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  • 7月24日 Chat GPTとblurと私

    7月24日 Chat GPTとblurと私

    今日は1日、Chat GPTに溺れました。
    自腹で課金も。とりあえず1ヶ月、無心になって何かを得るための活動に充てたいです。
    仕事で使うんですけどね、けど、自分で自由に使いたいという気持ちがあったので、会社の経費は使わず、私のポケットマネーから出しました。1ヶ月あたり20ドル。今だと141円くらいなので、1ヶ月で2820円くらいってところか。それくらいのものは手に入れたい。

    とりあえず、Pythonを勉強するために、ブロック崩しゲームを作りたい、と言ったら、ご丁寧にもサンプルのコードを提供してくださりました。
    すごいね。ちょっとお願いするだけで魔法のようにプログラムを教えてくれるんだもん。
    これを機に、Pythonできます、と言えるくらいのスキルを身につけたい。

    もともとは仕事で、Chat GPTを使って品質を上げるなにかになったりしないかね?が発端にあって(最近この話を書いた気がする、再掲)、なにはともあれ、何がどこまでできるのかが気になるので、ちょっと触ってみますね、というところです。とはいえ社内システムの実装内容を安易に載せるわけにはいかず、マスキングするの?と腰が引けている状態なので、なんとかして仕事に活かせたらいいなぁ。

    話は変わって、音楽の話。
    Apple Musicを彷徨っていたら、blur、新作出たんだぜ、お前好きだったろ?って提案を受けまして、早速聞いてみたんですが、相変わらずのblur節でとても心地が良いです。
    おまけにジャケットがまた、The Great Escapeで使われていた海の色と、プール?の色がそっくりで、あの頃を思い出してしまいました。
    あの頃というのは青春の真っ只中、1996年頃です。私にとってその頃は黄金のように輝いていました。
    blurが好きで、だけど周りはoasisの方がちょっと人気があって、理由はきっとわかりやすいからだったと信じてやまないですが、私はblurが好きで良かったと思いました。oasisは再結成はしないけれど、blurはこうして、もともとのメンバーでまだアルバムを出し続けてくれているから。
    私がおじさんになっても、こうしてblurが音楽を届けてくれること、そして私自身が、あの頃と同じような感性でblurを聞き続けていられることが、シンプルに嬉しいです。

  • 7月17日 本を2冊借りた

    7月17日 本を2冊借りた

    久しぶりに森の図書館へ。
    流山には、「森の図書館」という名前の、素敵な図書館がある。
    ただ単に、周りを木に囲まれているだけの、図書館なんだけどそのねーミンスセンスが素晴らしいと思う。

    そこで2冊、本を借りた。

    借りた本その1: Python 実践入門

    最近Pythonに夢中で、プログラミングしているときはご飯すらいらない、と言うほどの情熱を傾けているところ。
    森の図書館ではこの本を見つけたので、思わず借りてしまった。で帰宅して早速Raspberry Pi でPythonのコードを書いている。そんな中、残念ながらRaspberry Pi がフリーズしてしまったので、めんどくさくなって電源をぶちっと切った。
    プログラミングはあくまでツールだから、それを使って何をしたいの?をきちんと考えておかないといけない。私は仕事でプログラムのテストを自動化させたいという目的があり、そのために必要なプログラムの知識を獲得しようとしている。

    最近、巷では「子供のうちからプログラミングを!」と聞くことが多い。私からしてみると、プログラミングで何をしたいの?というところをきちんと考えておかないと、そこをちゃんと考え抜く力をつけないと、宝の持ち腐れになってしまうのではないかと思ってしまう。

    と、思ってみたけれど、そんなこともないか。

    私は子供の頃、そろばんを習っていた。
    あれは頭の回転をよくするだとか、暗算を通して算数の計算を早くする、といった目的があったように思う。
    だけど私は、私の両親は、きっとそんなことを考えずに、私のことをそろばん塾へと送り出していたはずである。
    私はそろばん3級まで合格し、やがてやめてしまったが、数十年経った今でも2桁の足し算くらいなら暗算でやっつけてしまう。

