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  • 7月16日 ときめくかどうか

    7月16日 ときめくかどうか

    足るを知る。
    物欲はキリがないけれど、それは今の私に足りないと勝手に考えているからであって、実際はそんなことなくて、単純に「今持っているものに飽きてしまった」ということなんだと思う。
    飽きてくるのはしょうがないことなんだろうなぁ。
    慣れてしまって、その物から刺激を受けることが少なくなってきた、ってことが根底にあるんだと思う。
    そうやって、物事に飽きて新しいものが気になってくるからこそ、この消費社会が成り立っているんだよなぁ。

    こんまりさんが書いた本の中では、心がときめくかどうか、というのを一つの観点として挙げていたんだよなぁ。
    ときめくからまだ持ってる、逆にときめきを感じなくなったら、もうそれとはさよならをする、といった具合に。
    その時に、ものから離れにくい人ってどうしたっているんだよね。
    いつか必要とするかもしれないから、といった具合に。
    断捨離の精神では、過去1年間で使わなかったものはこの先もずっと使わない、と割と強い姿勢を見せていた。
    私はちょっとそこはダウトだと思っていて、3年経った今、急激に必要になりました、みたいなことだってよくあるんだよな。
    捨てる時にはそういう、次必要となった時には書います、という覚悟とともに捨てるわけだけど、それって自分の財産を削って買ったものなのに、もう1度財産を削ることになるわけだから、勿体無いなぁ、と感じてしまう。

    いや、だからこそなのかもしれないけど、次必要となる時にはもう買わないで、代替品や、もしくは、それが必要とならない生き方を考えていけば良いのかもしれないよなぁ。
    一度捨ててしまったものとは、それっきりの縁でした、となるわけだし。

  • 7月13日 彼のこと

    7月13日 彼のこと

    自分に寄り添うことが、必要なんだと思う。
    周りからの非難を間に受けて、人生を終わりにしてしまう人が本当に多い。
    そうさせてしまった人たちを責めることはここではしない。
    私は、その道しか選ばなかった人のことを考えていきたい。

    周りからとやかく言われる時って、往々にしてある。
    その、匿名の非難をどうやり過ごすかは、この世の中を生きる術の中でも必要なものだ。
    時には逃げることだって大事だと、最近は聞くようになってきた。
    私が子供の頃は「なるべく学校は休まない」「辛くても前を向く」と言われて育ってきたから、44歳になった今でも、有給休暇を使うことに躊躇してしまう。
    自由に取って良い権利なのにね。
    休んだら休んだでまた悶々としてしまう。その日まる一日、本当だったらずっと布団の中にいたって良いのだ、と頭では考えるのだけれど、せっかく休みを取ったのだから何かしないともったいない、と行く当てもなく街をぶらついてみたりして、その、何かに追われている感覚を払拭させる。その結果疲れてしまい、そして何の成果もなく、こんなことなら休まなきゃ良かったと後悔してしまう。
    人生ってそんなことの繰り返しなのかもしれないけれど、そこで、冒頭に書いたように「自分に寄り添うこと」という目線で、自分に接する必要があるんだと思う。
    自分を甘やかす、と言ってしまうと言い過ぎかもしれない。
    だけどその甘やかすレベルって人それぞれで、休日にランニングをすることが快感となる人だっているし、一方でランニングなんて苦痛だ、と思う人もいるだろう。
    だから、自分を甘やかすことなんて自分の裁量で適当に決めたらいいんだと思う。
    辛かったら、SNSをやめたら良かったのだ。
    もっというとスマホをぶっ壊して、SNSに没頭したいという欲望を払拭して、外の景色を見たり、家族の笑顔を見たりすれば良かったのだ。
    何を言っても遅いけど。

    かく言う私も、同じように数ヶ月前に「生きてても全然面白くない」「どうせ全部人生の暇つぶし」だと考えていた。
    今でもたまーに、そんなことを考えたりする。だから、と言っては過言だけど、彼の気持ちが少しだけ分かる。
    生きててもつまんないもんね。
    だけど今はちょっとだけ考え方を変えるようにしている。
    面白くない、とか、暇つぶしだとか考えるのは私の勝手で、本当はめっちゃ面白いことを体験しているのに、どこか中途半端に取り組んでいる自分がいて、その瞬間を最大限に楽しんでいないようなことがあったのだ。
    だから、その瞬間を、最大限に楽しむようにした。
    ランニングもそう。ご飯を食べるのもそう。寝るのもそう。
    自分ばっかり楽しんで申し訳ない、みたいな後ろめたい気持ちを持つのも違う。申し訳なくない。自分の人生なんだから、自分が楽しまなかったらそれこそ意味がなくなってしまうだろう。

