8月21日 自分にできることを
7時に起床。いつも通り。もはやいつも通りの習慣になってきた。
起きる時間が一定している、目覚まし時計をかけずに起きられる。これだけで、満たされていると感じる。
心療内科の薬を飲んでいた時代は、こうではなかった。その時代を悪く言うつもりはない。だって今、2026年8月21日まで、私を生かし続けてきてくれた恩人だから。
改めて、自分にできることは、って考える。
当時は、気持ちをなるべく安定化させることに注力し、上がったり、落ちたりしないようにとある種必死な思いで生きていた。それがあるから、今があるわけで。だからむしろ、その頃の自分を尊敬する思いを抱いている。
過去は変えられない。だから執着するのは違う。執着したところで、仮に「あの頃は良かった。あの頃に戻りたい」と思っても、戻ることはできない。
だけど、あの頃の自分を尊敬することはできる。そういう思いを抱いた。今日。なぜか。
私は、過去を味方につけたかったのかな。過去を認めない、と言うのは違う。
うまく言語化できないな。
まず発端に、過去を敵に回したくないという思いがあった。なぜなら今の私を作り上げたのは、間違いなく過去に生きた私だから。
だけど、過去は変えられない。あの時あぁしていれば良かったみたいな、いわば後悔みたいなものは、抱くべきではない。執着するべきではない。どう執着したところで、結局自分の思いと折り合いをつけるしかないから。納得するしかないから。
過去は変えられないけれど、味方につけることはできる。それが言いたかったことなのかもしれない。
そして、今の自分は、未来の自分に対して、過去の自分として味方になれるような存在であるべき。
難しい。どんな生き方をすれば、未来の自分に対して味方になれるのか。わからない。
ここ三週間くらい、この日記にも書いているけれど、週3回の運動習慣と、お酒を飲みすぎないみたいな目標を立てて、それを実行している。前者も後者も、どっちも達成できている。どちらも、最終目標としては、健康な体を作り、維持すること。
お酒を飲むことは、気持ちが良い。気分が良い。だけど私の場合、ハイボールで5杯も飲んだら泥酔し、記憶がなくなる。それって気分が良いを通り越して、気分が悪い状態。今までに電車に乗っている間に気持ちが悪くなり、ホームで吐いたことがある。駅員さんごめんなさい。
気持ちを切り替える、と言ってしまうと簡単なんだけど、そう言うことではない。私は47歳になってわかった。気合いとか根性で心機一転、気持ちを切り替えるというのは、絶対に続かない。もう十分にわかった。
だから、お酒をガバガバ飲んでる時と比べると、いきなりゼロにするのは難しい。絶対に続かない。だから、1日一杯を目安に飲んでいる。
なんかこれ毎日書いてる気がするな。それほど、毎日のように考えているのかもしれない。
それが、2026年8月21日を過ごす47歳のおっさんにできること。
いきなりデカいことをしようとしても、絶対に達成できない。
地味に続ける人が、一番遠くまで行く
というフィンランドの諺を信じる。それが今の私にできることだし、そして将来の私に味方することができると信じる。
なんか、綺麗なこと言ってんなー、と思う。
いつかまた、堕落する日々が訪れるような、そんな不安も抱きつつ。
だけどそれは、仏教の教えで言うところの、ただの妄想なんだよね。それに振り回されて人生を棒に振るのは、きっと良くないことなんだろうな。
今の自分にできることは?をフォーカスして生きていく、それが未来の自分の味方に。