    もしプログラミングで、ロジカルシンキングを学びたい、ということであれば、プログラミングを覚えるのではなく、ロジカルシンキングを学べば良いのに。
    ロジカルシンキングなんて難しい言葉を使うからよく分からなくなってしまうんだけど、シンプルに言えば「物事の道理」だと思うんだよな。
    お笑いが好きなら、お笑いのストーリーを考えてみるとか。どんな展開でストーリーを作っていけば、笑いが起きるのか。
    プログラミングを学ぶだけじゃなく、そうやっていろんなところから学んでいけば良いのに。

    借りた本その2: ローマの哲人 セネカの言葉

    今から2000年ほど前に生きたローマの哲人、セネカの本を借りた。
    ちょっと前に哲学の系譜みたいな本を読んで、その中に出てきた、くらいのイメージしかないのだけれど、私はそこから生きるための何かを学びたいんだと思う。
    今、生き詰まっているか?と自問してみると、その答えには、「あんまそんな感じでもないっすけどね」と答えそうなものである。
    なぜなら私には今一番私を虜にさせてくれるPythonがあるから。
    だから、今の私に効くような言葉が欲しいわけではないんだよな。
    恵まれてるな私。ここ数年、哲学みたいな本をよく借りては読んでいたけれど、それは何かに縋りたかったのかもしれない。
    何かに縋るほど、私は落ちていたのだろうか。
    過去は変えられないから、そんなところでクヨクヨしていてもしょうがないんだけど。

    過去は変えられないけれど、過去に起きた物事に対する考え方は変えられるはず。
    考え方を変える時に、本を読んだり、他の人から話を聞いたりして、自分以外の考えを取り入れることって、自分の器を大きくさせていくことだと思うんだよな。どっかの受け売りだけど。

  • 7月10日 成長したいと考えることは、きっと自然なことなんだよ

    7月10日 成長したいと考えることは、きっと自然なことなんだよ

    時間は止まってくれない。
    つい最近、「今年も半分が過ぎてしまったかー」と思ったばかりだったが、そこからさらに、残りの6分の1のうち、3分の1が終わってしまった、ということになる。
    生活は高望みせず、自分の手が届く範囲で暮らしているから、何一つ不自由のない気持ちで過ごしているけれど、それでもこうやって一日一日を無意識のうちに過ごしているとなると、少しだけ歯痒くもある。
    だけどこの、なんとなく日々を、時間を無駄にしていやしないか感というのは古代ローマ時代の頃からあったというし、そこから数千年を経た現代でも同じようなことを考える人間は多いと思うから、人間の思考っていうのはあんまり進歩していないかもしれんよね。

    日々を、時間を無駄にしていると感じるのは、良いことなのだろうかね。
    これは言い換えるとマンネリ感だとか、そういう壁にぶつかっている時なのかもしれないよなぁ、と考えたわ。
    今という現状を打破したいと思う気持ちが根底にあって、それに引きずられるようにして「今のままじゃダメだ」と考えるようになっているのではないだろうかね。心理学とか勉強したことはないのだけれど、なんとなくそんなふうに思ったりする。

    別に、今のままでもいいんじゃないの、と思う自分もいるけどね。
    上述した通り、今の生活に対して不満を持つことなく、ぼんやりと過ごせているのだから、この生活を守るような生き方をしていければ良いのではないだろうか。
    知らんけど。

    けど、人間って成長する葦って、かの有名な人が言ったように、死ぬまで成長できる生き物だと思ったりしててさ。
    身体的な成長は歳をとるにつれて緩やかになっていくだろうけど、そこから先は気力が成長していくのではないかな。
    私は44歳で、今、もしかすると、後から気づくのかもしれないけれど、気力・体力その他諸々の力が共に、充実しているタイミングだと思ってやまないんだよなぁ。

