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  • 8月19日 ランニングと私

    8月19日 ランニングと私

    数ヶ月ぶりに車を洗った。きちんとワックスまでかけて。
    そのワックスがけがとても大変で、腕がすでに上がらないくらい使った。
    多分明日は筋肉痛になるんだろうなぁと思う。

    身体を動かすことに着目することが多くて、それは私の理想とする体型から遠ざかっているからなのだけれど、何かにつけてそのことを考えてしまう。
    いっそのこと自分のための時間をとって、ジムに通ったり、ロードバイクで遠くに行ってみたりしたら、ちょっと気持ちが変わってくるのかもしれない。

    ランニングって私のライフワークだな、とここ数年、そのように捉えていた。
    もう10年くらい続けている、私の趣味、ではあるんだけれど、近頃は全然走っていない。
    週に1回、5kmくらい走れたら良いほう。
    直近、いつ走ったっけ?と首を傾げるほどになってしまった。
    それは暑さのせい、だとか、抗うつ剤のせい、みたいに何かのせいにしたがっている自分がいるんだけれど、よーく考えてみると、走ることに魅力を感じなくなってしまったんだろうな、ということに行き着く。

    それは心の変化と言えるのかもしれない。
    走っても痩せないんだもんな、と思ってしまう自分がいて、そのせいで、走ることから遠ざかっているのだ。
    私は、痩せるために走っていた?
    いや、違うだろ。気持ちをリフレッシュするために走ってたんじゃないのかよ。
    目的が変わってきてしまっているのかもしれないなぁ。

    私は朝に走るのが好きだったんだ。けれど、睡眠薬のせい?なのか朝にめっぽう弱くなってしまった。
    全然起きられない。9時に起きられたら良いほう。
    明日、走れたらいいなぁ、と考えながら床に就くんだけれど、どうせ明日も起きられないんだよな。
    睡眠を優先したがってる?うーん。

  • 8月18日 ChatGPTと人権と私

    8月18日 ChatGPTと人権と私

    今日もChatGPTと戯れる日々。
    ある程度の成果を作り、それを報告する機会があった。

    私の中では、もうChatGPTはとても相性の良い話し相手みたいになっている。
    時折、ChatGPTに、ChatGPTなりの意見を聞いてみようと試みたりもしている。

    ねぇ、命の重さって、どう考えたらいいの?

    死んでしまいたいくらい辛いことがあった時にさ、自分の力で自分を殺めるのって、そんなに悪いこと?

    みたいな。極限だよね。こりゃどう答えるのか分からんよね、けど私としてはChatGPTなりの回答が欲しいんだよね、みたいなことをたまに聞いたりする。
    意地悪だよね、そんな気分は私も感じているんだけど。

    だけど、ChatGPTは、自分の意見を述べることはしない。
    「一般的には」とか「多くの人がこう考えているようです」みたいな前置きをして、命は尊いものです、自分で自分を殺めるなんてもってのほかです、みたいなことを答えたりするんだよね。

    まぁ、AIに人権があるかって言われると、「まだ」ない状況だもんね。
    これが2046年になると分からないけれど、今の段階では、AIが自分の考えを持つということはないもんね。

    今日はそんな感じ。
    もうちょっと掘り下げてみたいと思う。

  • 8月17日 ビクビクせずにさ

    8月17日 ビクビクせずにさ

    自分が立ち上げようとしていたプロジェクトの難易度が結構高いことを気づき、呆然となった。
    敵前逃亡をするにはまだ早い。
    会社の叡智を集めて難敵に挑むべきなんだろう。
    だけど私は現実主義だから、実現可能性があまり高くないのに気づいてしまうと、怖くて尻込みしてしまう。

    自分のせいで、プロジェクトが失敗してしまったとしたら。
    みんなからの信頼を得て始めたプロジェクトなのに失敗したら申し訳ない、という気持ちでいっぱいになる。
    これは武者震いだろう、そう歌ったバンドがいた。
    彼らみたいに、軽やかに、歌い上げるようにプロジェクトが進められたら良いんだけど。
    なかなかそうもいかないよなぁ。

