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  • 6月20日 開き直り、空元気みたいなもの

    6月20日 開き直り、空元気みたいなもの

    天気は今日も軽やかに快晴。
    梅雨の合間の晴れ間って何回書いただろう。

    自分はこうありたい、と考えてみて、それに近づくための努力をする。
    人間は成長する生き物だから、それは自然なことのように思う。
    だけどその目標みたいなものを見失ってしまうと、もしくは、自分の体調的にそこへ辿り着くための道から少し外れなければいけないと考えた時、人間はどうするのだろう。
    多分、停滞する。
    一休みして、また、その道に戻れば良いだろうと考えるはずなんだけど、その道に戻るためのやり方、方法が分からなくなったとしたら。
    仮定ばかりの話をしているけれど、明日は我が身、もしくは現在の自分が、そんな状態に陥っていることだってあるはずだ。

    自分が今、どんな状態なのかすら分からなくなってくると、いよいよ大変。
    周りは日々成長しようとして努力しているのが見えるし、自分はなぜ、と焦ってしまうだろう。
    焦ることでまたエンジンをかけることができれば良いのだ。
    けれど、人間の気力って、不思議なんだけどそういう時に鍵ってエンジンをかけるための鍵が見つからなかったりする。
    自分だけ成長できていないのではないか、と日々自問自答し続け、やがて、焦りから体力までも消耗し、再び立ち上がるまでに長い時間を要することだってある。

    そうなりたくないな、と思っても、勝手にそうなってしまうことだってあるのだ。
    そんな人生。ハードモードすぎるわ。

    もしかすると、そういう時には開き直り、空元気みたいなものが必要なのかもしれない。
    自分を鼓舞する、と書くと言い過ぎかもしれないが、まずは自分を愛することから始め、自分の今置かれている状況をなるべく俯瞰して見えるようにし、また、体力と気力が戻ってきてエンジンをかけられるようになるまで、温存するべきだろう。
    その期間だって無駄じゃないはず。その時にしか見えない景色があるはずだから。鳥の囀り。季節の移り変わり。周りには味方ばかりだ。

  • 6月14日 人生なんて晴れたり曇ったりなんだから、

    6月14日 人生なんて晴れたり曇ったりなんだから、

    雨が、降ったりやんだりを繰り返している。
    近くの道路を走る車の音。果たして今日は、どんな思いを抱くだろうか。

    今日は偉い人とのミーティングで、私が主役になり説明する機会があった。
    こういう時になるといつも緊張してしまう。

    緊張とは。

    何度かこのブログでも書いているけれど、緊張は「いつもとは違う自分、ちゃんとしてるところを見せたいという思い」から生まれるのだそう。
    私にはそういう思いが強いということなのだろうか。
    もうちょっと考えてみると、私は、他人からの承認欲が強いということなのかもしれない。
    承認欲求を他人に求めるというのは、終わりのないスパイラルで、たとえばSNSでいいことを言おうみたいなのもその一つ。
    いいねをもらうために努力するのは、自分を磨くという点では良いのかもしれないけれど、そのために自分の気持ちを蔑ろにしてしまったり、無理をしちゃったりするので、いったん深呼吸をしてみて自分の気持ちに寄り添ってみたりすると良いのだろう。

    それは仕事だけではなく、日常生活のすべてにおいて言えること。

    どちらかと言えば悪く言われることの多い他人からの承認欲、考えるべきは自分からの承認欲を強くもつこと。
    昨日の自分よりも成長することで、自分で自分を承認してあげること。
    泡沫の夢のように、キラキラした自分を見せることも良いことではあるのだけれど、それよりも自分で自分の味方になってあげて、応援する姿勢を持つことが良いだろう。

    って、言うのは簡単なんだけどね。
    他人と触れ合う前提で成り立っているこの社会で、私はどっちを向いて生きていけば良いのだろうか。
    少し立ち止まって、そんなことを考える。人生なんて晴れたり曇ったりなんだから、曇った時にこそ自分で自分の味方になってあげるべきだ。