    彼の冥福を、切に願う。
    彼がこの世に残したものが、多くの人の心に、片隅にでも残ったら良いと思う。

  • 7月10日 成長したいと考えることは、きっと自然なことなんだよ

    7月10日 成長したいと考えることは、きっと自然なことなんだよ

    時間は止まってくれない。
    つい最近、「今年も半分が過ぎてしまったかー」と思ったばかりだったが、そこからさらに、残りの6分の1のうち、3分の1が終わってしまった、ということになる。
    生活は高望みせず、自分の手が届く範囲で暮らしているから、何一つ不自由のない気持ちで過ごしているけれど、それでもこうやって一日一日を無意識のうちに過ごしているとなると、少しだけ歯痒くもある。
    だけどこの、なんとなく日々を、時間を無駄にしていやしないか感というのは古代ローマ時代の頃からあったというし、そこから数千年を経た現代でも同じようなことを考える人間は多いと思うから、人間の思考っていうのはあんまり進歩していないかもしれんよね。

    日々を、時間を無駄にしていると感じるのは、良いことなのだろうかね。
    これは言い換えるとマンネリ感だとか、そういう壁にぶつかっている時なのかもしれないよなぁ、と考えたわ。
    今という現状を打破したいと思う気持ちが根底にあって、それに引きずられるようにして「今のままじゃダメだ」と考えるようになっているのではないだろうかね。心理学とか勉強したことはないのだけれど、なんとなくそんなふうに思ったりする。

    別に、今のままでもいいんじゃないの、と思う自分もいるけどね。
    上述した通り、今の生活に対して不満を持つことなく、ぼんやりと過ごせているのだから、この生活を守るような生き方をしていければ良いのではないだろうか。
    知らんけど。

    けど、人間って成長する葦って、かの有名な人が言ったように、死ぬまで成長できる生き物だと思ったりしててさ。
    身体的な成長は歳をとるにつれて緩やかになっていくだろうけど、そこから先は気力が成長していくのではないかな。
    私は44歳で、今、もしかすると、後から気づくのかもしれないけれど、気力・体力その他諸々の力が共に、充実しているタイミングだと思ってやまないんだよなぁ。

  • 7月9日 完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊

    7月9日 完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊

    木曜日、金曜日と飲み会が続き、家に着いたのはいずれも0時を回っていた。
    そんな暴飲暴食の2日を経て、この土日は気持ちと身体を休める休息日とした。
    飲み会は嫌いではないんだけれど、やっぱりどうしたって気を遣ってしまって、途中からは酒を飲んでいるのか、それとも酒や空気に飲まれているのかわからない状態になってしまう。そしてぐったりする。
    疲れ切った時は、本当に誰とも話したくない、そんな気分になったりもする。
    家族ですら最低限の会話。生きるためには会話、そしてそういう社会生活を営むことが必要だよね、という程度の会話。
    そんなこんなを繰り返して、ようやく日曜日の夜を迎えることができた。
    多分、この状態であれば明日会社に行けるだろう。果報は寝て待て、という言葉もあるけれど、期待をせずに明日を迎えたいと思う。

    そして飲み会でも良く聞くフレーズなんだけど、「あの頃はよかった」と振り返り、そのころを思ってお酒を飲む、みたいなやつ。
    あれって願望なんだろうか。
    今の現実を否定することになると思うんだよね。
    自分は、自分の味方であるべき、とこの間読んだ本から学んだんだけど、であれば、あの頃から変わってしまった自分だけど、そこがまた可愛いんだよね、と自分を肯定してあげる必要があるのではないだろうか。
    私もそうだけどね。高校の時とか、大学の時とか、戻れるなら戻って、バンドやったりバイク乗ったりしたいよなぁ、とか考えちゃうけどね。
    過去の、どっかのタイミングで生きていた自分が、今の自分が考える「完璧な自分」なんだとしたら、どうだろう。
    その頃の自分に嫉妬し、今の自分を嫌いになってしまうのだろうかね。
    今の自分、そんなにイケてないか。
    過去と他人は変えられないけれど、未来だったら変えられるんだよね。
    未来を、その「完璧な自分」を超えるくらい、素晴らしい自分像を作り上げることができたら、もっと最高なんだろうな。
    完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊だよな。
    もしかすると、今を精一杯生きている自分も、十分に完璧な自分ということができたり、しちゃったりしないだろうかね。

  • 7月1日 点と点がつながって、

    7月1日 点と点がつながって、

    点と点がつながって一つの線になる。
    人生にはこういうシチュエーションが多いという。
    それに気づくかどうかはその人次第であるけれど、常にそういうことを考えているような人だとしたら、気づきやすいのかもしれない。

    それは、アンテナの高さだと思う。
    自分で気づくかどうか、そのアンテナの高さ次第で、その周波数を合わせられるかどうかにかかっているのだから。

    一体今の自分は、そのアンテナはどのくらいの高さを張っているのだろうか。
    日々、ぼんやりと過ごしている気がするから、多分大して高くはないように感じるけれど、今の私はそれでも良いのだろうか。
    不安を感じるのは、良いことなのか。
    不安?
    今の自分で満足しているということの裏返しなのではないだろうか。