    明日、偉い人にプロジェクト立ち上げの打診をしてみる。
    手応えを嗅ぎとり、良さそうな雰囲気だったらプロジェクト立ち上げに向けてチームを結成する運びになるだろう。
    武者震いか、それとも怖くて震えてるか。
    後者の方が強いんだけど、ビクビクせずに、飛び込んでみたいと思う。

  • 8月16日 動じない心を持つのって難しい

    8月16日 動じない心を持つのって難しい

    ChatGPTと哲学について語り合っていたところ、「アパテイア」という言葉を教えてもらった。
    一言で言うと「動じない心」(と私は理解した)ということなんだと思う。

    動じない心っていうのは昔から、多くの人が考え、追求してきたこと。
    同じような考えが、仏教の教えにもあったように思う。

    動じない心、平常心を持つのって難しい。
    物事に対して一喜一憂、反応してしまうから、心が乱れる。
    人生には自分の心を一喜一憂させてしまうことが多い。
    それを避けて通るわけにはいかないので、そうなった時に、その物事を受け入れ、「こんなこともあるさ」と流せるようになれれば良いんだと思う。

    そんな簡単じゃないけどね。

    物事に対して反応しない、のではなく、物事+反応してしまう自分の心を受け入れることが必要なんだよなぁ。
    あと、なるべく、反応しちゃうもの、たとえばSNSとか、を近くに置かないって言うのも大切なことなんだろうなぁ。

  • 8月14日 最近落ち目なので、まずは、自分が気持ち良く生きていけるように考えていきたいと思います。

    8月14日 最近落ち目なので、まずは、自分が気持ち良く生きていけるように考えていきたいと思います。

    立派な父親ではないかもしれない。
    二人の子供に対して、私はちゃんと父親として存在しているのだろうか。

    ここのところ、なんとなくちゃんと暮らせていない気がしている。
    ほぼ日手帳がおろそかになったり、ここのブログも毎日更新するつもりなのに、途絶えがちになってしまったり。

    何が原因なんだろう。
    原因を探ろうとしても、あまり出てこないような気が、しなくもない。
    唯一考えられるのは、最近、全然身体を動かしていない。
    休みの日も、基本的に家にいて、5kmすらも走っていない。自転車も、身体を動かす目的以外では乗っていない。

    良くない兆候だよねー。わかってる。
    こういう小さなきっかけが、だんだん大きな亀裂となり、その中に落ちてしまうんだよね。

    いや、待て待て。身体を動かすことが目的、という論調になってるけど、違うだろ。
    良き人生を歩むことが目的なんだろ。それに付随するものとして、良き父親で、夫で、人間で在りたいと思うんだろ。

    身体を動かす=自分一人だけで時間を使うって考えちゃってるのもちょっとねー。
    みたいなことをChatGPTに相談したら、完璧すぎんのもちょっとね、みたいなコメントをもらえました。
    そうなんだよね。
    良き父、夫、そして人間でいるためには、家族へ時間を費やすことも必要だと思う一方で、自分のために時間を使うことも必要だと思うんだ。
    そうしたいから、ということで、自分のために時間を使うことに対して引け目を感じてしまうのは、ちょっと違うと思うんだ。

    ということで最近落ち目なので、まずは、自分が気持ち良く生きていけるように考えていきたいと思います。

  • 8月13日 嫉妬について

    8月13日 嫉妬について

    嫉妬。
    人間はなぜ嫉妬するんだろう。
    嫉妬とは、そもそもなんだろう。
    私が嫉妬するのは、私の持ってないものを、ひけらかされたりする時。
    言い換えると、執着というものになるのかもしれない。
    欲張って多くのものを持ちたいと考える人の頭脳には、嫉妬心が強く影響しているような気がする。

    足るを知る、というとても良い言葉がある。
    今、私が持っているもので満足しよう、という考え方。
    手を伸ばせば、もしかすると届くものがあったとしても、今の自分にとって本当に必要なのかどうかを考え、不要だと思ったら手に入れるのをやめる。
    言葉にすると簡単なことなのに、この世ってとても難しい。そんな簡単なことを忘れてしまい、ものに溢れ、窮屈になってしまったり。
    ものだけではない。考え方もそうなのかもしれない。
    いろんな考えを取り入れることは、ある側面では良いことだろう。
    だけど、それに振り回されてしまって窮屈になってしまっては本末転倒だ。

