが多い。 最近、早朝に見る夢の印象が強く残る。季節が春へと移り変わっていくせいだろうか。 春は出会いや別れという点で、様々な思い出がよみがえってくる。良い思い出もあれば、悪い思い出もある。 良いとか悪いという、その受け取り方については、多分、時の移り変わりとともに変わってくることだってあるだろう。だから、今は良い思い出だとし […]

深く考えずに生きることの潔さ

考えすぎは良くない。だいたいのことにおいて考えすぎると、悪い方向へ行きがちである。特に、生きることの目的や、死ぬことへの不安、他人とのこと、この辺りを考えると良くない。昨日のブログでも取り上げたが、過去も良くないだろう。 人間だもの、それらについて何か感じ、そこから何か考えていくことは自然なことなのだと思う。ただそこで、あまり考えすぎないようにするべきで、もっと言うとそれらから何も感じないことが大 […]

日常生活を豊かにすることの意義とか意味とか

手の届く範囲には、全力を尽くす。これはいろいろな哲学の考え方で、基礎となるものだと思う。哲学に正解は無いと思うので、少し濁したけど。 手の届く範囲は、自分の意思でどうにかなる物事。自分の意思、それ自身や、自分が今持つ体力、気力、財力を使って手に入れられる物事。 手の届かない範囲は、自分の意思ではどうにもならない物事。シンプルに言うと、過去と、他人の感情。 私はこのブログで理想論ばかり語っていて、書 […]

勉強って言い方にもやもやする

義務教育では勉強という、あまり好きでないものに取り組むことで、集中力を養うことができるのかな、と考えたことがあった。好きなものではないものでも、とりあえず5分くらい取り組んでみると自然とやる気が出てくるというか、始まるまでの嫌な気分、めんどくさい気分が払拭されると思っていて、それを学ぶための場所なのかな、と。 けれどその仮説は、全く違うように思う。今は。そもそも勉強=あまり好きでないものという前提 […]

人と比べるくらいなら、自分の生を全うしてみろよ

自戒を込めて。 ここ半年くらいで、だいぶ気持ちを切り替えてきているのだけれど、私はすぐ他人と自分を比べてしまうところがあって、自分はダメだと思うこともあれば、逆に、あいつはダメだと思うことがあったりもする。他人と自分を比べることで、相対的に自分が劣っているとか、優れているとか、そんなことを考えてしまうのはもしかしたら人間の性なのかもしれない。人間というか、生き物の性だったりするのかな。 けどそれっ […]

雄弁に語るよりも、傾聴を大切にしたい

このブログは、前置きを必要とする。それくらい怖い。これを表明することに自信がない。賛否両論あるだろう。そもそも賛と否だけで表すことはできない。それこそグラデーションのように、各種様々な意見があるのだろうと推測する。 発端は、自分が成長するためには、どういうインプットと、どういうアウトプットを組み合わせていけば良いのかという自問だった。吸収するだけでは、人は成長しない。暗記しようと英単語帳ばかり見て […]

障子の向こうが見たかったおじいさんのこと

先日Twitter断ちをした時に、彼と同じ心境なのかもな、と思う瞬間があった。何度か。彼は「絶対に見ちゃダメですよ」という忠告を無視し、障子を開けてしまった。そしてその障子の向こうにいた鶴はそれに憤慨し、飛び立ってしまう。 お爺さんはなぜ、我慢できなかったのだろう。人間はなぜ、「やっちゃダメですよ」と制限をかけられたものに対して、強い興味を示してしまうのだろう。 先週、Twitter断ちをした時に […]

頑張れの代役

頑張って、という、相手を応援するための言葉が、容易に使えなくなった。相手への思いやりにかけるから、という理由で。 言葉の流行は、時代の流行でもある。メンタル系の疾患がポピュラーになってきたからこそ、この「頑張れ」が使えなくなってしまったのだろう。 良い傾向なのかもしれないが、一方で、頑張れに代替する言葉が簡単に思いつかないという面もある。言葉の流行に、自分の頭が追い付いていないのかもしれない。 相 […]

可能性の話

不惑というのは40歳のことを指す。これは自分の可能性についてどのように捉えるかという点において、そういう年なのかな、とふと考えた。 自分の将来について、可能性は無限大で、極端なことを言うと死ぬ直前まで自分の将来というものの可能性は無限大に広がっていると考えることもできるのだろう。私は自分が今持っているリソース、例えば身体能力、思考力、財産、家族、といったものの枠を超えて広げて考えるほどの突飛な可能 […]