5月19日 誰にも迷惑をかけず、心配をかけずに消えることができるなら

記憶に残らない日々の繰り返し。
長期記憶のトリガーになるような、心が反応するような物事がなく、ただ、時間を過ごしているだけ。
そんな日々にも意味があるのだとしたら、いったいどんな理由があるんだろう。

いや、意味なんて必要なくて、死ぬまで生きれば良いだけなのではないか。
そうやって本質を誤魔化し、食べる、寝るなどの要求をこなすだけ。
それを数十年繰り返し、人生に諦めがついた時にようやく、呼吸を止めるようになる。

目をつぶってみて、本当に最近の日々は心に引っかからずに過ごしてきたのか確かめてみる。
すると、ぽつぽつと浮かび上がってくる、ごく短期的な思い出。
と同時に、今朝方に見た夢を思い出した。
路面電車の走る街。
今いる場所から4つ先にある駅まで歩こうか、電車に乗ってしまうかを迷っている。
そのそばには堤防が広がり、その先には大きな川が流れているのが容易に想像できる。

現実に戻り、もしかしたらそれは、都電荒川線の、熊野前付近ではないかと勘繰る。
夢に見た風景の答え合わせをしたところで、なんのプラスにもならないのは明確だけど、自分にとって思い出の場所ということに、改めて再確認することができる。

現実が、つまらないのだろうか。
自分の内面に聞いてみても、良く分からないんだよね、という回答しか思い浮かばない。
なにか光でもあれば、その指し示す方向に向かって歩いていけるのかもしれない。
その光は自分で放つべきものなのか。誰かに頼り、照らしてもらっても良いのだろうか。
心の中にある光。それがないから、心が薄暗くて、自分がどう思っているのか、どう感じているのかすら、その輪郭すらも掴むことはできない。
何かがあれば楽しい、とか、そういうレベルのものではない気がするんだよなぁ。
逆にそれは、心の闇とでも言うべきか。
理性なのか。分からない。消えたくなってくる。誰にも迷惑を、心配をかけずに消えることができるなら。