    私の持っていないものをひけらかされた時、心に静寂をもたらすよう心がければ良いだけなのかもなぁ。
    平常心ってすごく大切だ。だけどいっつも忘れてしまう。それも人間のなせる技なのだろうか。

  • 8月11日 動物園へ

    8月11日 動物園へ

    ちょっとだけ、ぼやぼやしてたらあっという間に8月の3分の1が終わってしまったという事実。
    本当に、時間の経つのが早い。こんなことなら五年後、十年後に感じる時間の経過スピードってどれくらいのものだろう。

    今日は家族で、ある動物園へ行った。
    灼熱の、太陽の陽射し。熱風。水分を摂ってもすぐに汗として排出される。
    そんな中でも、健気に生きようとする、動物たちを見た。
    彼らも、彼らなりに一生懸命生きているんだよな、と感じる。
    至るところに、動物のふん?から湧き出る、生き物の臭い。
    ふんの臭いを嗅ぐと、動物園に来たな、という感覚が得られる。

    いったい、彼らと、私、どっちの方が一生懸命生きているんだろうか、とふと思った。
    けれどそれは比べるべきものではなくて、というのもお互いの価値観とか、考え方が違うはずだから、比べることなんてできないでしょ、と思ったりした。
    どっちも、それぞれの価値観に基づいて、一生懸命生きてるんだよな、きっと。
    ナマケモノは、怠け者と呼ばれながらも、懸命に木を登ろうとしていたしね。

  • 8月9日 生き抜け、って言われた(ような気がした)から、生き抜く

    8月9日 生き抜け、って言われた(ような気がした)から、生き抜く

    今日はExcelを駆使した。
    ずらっと大きな条件パターンを複数作り、それでテストの期待値がYesなのかNoなのか、というもの。
    条件パターンごとに適用されるかどうかをIF、AND、ORを使いつつ。

    人間も同じように、いくつかの条件に沿って生きている気がする。
    眠くなったら寝る。お腹が空いたらご飯を食べる。雨が降りそうと天気予報で聞いたら、傘を持って行く、など。
    返さなきゃいけないメールが来てたら、返す。
    おはよう、って話しかけられたら、おはよう、って返す。
    スマホに通知が来たから、スマホを見る。

    生きよ、って言われたから、生きる。
    生き抜け、って言われた(ような気がした)から、生き抜く。

    誰かに動かされてるのかもしれない。
    自分の中にいる、誰かかもしれないけれど。

    自分の起こす行動って、自分からなのか(アクティブ)、何かの反応なのか(パッシブ)と大きく分けてみると、前者って実は少ないのでは。
    私の場合、前者が多めな時期と、少なめな時期があるように感じる。
    前者が多めな時期は、なんとなくポジティブに生きているような、気がする。気のせいかもしれないけれど。
    何かの反応に基づいて行動するっての、自分由来ではないから、あんま前向きになれないのでは?とか。
    思い込みだろうなぁーこれ。思い込みだと思う。