  • 5月21日 やらないことリスト

    5月21日 やらないことリスト

    今日は家族のうち二人に用事がありそれぞれ出掛けていて、私と次男の二人で過ごしている。
    それぞれ気ままに、時間を過ごす。もうすぐ日が傾いてきそうなこの十六時までで、まだ家から一歩も外に出ていない。
    次男は宿題をしたり、Switchやレゴ、あと昼寝をして過ごした。
    私はピザを作ったり、本を読んだり(Kindle Unlimited に殺戮に至る病が出ていてそれを読んでる)メダカに餌をやったり、観葉植物を見ながらタバコを吸ったり、あとゼルダの新作をしたり。
    お金をかけなくても、こうして気力を回復させることはできるんだよな、と思う。
    別に、それが悪いという訳ではないけれど、家族に付き合って外へ買い物に出掛けたりするの、微妙ながらストレスになっているのかもしれない。そもそも私に欲しいものがないのに、買い物へ出かけることが、良くないのか。

    自分の意に反するような行動は、なるべくやめておくべき、というのが私の哲学なのかもしれない。
    だけど、家族の用事に付き合って出掛けて、人混みに疲れ、私は大した成果も得られずに時間を過ごす、と。
    土日のうちどっちかはそういうことをしても良いけど、残り1日は自分のために使いたいよなぁ。

    そうか、これって「やらないことリスト」になるのか。
    一時期、自分の人生でやらないことリストを作ろう、みたいな自己啓発が流行っているのを目にしたことがある。
    自分にとって気分が悪くなるようなことは、やめよう、みたいな。
    アドラー先生の、嫌われる勇気にも通じるところがあるような気がする。
    自分に被害がないことは、関わらない、みたいな。
    逆に、やると決めたことは、自分の意思を尊重して、やり遂げる必要があるよな。
    途中で力尽きてやめたとしても、それも意思の一つなんだから、それも肯定してあげるべき。

  • 5月19日 誰にも迷惑をかけず、心配をかけずに消えることができるなら

    5月19日 誰にも迷惑をかけず、心配をかけずに消えることができるなら

    記憶に残らない日々の繰り返し。
    長期記憶のトリガーになるような、心が反応するような物事がなく、ただ、時間を過ごしているだけ。
    そんな日々にも意味があるのだとしたら、いったいどんな理由があるんだろう。

    いや、意味なんて必要なくて、死ぬまで生きれば良いだけなのではないか。
    そうやって本質を誤魔化し、食べる、寝るなどの要求をこなすだけ。
    それを数十年繰り返し、人生に諦めがついた時にようやく、呼吸を止めるようになる。

    目をつぶってみて、本当に最近の日々は心に引っかからずに過ごしてきたのか確かめてみる。
    すると、ぽつぽつと浮かび上がってくる、ごく短期的な思い出。
    と同時に、今朝方に見た夢を思い出した。
    路面電車の走る街。
    今いる場所から4つ先にある駅まで歩こうか、電車に乗ってしまうかを迷っている。
    そのそばには堤防が広がり、その先には大きな川が流れているのが容易に想像できる。

    現実に戻り、もしかしたらそれは、都電荒川線の、熊野前付近ではないかと勘繰る。
    夢に見た風景の答え合わせをしたところで、なんのプラスにもならないのは明確だけど、自分にとって思い出の場所ということに、改めて再確認することができる。

    現実が、つまらないのだろうか。
    自分の内面に聞いてみても、良く分からないんだよね、という回答しか思い浮かばない。
    なにか光でもあれば、その指し示す方向に向かって歩いていけるのかもしれない。
    その光は自分で放つべきものなのか。誰かに頼り、照らしてもらっても良いのだろうか。
    心の中にある光。それがないから、心が薄暗くて、自分がどう思っているのか、どう感じているのかすら、その輪郭すらも掴むことはできない。
    何かがあれば楽しい、とか、そういうレベルのものではない気がするんだよなぁ。
    逆にそれは、心の闇とでも言うべきか。
    理性なのか。分からない。消えたくなってくる。誰にも迷惑を、心配をかけずに消えることができるなら。

