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  • 8月13日 嫉妬について

    8月13日 嫉妬について

    嫉妬。
    人間はなぜ嫉妬するんだろう。
    嫉妬とは、そもそもなんだろう。
    私が嫉妬するのは、私の持ってないものを、ひけらかされたりする時。
    言い換えると、執着というものになるのかもしれない。
    欲張って多くのものを持ちたいと考える人の頭脳には、嫉妬心が強く影響しているような気がする。

    足るを知る、というとても良い言葉がある。
    今、私が持っているもので満足しよう、という考え方。
    手を伸ばせば、もしかすると届くものがあったとしても、今の自分にとって本当に必要なのかどうかを考え、不要だと思ったら手に入れるのをやめる。
    言葉にすると簡単なことなのに、この世ってとても難しい。そんな簡単なことを忘れてしまい、ものに溢れ、窮屈になってしまったり。
    ものだけではない。考え方もそうなのかもしれない。
    いろんな考えを取り入れることは、ある側面では良いことだろう。
    だけど、それに振り回されてしまって窮屈になってしまっては本末転倒だ。

    私の持っていないものをひけらかされた時、心に静寂をもたらすよう心がければ良いだけなのかもなぁ。
    平常心ってすごく大切だ。だけどいっつも忘れてしまう。それも人間のなせる技なのだろうか。

  • 8月6日 無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう

    8月6日 無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう

    誰だって、自分の思いと同じ勢いに対しては、こちらこそが正義だと思ってしまう。
    これは昔からそうで、人間って群れる生き物だし、自分こそが正しいとバイアスがかかってしまうから仕様がないんだけれど、それで数万人の命を奪ってしまうことだって、正義だというのだろうか。
    一体、正義というものを履き違えているんではないかと思ってしまう。

    78年前の今日、日本という小さな島国に、巨大な、邪悪な爆弾が落ちた。これは世界的に有名な話で、その威力に世界中が驚いたことだろう。
    それが、残念ながら1度ではなく、2度もこの国に落ちたという現実に対して、世界は一体どう思っているのだろう。
    無意味な人殺しに、なんの正義があるのだろう。

    そんな過去を背負って生きる義務を負った日本は、その後あっさりと降伏し、世界の負け組となった。
    かつてないほどの威力を持ったその爆弾は、原子爆弾と呼ばれ、人類が作った兵器の中でも類を見ない強さを持った。

    幸運と呼ぶべきか、その原子爆弾という兵器はその後使用されることはなく、現在に至るのだけれど、日本人というアイデンティティを持った私でも、その日まだこの世に生まれていなかった私でも、核兵器を持つべきではないということに賛同している。

    核兵器を持たないべき、という考えは、今ではおそらくこの世に暮らす人間たちの中で大多数を誇る「正義」と呼べるかもしれない。
    今日は、ニュースではそのことをしきりに流しているけれど、私は、私も、私が死んでから、この星に人間がいなくなったあとでも、この核兵器を使うことがないことを切に願う。

  • 7月30日 成長することについて

    7月30日 成長することについて

    今日は暑かった。今日も暑かった。
    日曜日ということで、明日からまた始まる1週間に向けて英気を養うべく、少しだけ行動して、だいぶ休んだりした。

    今日はカレーを作った。
    ナスとピーマン、そして玉ねぎのカレー。
    夏野菜が安い時期なので、そっち方面のカレーにした。
    いつもじゃがいもとにんじんみたいな根菜ばっかりのカレーなので、たまに趣向を変えてみるのも良いものだ。

    人間ってマンネリが嫌いだからね。
    マンネリが嫌いなのはなぜなんだろう。
    ベランダにいるメダカはほぼずーっと餌を求めて泳ぎ続けている。
    たまに疲れちゃったりしないのかなとか思ったりするけれど、彼らの体がそういうふうにできているんだろう。
    話が脱線してしまった。

    マンネリが嫌いなのは、人間は成長する生き物だからだ、と考えたことがあった。
    だけどそれは意識の高い考え方なんだと思う。
    この世に生きている人間全てが、成長したいと考えているだろうか。
    成長したい、と考えていながら、本は読まず、余暇はスマホゲームに勤しみ、お腹が空いたら菓子パンを食べる人が、成長していると言えるのだろうか。
    多分、考えすぎなんだと思う。
    生きてるだけで丸儲け、と誰かが言っていた。
    成長するには、身体的欲求が満たされていなければいけない。
    満腹で、睡眠もバッチリ取れている快活な人が、成長に向けて新たな芽を伸ばしていけるのではないだろうか。
    私はどうなんだろう。

  • 7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    7月23日 自分の時間を確保するのと、家族との時間はどっちも重要なんだから