  • 7月3日 山登りについて

    7月3日 山登りについて

    呼吸を、ゆっくりとしてみる。吸って、ちょっと止めて、吐く。
    それを5回くらい繰り返してみると、なんとなく、脳がすっきりしたような気持ちになる。

    もしかすると私の思い過ごしかもしれないけれど。
    いや、思い過ごしだろうな。

    40代の中盤に差し掛かってきて、残りの人生について少し考えてみる。
    この身体が健康なまま、という前提ではあるけれど、死ぬまでにやり残したことってないだろうか。
    今のこの状態、気力体力だけではなく財力についても、今までで一番充実しているような気がしていて、お金がかかるようなやりたいことみたいなものも、今だったら計画できるのではないだろうか、と思う節がある。

    つっても、別に大枚を叩いてボートを買いたい!みたいな思いはないんだけれどもね。

    強いていえば、山登りが該当しそう。

    山登り、何度かこのブログでも取り上げているけれど、週末を家族から離れて自分一人で過ごすというのに抵抗があり、そのせいで手が出せていないんだよな。
    家族のために、一緒に過ごすのが、父としてのあるべき姿、というイメージを持っているから。
    それ、だいぶ独りよがりだから、と私の後ろにいる私が言っている。分かっている。分かってるんだよそんなことは、ともう一人の私が言い返す。

    踏み切るのが怖い理由として、これはソロキャンの時にもそうだったんだけれど、それ用の装備を買ってしまうと、何度も使わないともったいないと思ってしまうこともあるんだよな。
    やっぱ行きませんでしたー、のでハードオフに売りますー、でもいいんだけど。あんま頭の良い生き方ではないような気がしていて。
    その、「山に登る体験」をどの程度の価値があるか、だよな。
    (新品で買った装備のお金) – (ハードオフで売ったお金) = (山に登る体験の価値)、と考えてしまう。

    あーでもアレか、いきなり新品を買おうとするのではなく、ハードオフとかヤフオクあたりで買えばいいんじゃん、ということも考えても良いのか。
    寝袋はあるし、必要なのってリュックとトレッキングシューズ、くらいなんじゃないだろうか。

    リュックはこれ↓くらいのがいいらしい。チャットGPT最高。

    50リットルくらいのを買えば良いのか。
    それ買っちゃったら始まっちゃうなー。
    新しい趣味になるか、一回だけトライしてやめちゃったなー、になるか。

  • 6月26日 自分が期待すること=自分が不幸であること

    6月26日 自分が期待すること=自分が不幸であること

    今日は仕事終わりに10kmラン。
    昨日も書いた、自分の親友になってみるというコンセプトを考えながら走った。
    暑くて、途中何度か歩きかけたけど、目標としてた10kmを走ることができてよかった。

    自分をポジティブマインドでいっぱいにすると、自分に優しくなれる気がする。
    全部を肯定する。私が生きていることは、恵まれていることなんだって思えるようになってくる。
    今まで、自分は生きててもつまらない、みたいな路線で考えることが多かったけれど、それはつまらない理由をわざわざ見つけて、不幸に染まる人生を楽しんでいたのかもしれない。
    自分が期待すること=自分が不幸であること、というのは生きていく上で不要だったのだろう。
    だけど、一方で、そういうネガティブな気持ちを否定するのもちょっと抵抗がある。
    私が産んだ感情は、全てを受け入れるべきというならば、そういうネガティブな感情も全て受け入れるべきだから、と考える。
    別に不幸になりたいわけじゃないんだけどね。それを卑屈と呼ぶならば、私はその卑屈とも友達になるべきなんじゃないかって思う。

    たぶん、まだ、ポジティブマインドで染めるには発展途上なんだろう。
    そうやってネガティブマインドにも優しくすべきと思っている時点で、私は幸せになる資格なんてないのかもしれない。という感じで、迷っている。