    一般的には、常に意識を高く持っておくべき、という考え方がある。
    そりゃそうだ。
    何事にも興味を持つような人の方が、自然と経験も増えていくし、冒頭に述べた点が増えていくわけだから、後から考えると線になりやすいということになるだろう。
    だけど、だけどだ、点をたくさん掴むためにはスタミナが必要だ。アンテナを張るのには気力が必要だ。気力だけではない、体力も必要かもしれない。
    自分の、できる範囲で十分なのではないか。

    つまり、自分の器ってものがあるから、その器に乗る程度の点を見つけることこそが、真理なのかもしれない。
    私の器とは。どの程度の大きさなのだろうか。

  • 6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

    6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

    ふと昔の記憶を辿る。
    駅から自宅まで歩いている間とか。
    スマホとか、PCとか、テレビなどから離れてみて、さらに音楽からも離れる時間を作ると、私の場合は過去の出来事を思い返すことが多いように思う。
    その出来事を掘り返し、出来事というのは良い思い出、悪い思い出、両方含めて様々な思いがあるものなどだったりするけれど、掘り返してあの行動は正しかったのか、今この状況でも同じ行動を起こすか、みたいな検証をしたりする。
    検証したところであの日、あの時間に私が返ることはないから、ただの思考実験でしかないのだけれど、その行為自体が好きなんだろうなと思う。

    だけど、それって後悔を生むことがある。
    あの行動は正しくなかった、もっとこうすれば良かった、と思う時は危険で、今思えば正しくない行動だったんだけど、あの時はああするしかなかった、あれ以外に思いつかなかった、みたいに考えてしまう。
    それって過去の自分を否定することにつながるだろう。
    過去と他人は変えられないといろんなところで目にするけれど、この件はまさにそれで、変えられない過去に対してウジウジと悩んでしまう、そしてそのまま落ちる、みたいな典型的思考パターンだったりする。
    私は日々変わっている。昔の価値観と、今の価値観は違う。
    だからこそ、過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい。
    そうだよ、日々、私が成長している証として、過去の振り返りをする、というのは良いと思うんだよな。
    自分は昨日までの自分よりも成長している、比較すべき対象として頭の中に存在しているのだから。

  • 6月27日 私にとってのゴールってなんだろう

    6月27日 私にとってのゴールってなんだろう

    出社。適度に人と話し、お互いを認識する活動を経て、私は生きていると感じられた。大事なのは目を合わせることで、そうすることで言葉だけでは伝えられない空気感を共有することができるよなぁと実感した。私の拙い英語でも、ちゃんと理解しようとしてくれる人がいるのはありがたい。相手はインドの人。お互いに第一言語が英語ではないところも効いてるのかもしれない。

    英語を話せると、13億人と話せるようになる、と子供の頃に聞いたことがあった。だけど今はインドだけでその人口になっているのだから、今はもっと多くの人と話せるようになるのだろう。インドの情熱はすごい。インドに頭の良い人が多いみたいな触れ込みがあるけれど、実際のところ、全人口に対する割合は日本のそれと近いのではないだろうか。頭の良い人が多い、なんて十把一絡げにしてしまうところにミスリードが生まれているような気がする。

    人間は一様ではないから、それぞれに得手不得手があるだろう。私にとっては交渉事が苦手、人にものを頼むのが苦手だったりする。たぶん、そういうところをみんなで補いあって社会が成り立っているんだろうなぁ。全能な人なんて幻想だ。そういうスーパーマンには憧れるけど、スーパーマンにだって不得手なところはあるだろう。だから、人をある決まった側面だけで見るのは良くないよ、という話。

    だけど、人間はみんな成長したがっている。昨日の自分を超えるために、日々、努力しながら生きている。人生のゴールってなんだろう。私にとってのゴールってなんだろう。答えなんてすぐには見つからず、というかそれを探しながら生き続けるのかもしれない。もしかするとゴールなんてただの幻想で、ただ生き、自分の寿命を全うするのがゴールなのかも。そういうことだろ。

  • 6月26日 自分が期待すること=自分が不幸であること

    6月26日 自分が期待すること=自分が不幸であること

    今日は仕事終わりに10kmラン。
    昨日も書いた、自分の親友になってみるというコンセプトを考えながら走った。
    暑くて、途中何度か歩きかけたけど、目標としてた10kmを走ることができてよかった。

