7月13日 彼のこと

自分に寄り添うことが、必要なんだと思う。
周りからの非難を間に受けて、人生を終わりにしてしまう人が本当に多い。
そうさせてしまった人たちを責めることはここではしない。
私は、その道しか選ばなかった人のことを考えていきたい。

周りからとやかく言われる時って、往々にしてある。
その、匿名の非難をどうやり過ごすかは、この世の中を生きる術の中でも必要なものだ。
時には逃げることだって大事だと、最近は聞くようになってきた。
私が子供の頃は「なるべく学校は休まない」「辛くても前を向く」と言われて育ってきたから、44歳になった今でも、有給休暇を使うことに躊躇してしまう。
自由に取って良い権利なのにね。
休んだら休んだでまた悶々としてしまう。その日まる一日、本当だったらずっと布団の中にいたって良いのだ、と頭では考えるのだけれど、せっかく休みを取ったのだから何かしないともったいない、と行く当てもなく街をぶらついてみたりして、その、何かに追われている感覚を払拭させる。その結果疲れてしまい、そして何の成果もなく、こんなことなら休まなきゃ良かったと後悔してしまう。
人生ってそんなことの繰り返しなのかもしれないけれど、そこで、冒頭に書いたように「自分に寄り添うこと」という目線で、自分に接する必要があるんだと思う。
自分を甘やかす、と言ってしまうと言い過ぎかもしれない。
だけどその甘やかすレベルって人それぞれで、休日にランニングをすることが快感となる人だっているし、一方でランニングなんて苦痛だ、と思う人もいるだろう。
だから、自分を甘やかすことなんて自分の裁量で適当に決めたらいいんだと思う。
辛かったら、SNSをやめたら良かったのだ。
もっというとスマホをぶっ壊して、SNSに没頭したいという欲望を払拭して、外の景色を見たり、家族の笑顔を見たりすれば良かったのだ。
何を言っても遅いけど。

かく言う私も、同じように数ヶ月前に「生きてても全然面白くない」「どうせ全部人生の暇つぶし」だと考えていた。
今でもたまーに、そんなことを考えたりする。だから、と言っては過言だけど、彼の気持ちが少しだけ分かる。
生きててもつまんないもんね。
だけど今はちょっとだけ考え方を変えるようにしている。
面白くない、とか、暇つぶしだとか考えるのは私の勝手で、本当はめっちゃ面白いことを体験しているのに、どこか中途半端に取り組んでいる自分がいて、その瞬間を最大限に楽しんでいないようなことがあったのだ。
だから、その瞬間を、最大限に楽しむようにした。
ランニングもそう。ご飯を食べるのもそう。寝るのもそう。
自分ばっかり楽しんで申し訳ない、みたいな後ろめたい気持ちを持つのも違う。申し訳なくない。自分の人生なんだから、自分が楽しまなかったらそれこそ意味がなくなってしまうだろう。

彼の冥福を、切に願う。
彼がこの世に残したものが、多くの人の心に、片隅にでも残ったら良いと思う。