  • 6月19日 私の哲学が

    6月19日 私の哲学が

    このブログでは、普段私が書いている日記と、時折投稿する仕事のことがあり、だいぶごちゃ混ぜ感が出てきてしまっていると感じている。

    私が働いているソフトウェア品質というカテゴリーと、私が好きで良く投稿する哲学というジャンルは、それぞれ似つかないけれど、どこかで融合できる時が来たりするのではないかと、少し楽しみだったりもする。

    もうちょっと深掘りして考えてみると、仕事への姿勢は哲学に結びつくところがあるかもしれない。
    目の前に降りてきた仕事は、責任を持って臨みたい。
    私の仕事によって、誰かが喜んでくれたら嬉しい。
    そんなことを考えながら、仕事をしているつもりである。
    これらは、私の仕事に対する哲学と呼んでも良いのではないだろうか。

    普段、どんなことに気を付けて仕事していますか?
    みたいな雑談のような質問をされた場合、自分の持ち場をきちんと仕事して、次の人に渡すようにしています、みたいなざっくりとした回答を示したとしよう。
    だいぶざっくりしているけれど、そういうところに、私の哲学が眠っているような気がする。

  • 6月12日 「自分は我慢している」というマインド

    6月12日 「自分は我慢している」というマインド

    昨日お酒を飲んでないおかげか、身体が軽い感覚。
    お昼を少ししか食べなかったので、夕方になりお腹が空いてきた。
    血糖値が下がっているんだろうなぁ。
    お腹に溜まった脂肪を分解して栄養に使ってくれたら良いと思っているのだけれど、なんともはや、脂肪を分解するのにも糖質が必要らしい。
    *参考になるのはこの辺り

    今日はジムで5kmランニング。その前に肩周りを筋トレした。
    市でやってるジムなので、300円で使えるの、すごくありがたい。
    それくらいの金額だったら、多少時間が短くても割り切れるから(1時間しか使えない)。

    今日の飲酒量は、ビール1本と、ウイスキーをロックで1杯。
    ビールはご飯を食べながら、ウイスキーは食後にいただいた。

    今はまだ楽しんで節制できているけれど、これがもうちょい経ってみると物足りないんだろうなぁと思う。
    そこで、「自分は我慢している」というマインドでやるとダメになっちゃいそう。
    けど、改めて自分のお腹を見てみて、このお腹を凹ませるというモチベーションを手に入れつつ、もうしばらく頑張ってみようと思う。

    レイソルはとうとう最下位に。
    ここがちょうど折り返しというところ。
    日本代表戦があるということで、すこーしだけおやすみ期間に入るので、ここからまた昇ってってもらいたいと思う。

  • 6月5日 大数の法則とマッチングアプリ

    6月5日 大数の法則とマッチングアプリ

    ちょっとした投資を始めてみると、今まで考えていなかったようなことに出会う。
    大数の法則とか、なんかどっかで聞いたことのある名前だったが、投資を続ける上でかなり重要な法則だということに気づいた。

    簡単にいうと、サイコロの目。
    何度か振ってみると、ある数値に偏った結果が出るかもしれないが、その回数を繰り返していくと、限りなく1/6に近づくというようなもの。
    つまり投資も同様で、何度も繰り返していくうちに、勝率が50%になっていくのだろう、ということ。
    私はまだほんとに始めたばかりで、実をいうとすでに10%くらい負けてしまっているのだけれど、もっと少額で繰り返すことで、徐々に勝率を上げていくことができるのではないだろうか。