  • 5月16日 振り返らず 錆びた風は 続くだろう

    5月16日 振り返らず 錆びた風は 続くだろう

    狂い咲く坂道 笑い出す口笛
    どこからか聞こえては 埋め尽くす
    色干からびた空を 焼き付ける

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT / ダニー・ゴー

    そのバンドに出会ったのは、私が大学生の頃だったような。
    バードメンという歌で、彼らを知り、一瞬で好きになった。
    全員、モッズを彷彿とさせるような細身のスーツ姿。
    ギターを「かき鳴らす」という言葉がピッタリの、ギャンギャンしたバンドサウンド。
    ガレージロック。学生時代、カラオケで何度も歌った。
    その中でもダニー・ゴーという歌が、彼らの放った作品の中で、一番好きだ。
    錆びた風。乾いた口笛。
    イントロの、うねるようなベースライン。鳥肌が立つ。
    サビへの流れるようなメロディーライン。ギターソロ。
    調子良い8ビート。
    まるでアメリカの、乾いた地域を真っ直ぐ走っている国道を、古臭い車で爆走しているかのよう。
    私はいつの間にか彼らの音楽から離れてしまったけれど、その間に彼らは解散し、メンバーの一人は死別し、そしてフロントマンの彼は今、ガンと戦っている。
    彼らの残したものは偉大だ。ただのファンが放つ言葉なんて薄っぺらいだけだから、私がここで大声を出して彼らのことを叫んだとしても、誰の目にも、耳にも届かないだろうけれど、私は彼らからそんな景色を受け取った。
    彼らが今、どんな景色を見ているか分からないけれど、彼らの目にも、脳裏にも、そんな、アメリカの、乾いた地域を爆走する景色が浮かんでいると良いなと思う。

  • 5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    チー、と高い周波数の音が聞こえる。
    私の耳鳴りだろうか、いや、今私の目の前にあるディスプレイの音だろうか。

    人生って正解がわからないことが多い。
    正解なんてものは、所詮その人が受け取る解釈のなかで生まれるものだから、私が思った正解が、そういうことになるんだと思う。

    ランニングが私の趣味です、と言い放った過去。
    実際にそういう時期があったのだろうけど、その時の自分と、今のそれでは到底思いもよらないほどに別人のように感じている。
    ランニングへのモチベーションが思いつかないからだ。
    なぜあんなに、走ることが好きだったのだろうか。
    おそらく、走っている時の、自分の身体から感じる筋肉の動き、痛み、苦しさ、そういうところから「私は生きている」というのを感じていたからなように思う。
    今、私は生きているのだろうか。
    その、ランニング中に感じるそれらの物事から遠ざかった今、私が生きているという実感があまり感じられないのである。
    いや、うーん、こうやってブログを書いているときに、私が考えているという感覚は、実は私が生きている証拠なのかもしれない。
    中村一義が、彼の放った歌の中で「そうだ、過去未来を乗せて、列車は走るよ」と綴っていた。
    過去も未来も、列車が走るレールの上で奏でられるもので、全ては地続きということになるのだろう。
    もしかすると、今の私は、途中下車をしている状態なのかもしれない。
    今、生きているという感覚がないのだから。

    だからと言って、決して、生き急ぐ必要はないのだろう。
    この世の中と別れるようなきっかけがないのだから。
    もしその、きっかけが私の目の前にあったとしたら。