    自分をポジティブマインドでいっぱいにすると、自分に優しくなれる気がする。
    全部を肯定する。私が生きていることは、恵まれていることなんだって思えるようになってくる。
    今まで、自分は生きててもつまらない、みたいな路線で考えることが多かったけれど、それはつまらない理由をわざわざ見つけて、不幸に染まる人生を楽しんでいたのかもしれない。
    自分が期待すること=自分が不幸であること、というのは生きていく上で不要だったのだろう。
    だけど、一方で、そういうネガティブな気持ちを否定するのもちょっと抵抗がある。
    私が産んだ感情は、全てを受け入れるべきというならば、そういうネガティブな感情も全て受け入れるべきだから、と考える。
    別に不幸になりたいわけじゃないんだけどね。それを卑屈と呼ぶならば、私はその卑屈とも友達になるべきなんじゃないかって思う。

    たぶん、まだ、ポジティブマインドで染めるには発展途上なんだろう。
    そうやってネガティブマインドにも優しくすべきと思っている時点で、私は幸せになる資格なんてないのかもしれない。という感じで、迷っている。

  • 6月25日 自分の親友になってみる

    6月25日 自分の親友になってみる

    今日は、良い一日だった。
    今日も、良い一日だった。

    朝起きたらすでに10時近くなっており、朝ランはできなかった。
    なんとなく私の中で、朝に走ることができたら、その日は良い日と考えている節があり、その基準で考えると今日は、あまりイケてない日ということになる。
    そうやって自分のルーティンを固定したまま暮らすと、今日は一日中陰鬱な気持ちで過ごすことになるんだけれど、最近読んだ本で、自分をポジティブに持っていくためにこういう負のルーティンを壊すことが肝要、みたいなことが書いてあった。

    鋼の自己肯定感 最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣から開発された”二度と下がらない”方法 [ 宮崎 直子 ]

    この本では繰り返して「アファメーション」という言葉を使っていて、これをちょっと調べてみると、要は自分の心をポジティブにするような言葉を繰り返し言い続けることで、気持ちが自然と明るく、前向きになれる、みたいなことなんだけど、そんな感じでイケてない日も「今日は良い日だった」と唱えることで、気持ちを明るくさせていけたら良いな、と思っている。

    また、悪いことばかり探していると、そればかりが目につくようになってしまい、良くないことだとか。
    今、ここに在るもので十分じゃん、とか、私は理想の体型から程遠いけど、それに向かって頑張っているんだ、とか言うことで、今の自分を応援することができる、と。
    自分の親友になろう、みたいなことも書いてあった。

    私の場合、自分が不幸になっても良いから周りをサポートしたい、みたいな献身性が心のどこかにあったのだけれど、それって自分にとっては害悪でしかないんだね。
    私が幸せになるために生きてて、それを蔑ろにしてしまっては良くないことだと。まぁ、自分が誰かの役に立った=自分が幸せになった、ということであれば、良いのかもしれないけれど。

    ここ数年、少なくとも10年くらいは、自分が幸せになる方法のようなものを考えてこなかったように思う。
    奇しくも、子供が生まれた頃からそうだったのかもしれない。
    家族のために仕事、自分のやりたいことは二の次、と考えているうちに、あれ、自分のやりたいことってなんだっけ、と、いつの間にか現れた戸惑い。
    それが起点となり、その先に、自分、この先生きていても楽しいことなんてないだろ、と考えるようになってしまったように思う。
    その時々で、自分のやりたいことを見つけ、時間と費やしてきたけれど、それらは全て付け焼き刃で、結局のところ、なーんにも残らなかったような。
    そんなことないか。
    だけどここから、まずは自分の親友になってあげて、自己肯定感を高めていくようにしていきたい。

  • 6月24日 前を向いて生きよ

    6月24日 前を向いて生きよ

    前を向いて生きよ。
    前を向いて生きていれば、生きてさえいれば、いつか暖かな陽射しに包まれるはずだから。
    誰かが死ぬ前に語ったというその言葉は、私がうまくいかなくて落ち込んでいる時に必ず、励ましの言葉として頭の中に浮かび上がってくるのだった。

    光。
    私には眩しすぎる光でも、その光自体を見るのではなく、光が照らしてくれる足元を見ることで、ゆっくりでも前に進むことができているのだ。

    少し、後ろが気になったりもする。
    だけどそれは私の思い過ごしで、私のすぐ後ろを誰かが着けているような気がするだけなのだ。
    だいいち、私のことなんて、誰も気にかけてはいないはずだから。
    そこまで、私は目立ってはいないのだから。

    高校生活が少しずつ終わっていく。
    みんな、同じクラスという箱に詰められた私たちは、それぞれの未来を信じて、前を向いて生きていく。
    私は高校生活でいったい、何を学んだのだろう。
    何かを学ぶことなんて、気にしなくても良いんだ、どうせ。
    どうせ、数日経ってから忘れていくようなことばかりだから。
    だけど、と思う。
    だけど、私は、どこからか照らしてくれる光を信じて、足元を見ながら、生きていく。