5月22日 その人の極意

お金を得るためなら、本来は、どんなことだってしても良いのだろう。
私の目には、どこかの企業に就職して、働くことで得られる対価、というイメージが強いのだけれど。
目の前に原稿がある人は作家だし、魚がいる場合は漁業だし、畑が見えるなら農業だろうけど。
それぞれみんな、自分で作ったり、何かを獲ったり刈ったりして得たものをお金に換えている。

お金がなくても、生きていける生活を考えてみる。
いや、全くないというのは難しいから、最低限のお金だけを使う生活を考えてみる。
最低限のお金って難しい。
私の場合、家族がいるので、家の光熱費と、食費は最低限必要だ。それに住宅ローン。
いわゆる「固定費」と呼ばれるあたりのものだろう。
それらがあれば、あとの変動費は、最悪なくても良いのかもしれない。
そう考えると、月20万円くらいあれば、なんとか生きていけそうな気がする。

だけど人間は、裕福に暮らしたい、生活水準をできるだけ高く保ちたいと思ったりもする。
インターネットは使いたいよね。たまにはお酒を飲みたいよね。スマホ使いたいんだけどさ。など。
その辺りから、人生の豊かさみたいなものが生まれてくるような気がする。

気がする、だけで、本当はそんなことはないのだろうか。

貧乏は、心が廃れていく、とどこかのブログで読んだことがある。
貧乏でも、ちゃんと生きていける人だっているのだろう。
飲まず食わずの生活が続く、みたいな場合だけど、生きる以外のことは全部余計なものになるんだろうか。
私は幸か不幸か、そんな状態になったことはないのだけど。
そんな中でも、心は健やかに過ごせるのだとしたら、それはその人の極意なんだと思う。