11月22日 読書感想文 ★★★☆☆ 橋を渡る 吉田修一

ジャケ借り。橋を渡る、ってタイトル、よくないですかみなさん。私は好きです。
橋って「こっち」から「あっち」をつなぐものなんですよね。
「こっち」と「あっち」にはそれぞれ、どんな言葉を入れても良いと思うんですが、そこには「川」という大きな隔たりがあるはずなんです。それをつなぐための「橋」という存在。

私は図書館に行くと、吉田修一のところをチェックする程度に好きです。私は新刊を追うような生活をしていないので新しいのが出たとかは分からないんですけど、それでも普段目にしたことのないタイトルが図書館の棚にあったりすると、おっ、なにこれ、と思ったりします。

それがこの、「橋を渡る」でした。
この、いい感じのタイトル、今まで借りたことあったかなぁ、と最近メモリのアクセス領域が減ってきている私の脳を巡ってみたのですが、記憶にはありませんでした。
借りてみて、読んでみると初見。やった、吉田修一の新しい話が読める、と嬉しかったです。

このお話をざっくり言うといくつかの短編に別れていて、それぞれがビミョー、すっごくビミョーに結びついている群像劇なんです。
そしてこの展開、賛否分かれるだろうなぁーと思いながら読みました。
詳細はネタバレになるので割愛しますが、吉田修一、こんな展開も描くのか!ビックリ!という感じでした。個人的には、現実的路線で行ってくれたほうが気持ち良いなぁと思ったり。

吉田修一さんの好きなところは、必要最低限な描写と、スピード感です。まず描写については、物語を読者が理解するのに必要な分だけ描いてくれるような気がします。私がそう感じているだけかな。もしかすると、「私の知りたい量」と、「吉田修一さんの描きたい量」が一致しているのかもしれません。
しかし、私の知りたい量っていったい、どういうことなんだろう。
私が知りたい=物事を理解したい、というのに、私がタガを外せばいくらでも知識を得ることだってできるんだろうに、そう考えると私も必要最低限しか情報を必要としない人間なのかもしれません。

たまに、いろんなことを知りたがる人っているよなそう言えば。
その情報、今、必要です?みたいな。そこ別に核心じゃないですよ、みたいな。
情報だって断捨離したら良いのに、とか思っちゃう。余計な情報を持ったところで、それをきちんと使うことをしないと役に立たないんじゃない?とか。

余計な情報を得たくないから、SNSをやめてみる、とかね。小説の題材とはあまり関係のないエリアですが、そういうところも小説から学べたりするよなぁ。

ところで、必要十分な情報量ってどうやって調整するんだろうなぁ。
私は吉田修一さんのどこが好きなんだろう。
と思った時に、出てくるのが「スピード感」というワード。
どういうことかと言うと、物語の進むスピードです。そのスピード感が、止まるべき箇所ではきちんと止まり、進んでもいいところではばーっと飛んでしまうところとか。この緩急の付け方で、適切な情報量をコントロールしてるんだとしたら、それはきっとすごいことだと思います。