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  • 3月21日

    3月21日

    だいぶ長い間、日記をサボっていた。
    サボった理由は特になくて、単に面倒くさくなったから。
    そうやって、いろんなことが中途半端に止まっている。
    別に、義務じゃないからね、いいんだけどさ。
    だけどなんとなく気持ち悪くなって、こうやって数ヶ月ぶりの日記を。

    仕事が忙しくなると、こうやって自分を振り返る時間を疎かにしてしまうところがあるんだよなぁ。
    まぁ、そこが自分のキャパシティなんだろうな。
    糸井重里ってすごいよなぁ。毎日更新してるでしょ。
    いつも考えるタネを自分で見つけて、それについて考えつくところまで、結論が出るまで考えて、文章を綴ってるもんね。

    自分には無理だー、と考えてしまうのは、それは自分を糸井重里と重ねようとしているから。
    別に重ねなくて良いんだし。
    自分には自分のペースがあるんだし。

    こうやってはき出すことで、今日にけじめをつけるみたいなノリなんだけどね。
    何も産まないけど。何かを産む必要なんてないんだけど。

  • 福よし 札幌駅西口店でお酒を嗜んだ話

    福よし 札幌駅西口店でお酒を嗜んだ話

    ちょっと札幌に行く用事があり、その夜に久しぶりのソロ飲みをしてきました。

    お店はこちら。

    滞在したホテルが近く、近場で気軽に飲める居酒屋がいいなぁーと
    ぶらついていたところにたまたま発見しました。
    20時すぎの入店で、お店は平日の中日だったこともあり、30%くらいの席が
    埋まっていたように感じました。

    不勉強ながら美唄は焼き鳥が有名だと言うことを知りませんでした。
    農林水産省のリンクはこちら。

    夕張山地に続く山岳兵陵地帯であり、かつては全国でも有数の炭坑の町として栄え、多くの炭坑労働者で賑わっていた。当時の炭坑労働者が好んで食べていたといわれるのが「美唄やきとり」である。いまも「美唄やきとり」は地元のソウルフードとして、子どもから大人まで幅広い世代に食べられている。

    農林水産省のホームページより引用

    その焼き鳥をおまかせ盛りで10本いただきました。
    きちんと火が入っているのに鳥胸肉は柔らかく、間に玉ねぎが挟んであるのですが
    それがまたシャキシャキしててとても良い食感、僅かながら玉ねぎの甘みを感じることができました。

    美唄の焼き鳥はどうやら3本が1セットになっているようです。串を文字で表すのが難しいですが、

    1. 鳥胸 – 玉ねぎ – 砂肝 – 玉ねぎ – 鳥胸
    2. 鳥胸 – 玉ねぎ – キンカン – 玉ねぎ – 鳥胸
    3. 鳥胸 – 玉ねぎ – レバー – 玉ねぎ – 鳥胸

    こんな感じのセット。真ん中に位置する具材が違っているのがミソです。
    このお店では全て塩焼きで提供されましたが、そのせいもありさっぱりとした食感でした。
    キンカンは初めて食べたのですが、コクがあり、高タンパクな雰囲気を纏っていました。

    肝心のお酒ですが、
    瓶ビールから入り、ホッピー、そして旭川の地酒である「大雪乃蔵 純米」をいただきました。
    日本酒の事はあまり詳しくないのですが、コメどころである北海道でもたくさんお酒を作っているところがあるんですね。純米だったこともありこちらもさっぱり目、あっという間にお酒がなくなってしまいました。

    焼き鳥10本おまかせのセット。奥の3本が上述した美唄の焼き鳥セットでした
    元祖美唄のもつ、元祖美唄のせい、というちょっと変わった名前
    こちらが大雪乃蔵。店員さんがギリギリまで注いでくれました。
  • 内向型の生き方戦略 | 中村あやえもん | ★★★☆☆

    内向型の生き方戦略 | 中村あやえもん | ★★★☆☆

    私は内向的な人間で、だからこそこんな誰も見ていないところで日記を書いているんですけども、
    こういう系の本を読むと、自分はいったい外向的なのか内向的なのか、分からなくなります。

    私の場合、後天的かもしれないですが雑談する場が苦手ではなかったりするので、この本では「雑談が苦手なのは内向的の特徴」みたいに言い切っているので、そういうのを読んでしまうといったいどっちなんだい、と思ってしまいます。

    そうなると先には進めなくなってしまって、何しろこういう決めつけ的なノリがまた苦手なので、どうせ臆病でリスクには敏感で、みたいな論調で先に進んでしまうんでしょ、と思ったりするので。

    内向的なのが嫌だから、この社会で生きていくのに必要だと思ったからそういう雑談とか、大勢の中でも生きていく術を見つけてなんとか生きてきたのに、そういう私の頑張りがもしかして無駄だったのでは、なんて思ったりして。

    違うんですよね、無理しなくても生きていけますよ、ってその生き方を戦略として紹介してくれているのだから、私が読むべきじゃ無いとか、私の生き方が否定されているとか、そういうことを言いたいわけじゃ無いんですよね。わかってるんですけどね。

    そしたらいったい、私はどうやって生きていったら良いのだろうか。今までの生き方で培ってきた雑談スキルは、手放してしまっても良いのだろうか。

    そもそも雑談って、私、好きだったんだっけか。
    いつくらいに手に入れたんだろう。

    雑談している時の自分は、好きなのか

    雑談している時の自分のことを、自分は好きでいてくれているのだろうか、とふと思い至りました。
    雑談するのは、その場の空気を暖めたいからで、なぜなら雑談の無い空気が苦手だからなんだよな。だとすると、雑談の無い空気から避けるために雑談するという「自分の頑張り」を、どう捉えるのか。
    多分私は頑張って雑談をしていて、そうなると、無理して雑談するってことになるような。

    無理して雑談って。そんなとこに無理する必要があんのかい、と。

    けどその場の空気が苦手だから。

    雑談のない空気に耐えるくらいなら、頑張って雑談するくらいの方が自分にとっては心地良いから。

  • 1月1日

    日付なんてものはただの目安なので、年が明けたと言っても

    みたいな屁理屈を考えていたら親の死に目に会えないなんて想像をしてしまった。

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。