8月31日 別に悲しくなんかない
小野寺文宣の、日比野豆腐店、読んだ。
暖かいストーリー。誰も、どこにも悪い人が出てこない。強いて言えば病気。ウイルス。それらが悪い。
大切な人が死んでいなくなった時のことを考える。私が死んだら、とか、奥さんが、子どもが、とか。
それぞれに悲しい。生きている意味なんてないのではと思ったりするかもしれない。
だから、生きている意味を実感し、噛み締めて生きていく必要があるんだろうな。当たり前のこと、家族を引き合いに出したけれど、大切な人、大好きな人が明日も生きているという保証はなくて。
そんなことを考えたらただひたすら悲しくなる。私が死ぬということを考えたとしても、残された家族は、未だ健在な私の両親は、実の姉はどう考え、どう振る舞うのか。考えただけで悲しくなる。
タイだっけ、死がもっと身近な国は。いや、けどさ、身近で、たとえば天国とか、背後霊守護霊とかあるけど、会えないのってやっぱ悲しいわよ。
タイトルに、別に悲しくなんかない、って強がって書いてみたけれど、決してそんなことはないよな。
死んでしまう、もう会うことができないという事実に対して、悲しいという解釈を捻じ曲げて、ふふん、別に悲しくなんかないですよ、なんて言えないよな。
あ、分からない。時間が解決してくれる可能性はある。私の経験で言うと祖父、好きな祖父だった。死んでしまった当時は悲しかった。私が26歳の頃。そして47歳の今、悲しくなんかない。慣れたから。代わりに、祖父との思い出をたまに思い出して、気持ちがホッとしたりする。そんなふうに祖父とはまだ触れ合うことができる。
小野寺文宣さん、そろそろいいかな。6作品くらい読んだ。だいたいわかったって言うとファンの方にそんなことねぇだろ!とお叱りを受けそうだけれど、私の中での理解はだいぶ進んだ。
特徴はいっぱいあって、その中でも象徴的なのは名前をきちんと扱い、大切にすること。フルネーム。きちんとフリガナを付ける。なかなかそこまで大事にする人はいない。唯一なんではないだろうか。
そして、名前の大切さを改めて考えちゃうよね。なんでその名前になったの?とか、そこだけでもストーリーがあるもんね。
海外の人から見ると、外見で、日本人とか韓国人、中国人の違いがわからないと言うらしいじゃない。確かに、私ですらそう感じることもあるよ。そこに登場するのが名前なんだよな。個人を識別するために必要な情報。そしてそのルーツに物語が潜む。
あぁ、良い作品でした。