    多分思い過ごしなんだけど、何もここに記さなかった日は、まるで私がこの世に存在していなかったかのような感覚を受ける。
    何かは考えている気がする。
    その証拠に、ほぼ日手帳には何かしら私の言葉が綴られているから。

    昨日までは大阪まで家族旅行で出掛けていて、そのせいで自分を振り返る時間を取るのが難しかった。というのは言い訳で、家族のせいにして自分の時間を取らないということは、ちょっと自分の人生を歩いていない気がして勿体無い。
    自分という人間はこの世に一人しかいないのだから、そして私に与えられた時間は私が生きるためにあるはずだから、それを満喫する必要があるんじゃないかと思う。
    いや、待て、この先に何があるか知ってるぞ私。
    自分の時間を犠牲にして、家族や同僚など、他人のために費やすことで、奉仕の精神のもとで生きていくことになり、そして自分を蔑ろにして自分のメンタルにダメージを与えてしまうんだよな。
    やめよう。自分の時間をきちんと確保しよう。

    一人になりたい、という自分の願望と引き換えに、家族との時間があるのだとしたら、どちらを優先したら良いのだろうと考えることが多かった。
    だけどそれは比較すべきものではない。なぜなら、どっちも同じくらい人生にとって大切なことだから。
    そこで私が、家族のために多く時間を使っていると感じているならば、少し立ち止まって自分の時間を多く確保すれば良いのだ。
    1日は24時間しかないし、1年は365日しかない。
    その中で、自分がやり遂げたいことをきちんと設定して、それに向かって一直線に進めば良いのだ。
    と、自分に言い聞かせ続けて、10年くらいは経ったのではないだろうか。
    なーんにも変わってないんだな。

  • 7月16日 ときめくかどうか

    7月16日 ときめくかどうか

    足るを知る。
    物欲はキリがないけれど、それは今の私に足りないと勝手に考えているからであって、実際はそんなことなくて、単純に「今持っているものに飽きてしまった」ということなんだと思う。
    飽きてくるのはしょうがないことなんだろうなぁ。
    慣れてしまって、その物から刺激を受けることが少なくなってきた、ってことが根底にあるんだと思う。
    そうやって、物事に飽きて新しいものが気になってくるからこそ、この消費社会が成り立っているんだよなぁ。

    こんまりさんが書いた本の中では、心がときめくかどうか、というのを一つの観点として挙げていたんだよなぁ。
    ときめくからまだ持ってる、逆にときめきを感じなくなったら、もうそれとはさよならをする、といった具合に。
    その時に、ものから離れにくい人ってどうしたっているんだよね。
    いつか必要とするかもしれないから、といった具合に。
    断捨離の精神では、過去1年間で使わなかったものはこの先もずっと使わない、と割と強い姿勢を見せていた。
    私はちょっとそこはダウトだと思っていて、3年経った今、急激に必要になりました、みたいなことだってよくあるんだよな。
    捨てる時にはそういう、次必要となった時には書います、という覚悟とともに捨てるわけだけど、それって自分の財産を削って買ったものなのに、もう1度財産を削ることになるわけだから、勿体無いなぁ、と感じてしまう。

    いや、だからこそなのかもしれないけど、次必要となる時にはもう買わないで、代替品や、もしくは、それが必要とならない生き方を考えていけば良いのかもしれないよなぁ。
    一度捨ててしまったものとは、それっきりの縁でした、となるわけだし。

  • 7月9日 完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊

    7月9日 完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊

    木曜日、金曜日と飲み会が続き、家に着いたのはいずれも0時を回っていた。
    そんな暴飲暴食の2日を経て、この土日は気持ちと身体を休める休息日とした。
    飲み会は嫌いではないんだけれど、やっぱりどうしたって気を遣ってしまって、途中からは酒を飲んでいるのか、それとも酒や空気に飲まれているのかわからない状態になってしまう。そしてぐったりする。
    疲れ切った時は、本当に誰とも話したくない、そんな気分になったりもする。
    家族ですら最低限の会話。生きるためには会話、そしてそういう社会生活を営むことが必要だよね、という程度の会話。
    そんなこんなを繰り返して、ようやく日曜日の夜を迎えることができた。
    多分、この状態であれば明日会社に行けるだろう。果報は寝て待て、という言葉もあるけれど、期待をせずに明日を迎えたいと思う。