  • 5月7日 今の自分は意外と悪くないのかも、と自分に言い聞かせる日

    5月7日 今の自分は意外と悪くないのかも、と自分に言い聞かせる日

    雨。猛烈な雨。
    昨日の真夏日から一転、肌寒い一日。

    今日は柏レイソルの試合があった。
    アウェーで、アルビレックス新潟と。
    大雨のなか、選手たちはピッチ内を駆け巡っていた。
    結果は0-0のスコアレスドロー。
    勝てなくて悔しいような。けど負けなかったから勝ち点1が入り、それで満足かといえば首を縦に振るような状況。
    なんてったって勝ち点1だって欲しいような状況だもんね。

    昨日から、司馬遼太郎の竜馬が行くを読み始めた。
    最初に読んだのは5年くらい前だろうか。
    彼は、興味を引くものには目がなく、当時は船が大好きだったと書かれており、ペリーが乗ってきた黒船見たさに自分の領地から脱走みたいに抜け出し、見に行ったとのこと。
    そこまでの情熱が、今の自分にはあるだろうか。

    また、先ほどBSでフォーミュラEのレースを放映していた。
    ベルリンの、空港跡地で行われていたそれは、40周を数十台のフォーミュラカーが駆け巡っていた。
    そういえば私は中学の頃に友達から借りたF1の録画ビデオを観て、当時は取り憑かれたように、食い入るように見ていた時期があったなぁーと思い出す。
    あの頃は、黒船見たさに藩を脱走した竜馬のような情熱があったのかもしれない。
    高校の頃は、自動車関連の仕事に就きたいと考え、それ系の大学に入ったけれど、そこから紆余曲折ありそれ関連の仕事には就かずに現在へと至っている。
    未練はある?と聞かれても、首を縦に振るようなことはないだろうなぁ。
    時折運転するくらいで十分だね、と返答するような気がする。

    今日でゴールデンウィークが終わり。少し気分は沈んでいる。
    満喫したさ、と思い込むようにしている。
    本当に満喫したと胸を張って言えるようになるためには、何が必要なんだろう。
    どこに行ったって混んでいるだろうから、結果疲れ果てて帰宅するのは目に見えているのに。
    だから、あまり出歩かず、ベランダにいる植物やメダカを愛でたり、こうして自分を振り返る日記を書いたりして気力を復活させようとした方向性について賛同すべきで、こんなはずじゃなかったと後悔しているようでは、せっかく戻りつつあった気力がまた減ってしまうじゃないか。
    自分を肯定するのは、自分を勇気づけてあげることということだ。
    誰かと比較し、私は何も経験をしていないと卑下しているようでは、いつまで経っても大人になれないぞ。どうしても何かと比べたいのなら、過去の自分を比較対象にすべき。意外と、今の自分、悪くないかもよ。

  • 5月3日 スナフキンのような生き方を

    5月3日 スナフキンのような生き方を

    今日は快晴。
    ここのところずっと晴れてるような気がする、けどそれは多分雨だった時間の記憶が薄いからだ。
    この時期は実家に帰省して田植えを手伝っていたのだけれど、両親が田んぼをやめてしまったので、今年からこのタイミングでの帰省はなくなった。

    ゴールデンウィークだから、どっか行かないと!みたいな焦りが、もっと心地良いものだったら良いのに。
    子供がいるせいか、どこかに連れてってあげないと、なんか悪いことをしているような気分になる。多分、ただの思い込み。
    その点、昨年までのように私の実家に帰省して、一泊旅行みたいな形で時間を過ごすことができていたのは、その焦りを紛らわせてくれるための方策だったのかもしれない。

    今日は断捨離をした。
    色々なものを捨て、子供たちがもう読まなくなった本を売り、家がほんの少しだけ身軽になった。
    こういうことをすると、いつもスナフキンのことを思い出す。
    彼は身軽で、いつもリュック1つで世界を旅するような生活をしている。
    もしかすると、彼のように、必要なものって両手で数えられるくらいのものなのかもしれない。
    今の私で考えてみると、