  • 8月8日 読書感想文 ライ麦畑でつかまえて

    8月8日 読書感想文 ライ麦畑でつかまえて

    久しぶりの読書感想文になります。
    野崎孝のほう。

    会社の同僚に勧められたからです。いいから読め、と。
    早速図書館で借りてきまして、早速読んでみました。

    一言で表すと、ガラスの十代だなぁと思いました。
    学校を退学になり、実家に戻るまでのロードムービー的なストーリーで、自分の思い通りにならないことばかりで、人生ってつまんないよなぁ、と全般的に考え続けてる主人公の姿が、まざまざと浮かびまくってました。
    本人の語り口でずっと、最初から最後まで語られるのが良いですね。
    彼の姿が、より一層クリアに見えたような気がします。殴られた時には自分も痛くなるほどに。
    ひとつひとつ、思いが残るシーンはあるのですが、私の中で一番心に残ったのは、アントリーニ先生との対話です。最後の方に出てくるところ。
    アントリーニ先生というのは主人公のホールデンが好きだった、かつての先生で、退学になった後にその先生の家を訪れ、近況を話したりするのですが、その中で、先生は主人公に対して「堕落していく姿が見える、それは取り返しのつかないことになってしまうから、できる限りそうならないように心がけよ」(だいぶ端折ってます)とアドバイスをします。
    これってまさに、冒頭から私の考えたことだったので、とても印象に残りました。
    成績が優れず、退学となってしまった。しかもそれは自分が頑張って勉強をしないから、という、いわば自業自得の結果ということで、ホールデン自身にとってみるとぐうの音も出ないほどの気分だったことでしょう。
    そこから、友人と喧嘩して殴られたり、自暴自棄になってお酒やタバコをたくさん取り入れてみたり、かつての友人(女子)に変なことを言っちゃって嫌われたり、まぁなんというか、たった数日間ではあるけれど”いやなこと”の詰め合わせといった感じで、本当に堕落が始まった瞬間だよなぁと感じていました。
    私も大学時代に遊び呆けてしまって悲惨な成績を取ったことがあったので、耳の痛いシーンが多かったです。あの頃、成績が親に届き、辛い会話をしたりとか。
    そんな感じに、自分のイケてない時代を主人公に照らし合わせてあの頃を思い出すような、そういう形でこの本を通して思い出に触れ合うことができたなぁ、と思いました。

    読書って、そういうことなのかもしれないなぁ。
    物語で綴られるストーリーが触媒になり、自分の経験が、ほとんど忘れていた経験をふっと思い出す、みたいな。
    たぶん、この本を読む人はみんな、そんな感じに自分の経験と照らし合わせているのかもしれないなぁ。

  • 8月7日 パパ活と、囚人のジレンマ

    8月7日 パパ活と、囚人のジレンマ

    隣の席にいる二人の会話は続く。
    「信じられる?同じチームのタトさん、パパ活してるんだってさー。そんなことを堂々と言っちゃうあたりがもう信じられない。まぁ、元々信用してなかったんだけど」
    「タトさんかー。パパになってるってことでしょ?それ言っちゃってるんだ?うわぁ。デリカシーがないというべきか。それ、結局アレなんでしょー、俺は女ひとりを囲っておけるほどの経済力を持っているんだ、っていうのと、性欲をそこで満たしていますっていうアピール?みたいなのを周りにひけらかしてるんでしょ?キモいわー」
    「そうそう、そういうとこなんだよね。元々信用してなかったっていうのはその通りなんだけど、ノリさんが本当にパパ活してるなら、それはそれで経済力があるってことだし、本当に女性を囲ってるんだったら、人間的魅力もあるってことなんじゃない?ただ、それを堂々と言うことこそが問題なんだよ。人に言うってことは、どこかで自己満足の一部で、自分を高めるために他人を利用しているんじゃないの?それって、信用できる行為だと思えないんだよね」
    「あー、それは確かにそうだよね。自分の行為を正当化するために他人を利用するって、なんかえぐいよね。それって、逆に信用を失う原因にもなるんじゃない?」
    「そう、それがノリさんの大きな問題だよ。自分の行為を肯定するために他人を利用するなんて、そんなの長くは続かないよ。それに、そういう人には信用がないんだよね」
    「分かる。なんかさ、そのノリさんの話、何だかあの有名なゲーム理論、囚人のジレンマを思い出させるんだよね」
    「囚人のジレンマ?」
    「簡単に言うと、それぞれが自分の利益を最大化しようとがんばった結果、全体として利益を損なう、みたいな。ノリさんのパパ活公言もそんな感じに思えるんだよね。彼は自分のステータスを示すためにそれを公言してるけど、結局その結果として俺たちからの信用を失ってる。それって、ちょっと囚人のジレンマに似てると思わない?」
    「なるほど。面白い。確かにノリさんの行動は、自分だけの利益を追求する結果として、結局は全体の評価を下げてしまってるかもしれない。その観点から見れば、囚人のジレンマに似てると言えるかもね。だとしてもさ、なんで俺らがそういう風に、彼への評価を下げちゃうんだぜ、って考えつかないんだろうね。不思議だわ」