    そして飲み会でも良く聞くフレーズなんだけど、「あの頃はよかった」と振り返り、そのころを思ってお酒を飲む、みたいなやつ。
    あれって願望なんだろうか。
    今の現実を否定することになると思うんだよね。
    自分は、自分の味方であるべき、とこの間読んだ本から学んだんだけど、であれば、あの頃から変わってしまった自分だけど、そこがまた可愛いんだよね、と自分を肯定してあげる必要があるのではないだろうか。
    私もそうだけどね。高校の時とか、大学の時とか、戻れるなら戻って、バンドやったりバイク乗ったりしたいよなぁ、とか考えちゃうけどね。
    過去の、どっかのタイミングで生きていた自分が、今の自分が考える「完璧な自分」なんだとしたら、どうだろう。
    その頃の自分に嫉妬し、今の自分を嫌いになってしまうのだろうかね。
    今の自分、そんなにイケてないか。
    過去と他人は変えられないけれど、未来だったら変えられるんだよね。
    未来を、その「完璧な自分」を超えるくらい、素晴らしい自分像を作り上げることができたら、もっと最高なんだろうな。
    完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊だよな。
    もしかすると、今を精一杯生きている自分も、十分に完璧な自分ということができたり、しちゃったりしないだろうかね。

  • 7月2日 月曜の朝ラン

    7月2日 月曜の朝ラン

    日曜日の夜は、「また1週間が始まるのかー」と少し憂鬱になる。
    これは何か重たい仕事があるとか、そんな影響がないことに気づいた。
    だって明日、めっちゃヤバめの仕事があるわけではないので。

    だとすると、いったい何が、そんな気持ちを作り上げているというのだろう。
    私の中では、また1週間が始まるから、普通に仕事をして過ごせば良いだけ、という感覚であるべきなのに。
    もしかすると、「月曜の朝は重たい」という固定観念というか、先入観というか、そんなものが私の中にあって、それが私の心を少しだけ憂鬱にしているのではないだろうか。
    月曜の朝は重たい、と誰が決めたんだろう。
    日曜の夕方、サザエさんを見ると気持ちが暗くなる、サザエさんシンドロームみたいな言葉もかつては騒がれていたけれど。

    ちょっと視点を変えてみよう。
    何度かこのブログにも書いているけれど、朝ランができた日は比較的一日を通して気持ちの良い感覚を持っている。
    これも「朝ランをした日は調子が良い」という先入観のなせる術なのかもしれないけれど、眠い目を擦って月曜日の朝にランニングをする習慣をつけたらどうだろうか。
    私としては、ちょっと未体験だ。
    だけど、きっと、月曜日だけど調子が良い!と自分で感じられるような、そんな予感がしている。

    明日、朝ランをする時間くらいに起きられるだろうか。
    朝ランをするためには、夜、早めに寝る必要があるんだよな。
    となると、現在の時刻、21時07分のあたりから、明日に向けて体調を調整していくのかもしれないね。

  • 6月25日 自分の親友になってみる

    6月25日 自分の親友になってみる

    今日は、良い一日だった。
    今日も、良い一日だった。

    朝起きたらすでに10時近くなっており、朝ランはできなかった。
    なんとなく私の中で、朝に走ることができたら、その日は良い日と考えている節があり、その基準で考えると今日は、あまりイケてない日ということになる。
    そうやって自分のルーティンを固定したまま暮らすと、今日は一日中陰鬱な気持ちで過ごすことになるんだけれど、最近読んだ本で、自分をポジティブに持っていくためにこういう負のルーティンを壊すことが肝要、みたいなことが書いてあった。

    鋼の自己肯定感 最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣から開発された”二度と下がらない”方法 [ 宮崎 直子 ]

    この本では繰り返して「アファメーション」という言葉を使っていて、これをちょっと調べてみると、要は自分の心をポジティブにするような言葉を繰り返し言い続けることで、気持ちが自然と明るく、前向きになれる、みたいなことなんだけど、そんな感じでイケてない日も「今日は良い日だった」と唱えることで、気持ちを明るくさせていけたら良いな、と思っている。

    また、悪いことばかり探していると、そればかりが目につくようになってしまい、良くないことだとか。
    今、ここに在るもので十分じゃん、とか、私は理想の体型から程遠いけど、それに向かって頑張っているんだ、とか言うことで、今の自分を応援することができる、と。
    自分の親友になろう、みたいなことも書いてあった。

    私の場合、自分が不幸になっても良いから周りをサポートしたい、みたいな献身性が心のどこかにあったのだけれど、それって自分にとっては害悪でしかないんだね。
    私が幸せになるために生きてて、それを蔑ろにしてしまっては良くないことだと。まぁ、自分が誰かの役に立った=自分が幸せになった、ということであれば、良いのかもしれないけれど。

