4月14日 自分探しの旅2023

自由が幸せとは限らない スナフキンの名言 多少の制約があったほうが、人生にハリが出てくるのだろうか。制約があるからこそ、その中での自由を噛み締めることができるような。 昔、奴隷だった哲学者が、主人よりも奴隷の方が自由だ、みたいなことを言ったそうだ。理由は、依存度の違い。主人は奴隷に依存してて、奴隷がいなければその生活がままならない。 現代では奴隷と思えるようなものは見当たらないけど、社長に対しての […]

4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

ふと、気になったサイトの記事。割と有名なメディアサイト「キナリノ」の、「誰かのための人生になってない?幸せな「自分の人生を生きる」ヒント」というタイトルの記事。 誰かのための人生ってなんだろう。自分の人生ってなんだろう。 人間は、自分のために人生を歩んでいると思っている。子供だととてもわかりやすい。自分の欲求を満たすために、自分の欲望に対して真っ直ぐに向き合って生きている。 それが理想だとすると、 […]

4月12日 後悔について

後悔のない人生を歩もうというのは、いったいどういうことなのか。 生きている限り、「あぁすれば良かった」みたいなことは容易に起こり得る。その時に、自分が選んだ道を「間違ってしまった」と考えることこそが後悔で、それは自分を否定し、自分の敵となってしまう。 だけど、その道を選んだ時の自分はきっと、その道が正しかったと思っていたはずで、自ら悪い方向へと導くことは生存本能を鑑みるとしないはず。だとしたら、自 […]

4月11日

司馬遼太郎の関ヶ原を読み直している。どうする家康で、大河ドラマがやっているから。いつ買ったんだっけなぁ、買った当初は石田三成を推していた頃だったので、家康が悪者に見えてしょうがなかった。ところがそれかr幾年か経ったのちとなる今、それを読み返していると、石田三成の気の効かなさに切なくなってきてしまう。 子供を想う、親の気持ちとも言えるほどの。じれったい、ってやつかもしれないなぁ。まぁ、司馬遼太郎のエ […]

4月8日

相変わらず風が強い。春ってこんなに風の強い日が続くんだっけ、と曇り空を眺めながら思った。今にも降り出しそうな空だ。雨は洋服が濡れるから嫌いだ。 ついさっき立ち寄った定食屋に、読みかけの文庫本を忘れたことに気づいたのは、店を出てから数時間経った後のことだった。ぶらぶらとウインドウショッピングをしていたが足の向きを変え、定食屋へと向かった。店は準備中という看板が掲げられていた。腕時計を見ると15時40 […]

4月7日

たまーに、哲学的なことを考えてみたくなってしまう。 自分の意識について。今、私が見ているものは、目から脳に入り、それを意識することで、あ、今、私、ブログを書いてるな、と認識できる。つまり脳がそれを意識しなければ、私は何も見ていないということになる。私の目に入ってくるものでも、今私はディスプレイを凝視しながらブログを書いているけれど、それ以外、視界の端っこに見える本棚は、私はそれに気づいているけれど […]

4月6日 長嶋有と私

長嶋有の作品は、いつもすかっとする。物語のすかっと性ではなく、歯切れの良い文章を読んだ時に感じる、爽快感。必要な言葉が最小限使われていて、物語も短編ということでさらっと読めるし、大好きだ。こんな風に文章が書けたら良いなー、と読むたびに思う。 思うだけではダメで、余計な言葉をなるべく使わないように、日々、魂を綴っている。魂を綴る、なんて大それた名前にしてるけど、あまり出し控えせずに心の赴くままに書い […]

4月5日

辛い時には、涙を流したって良いんだよ。彼だと思っていた人が、私からのメッセージに既読をつけたくせに何も返してこなくなって、そこから2日が経った時、優しかった同僚がそう声をかけてくれた。私は別に、泣くために恋をしているんじゃないんだから。そう心の中で強がると、同僚は少し困った顔をした。 もしかして、彼ではなかったのかもしれない。恋人という定義は人それぞれだから、私にとっては恋人だったけれども、彼にと […]

4月4日

この声が、誰かに届いているのだろうか。暗闇の中で、いくら声を張り詰めて大声を出したところで、その先に誰もいなければ結局、私が声を出したことを証明することすらできないのだ。誰もいない森の中で、木が倒れたことを誰も気づかないように。 社会生活を、微力ながら営んでいると、他人がいてこその自分があるという存在証明にぶち当たる。私がいくら有益なツイートをしても、それを読む人がいなければ、誰も気づかない。私が […]