6月17日 人生の嘘

特に書くことがないので、嫌われる勇気を手に取ってみる。

さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼んだ

嫌われる勇気

ここで取り上げられる「さまざまな口実」ってどんなことだろう。
今はそんな気分じゃないから、と言って、人生のタスクを回避する。
家族との時間を優先したいから、自分のやりたいことを諦める。
うーん、違う。

そもそも「人生のタスク」とは、どんなものを指すんだろうか。
パッと思いつくところで言うと、人生のターニングポイント、誕生から学校での社会生活、就職、結婚、やがて老いていく一連の流れ。
うーん、なんか違う。もうちょっと本から引用してみよう。

では、私は人生のタスクを回避するため、もっと言えば対人関係を回避するため、ただそれだけのために他者の欠点をでっち上げているのだと?そして他者を「敵」と思うことで逃げているのだと?

嫌われる勇気 120ページ

今自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。

同上

ここでは、自分がやり遂げなければいけないことを、本当はやらなきゃいけないことをわかっているのにも関わらず、そこから目を背け、他者のせいにしている、それこそが「人生の嘘」ということになる。

果たして、それは良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか。

まぁ人間って弱い生き物だから、すぐ何かのせいにしたがる。
本当はやらなきゃいけないと分かっているのに、ぐずぐずして先に進まない(進めない)ように自分を慰めている。
わかるよ、人間って弱いから、そうやって自分を守ることだって時には必要だと思うんだよね。
だから、自分や周りに(悪い意味で)適当な口実を作り、だからやれないんだよねー、ということにしているの。
自分を守る、自分を肯定するという意味では良いのかもしれないけれど、全部そればっかりだと、何に対しても逃げる姿勢を持ってしまうのではないだろうか。
アドラー心理学では、人生の悩みはすべて人間関係に起因しているみたいなことを読んだけれど、仮に上記のような、何に対しても逃げる姿勢を持ってしまうことは、いつまでたってもその悩みが解決されることなく、先延ばし、時間が解決してくれると信じてやまないのではないだろうか。

私は、たまにはそういうこともあるよね、と思う一方で、自分の人生に対して正直に生きるべきだよね、とも思う。
果たしてどっちが正解かは、何年後かにわかるんだろう。もしかしたら一生かけてもわからないかもしれない。
だけど、生きていくには、時にはそういうことだって必要なんじゃないだろうか。