    • スマートフォンと充電器
    • ランニングシューズ
    • 手帳
    • Kindle
    • 洋服

    これくらいかもしれない。あとは花粉症の薬とか、Apple Watchとかを思い浮かべたけれど、それらはなくても暮らせるようなものだ。
    スマホが1番最初に浮かんできたけれど、それってどうなの、と思ってしまう。
    スマホって言ってもやることといえば家族とのコミュニケーションや、Twitterくらいのものだろう。
    家族とやりとりするツールが他にあれば、スマホもいらないかなぁとか思ったりするけれど、やりとり自体も、もしかしたら削れるものなのかもしれない。

  • 5月1日 世界の片隅で、ひっそりと生きていきたいだけなので

    5月1日 世界の片隅で、ひっそりと生きていきたいだけなので

    あっという間に5月。
    朝起きる時や、お風呂に入ろうとする時に感じていた、寒いなぁというのがすっかりなくなり、完全に春爛漫といった暖かさに。
    季節の移り変わりについては一ヶ月に三回くらいはこのブログに書いているのではないだろうか。

    こうして毎日ブログを続けていると、どんなキーワードから検索して、このサイトに来られたのかというのがたまに気になってくる。
    もっぱら、数ヶ月前にちょっとだけハマった「アウトランダース」というiOS用のアプリをどうやって攻略したか、というのを書いていたが、それに関する検索ばかり。
    少ししか載せていないのに、そればかりになるというのも、ゲーム人気ってのはあるんだなー、と思ったり。
    アウトランダース 攻略で検索すると、このサイトがGoogleの1ページ目に出てくるのか!これは嬉しい。

    私は熱しやすく冷めやすいタイプなせいか、すっかりそのゲームに飽きてしまった。
    ある程度のところまでいって、そのゲームがだいたい分かるってとこまで来てしまうと、マンネリ化を感じてやめてしまう。
    そのゲームはApple arcade専用ということなので、それへサブスクで課金しているのがちょっと勿体無いよなぁと思ったりもする。
    他に面白いゲームがあったら良いのかなぁ。
    ニッチなゲームの攻略でアクセス数を稼ぐというのも、ちょっと面白いかもしれない。

    いや、待て待て。私は別にここが有名なサイトになってほしいなんて考えていないぞ。
    今まで、ミクシィやらアメブロ、はてなブログなどいろんなところにブログを書いてきてて、それがつぎはぎだらけになってしまったから、ITの勉強を兼ねて、Wordpressでサイトを作ってみようと思っただけではないか。
    ここが有名になってしまっては困る。世界の隅っこで、ひっそりと生きていきたいだけなので。

  • 4月30日 愛とは、雨の中を一緒に歩くこと

    4月30日 愛とは、雨の中を一緒に歩くこと

    午後から雨。
    穀雨とも言うべきか、静かに、さらさらと降る雨の午後。

    ネタが思い浮かばないので、ピーナッツから名言を拝借。

    Love is walking in the rain together.
    愛とは雨の中を一緒に歩くこと。

    Peanuts

    愛とは、そもそもなんだろう。
    愛とは、見返りを求めずに情を注ぐこと、と考える。
    見返りとは。損得を考えずに、自分の力を注ぐこと。
    自分の力を、ただその人のために注ぐ。
    自分のプラスになるかどうかも分からないのに。
    そんなことって、あり得るんだろうか。

    子供のことを考える。
    子供が雨に濡れないように、そっと傘をさしてあげる。
    自分は濡れても良いけど、子供には雨がかからないようにさす。
    生存本能に従って生きれば、自分は風邪をひかないように、傘を自分にさすはず。
    だけど、子供のために、もしくは恋人のために自分の傘を差し出す、と。

    雨の中を一緒に歩くのであれば、目的地まであとどのくらいか自分で把握しているだろう。
    雨=苦難と考えると、その苦難を一緒に乗り越える存在が、愛を共有すべき存在なのかと。

    なるべく多くの人に、そんな愛を注ぎたいよなと思う。
    家族はもちろんだけれど、自分に余力があれば、その余力をどう定義するかにもよるけれども、なるべく、博愛の精神で生きていきたい。