    同様のことを考える。
    数打ちゃ当たる、なノリ。
    例えば、ある女性のことを好きな男性がいるとする。
    この男性は奥手で、女性と話そうとすると目を合わせることすら難しく、喋ろうとすると敬語になったり、声が上擦ったりしてしまう。
    こんなことではいつまで経っても付き合えないと考えた彼は、ある日、大数の法則を知る。
    男性はすぐさま、自分の女性遍歴について考えを巡らせる。
    もしかすると、数打ちゃ当たる方式で、僕にもいつの日か彼女ができるかもしれない。
    そう考えた男性は、マッチングアプリに登録する。
    いいな、と思った異性には積極的に声をかけ、会うようになる。
    最初は相変わらず声が上擦ってしまったけれど、確かに、場数を踏んでいくと声はそのまま出せるし、やがて目を合わせることもできた。
    男性はさらに雑談力を磨いていく。相槌の打ち方、目の合わせ方。
    ご飯の次にはデザートを食べるという、王道の順番。
    そしてようやく、男性には意中の人のハートを射抜く。

    なんて、典型的なサクセスストーリーだけど、これって大数の法則に則って何度も繰り返したというところが報われたワケだし、

    ていうか、

    割とこういう話ってあるような気がしてきた。
    大数の法則に則ったストーリーを考えれば、意外に売れたりするかもしれない。

  • 5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    案外生きてるな、と思う。
    会社にてカレンダーを見た時に、もう5月も終わりか!と思って、同じことを4月や3月でも感じていて、常にあっという間にすぎてしまうんだよな、そんな日々を過ごすことが、一歩一歩進むということが、人生なんだよな、と。

    あっという間に感じるのは、日々の思い出をあまり植え付けずに暮らしているからなのかな、と思って、とはいえここで毎日日記を書いてアップロードしているけれど、確かに、記憶に残らない日ってあるんだよな。
    そういう、細切れの人生があるからこそ、思い出が同封された、厚い日がやってくるわけで。相対的なもので、細切れの人生がなかったら、毎日思い出ばかりだったとしたら、多分、一個一個の思い出が薄まってしまうような気がする。
    そりゃあ、毎日が厚い日常に覆われていることの方が、良いのかもしれない。けどそれだけじゃないでしょ、なーんにもない日だって、立派な日常なはずだから。

    そんなこんなで、明日も生きていくことをここに誓う。
    思い出に染まらない日があったって、別に良いという想いを胸に秘めながら。

  • 5月22日 その人の極意

    5月22日 その人の極意

    お金を得るためなら、本来は、どんなことだってしても良いのだろう。
    私の目には、どこかの企業に就職して、働くことで得られる対価、というイメージが強いのだけれど。
    目の前に原稿がある人は作家だし、魚がいる場合は漁業だし、畑が見えるなら農業だろうけど。
    それぞれみんな、自分で作ったり、何かを獲ったり刈ったりして得たものをお金に換えている。

    お金がなくても、生きていける生活を考えてみる。
    いや、全くないというのは難しいから、最低限のお金だけを使う生活を考えてみる。
    最低限のお金って難しい。
    私の場合、家族がいるので、家の光熱費と、食費は最低限必要だ。それに住宅ローン。
    いわゆる「固定費」と呼ばれるあたりのものだろう。
    それらがあれば、あとの変動費は、最悪なくても良いのかもしれない。
    そう考えると、月20万円くらいあれば、なんとか生きていけそうな気がする。

    だけど人間は、裕福に暮らしたい、生活水準をできるだけ高く保ちたいと思ったりもする。
    インターネットは使いたいよね。たまにはお酒を飲みたいよね。スマホ使いたいんだけどさ。など。
    その辺りから、人生の豊かさみたいなものが生まれてくるような気がする。

    気がする、だけで、本当はそんなことはないのだろうか。

    貧乏は、心が廃れていく、とどこかのブログで読んだことがある。
    貧乏でも、ちゃんと生きていける人だっているのだろう。
    飲まず食わずの生活が続く、みたいな場合だけど、生きる以外のことは全部余計なものになるんだろうか。
    私は幸か不幸か、そんな状態になったことはないのだけど。
    そんな中でも、心は健やかに過ごせるのだとしたら、それはその人の極意なんだと思う。