    ここ数年、少なくとも10年くらいは、自分が幸せになる方法のようなものを考えてこなかったように思う。
    奇しくも、子供が生まれた頃からそうだったのかもしれない。
    家族のために仕事、自分のやりたいことは二の次、と考えているうちに、あれ、自分のやりたいことってなんだっけ、と、いつの間にか現れた戸惑い。
    それが起点となり、その先に、自分、この先生きていても楽しいことなんてないだろ、と考えるようになってしまったように思う。
    その時々で、自分のやりたいことを見つけ、時間と費やしてきたけれど、それらは全て付け焼き刃で、結局のところ、なーんにも残らなかったような。
    そんなことないか。
    だけどここから、まずは自分の親友になってあげて、自己肯定感を高めていくようにしていきたい。

  • 6月18日 暑かったからとか、敵が強すぎたとか、

    6月18日 暑かったからとか、敵が強すぎたとか、

    梅雨の合間。
    30度を超える暑さ。我が家ではとうとうエアコンの電源をオンにした。

    今日の柏レイソルは、ホームでルヴァン杯を。
    相手は福岡。
    私はスタジアムに行くモチベーションがなにも見つからず、今日は試合速報を追いかけるのもやめた。
    というか、その時間帯、外にランニングへ出かけた。

    試合は0−1で負け。
    あまりTwitterを見ていないので、どんな展開だったか良くは分からないけれど、まぁ、決めるべきところで決められず、相手に翻弄されたまま90分を終えたのかな、と想像する。
    私を含めサポーターの皆さんは、これは娯楽の1つだから、と自分に言い聞かせるけれども、それでも勝利というものが欲しい。
    それは選手だって同じことだろう、と信じる。
    どうやっても勝てないことだってあるだろう。
    最後は気持ちで、という、いわば根性論みたいなもので片付けることだってできるだろうけれど、それにしても観ている側としても、悔しがる選手の姿よりも、勝って喜んでいる姿の方が観たいに決まっている。
    リーグ戦は半分を折り返し、レイソルは最下位の位置にいる。
    ここから巻き返しを図るのか、それとも降格に向けてなす術なく沈んでいくのか、ちょっと分からない。
    勝って欲しいけどね。勝って、気持ちよく週明けを迎えたいんだけどね。

    今日のランニングは5km。調子が良ければ10kmまでいきたかったけれど、暑さのせい、ということで幕を閉じた。
    昨日書いたブログみたいではないか。
    他の、何かのせいにして、自分でやり遂げたかった10kmができなかったことから逃げようとしている。
    レイソルの選手たちは違うと信じてる。
    勝利こそが人生のタスクだと捉えるならば、暑かったからとか、敵が強すぎたとか、風が強かったからとか、そういう他の理由を持ち出して、負けた現実から逃げないはずだと信じてやまない。

  • 6月11日 楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら

    6月11日 楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら

    今日は夜ラン。聖地、日立台のスタジアムを折り返し地点とした11km。
    すこーしだけ霧雨が降っていて、それが逆に心地よかった。

    今日は何か考えごとをしながら走ったかな、と思っても、特に思い当たるものはなし。
    深く考えずに、自分の走るペースと、心肺機能が限界を迎えないようにすることをずーっと考えていたような気がする。
    耳には2020年の私のプレイリスト。当時は長男がある日本のバンドにハマっていて、その曲がたくさん流れるようなプレイリストに仕上がっていた。
    あれから3年。そうか、2020年といえばやはりコロナウイルス最盛期だった頃じゃないか。
    私はずっと在宅勤務になり、生活がガラッと変わった。
    私なりに考えてみて、大きな変化は、通勤がなくなったことで本を読む時間がガクンと減った。当時はよく、朝と夕方にモラトリアムみたいな時間を設け、その時間にウォーキングをしたり、読書したりすると良いみたいな記事がたくさん目についた。
    私はそんなふうに時間を使うことはなく、仕事を長めにしたり、早く仕事が終わった時にはお酒を飲む時間にしたり、あまり特定の物事に決めることなく時間を使っていたように思う。
    いや、というか、2020年は私史上、一番やばいプロジェクトのQAをやっていたんだった。当時は21時からミーティングがあったり、朝も8時くらいから仕事したりなど、通勤時間がなくてよかった、なぜなら仕事ができるからみたいなマインドで生きていたのを思い出した。
    レイソルはどんな年だったっけか。J1に戻ってきた年だったよな。ミカがいたり、江坂がいたり、クリスがいたりした年だったか。何度かスタジアムに足を運んだような気がするけれど、ごめん、あんま覚えていないな。

    2020年なんて、つい最近のことなように思う。
    けれどそれから3年、きちんと地に足をつけて、生きてきたんだよなぁ。
    あの頃は楽しかった?と自問しても、あんま覚えてないんすよね、くらいしか返す言葉が見つからないんだけどね。
    過去、楽しかったかというと、その都度つらかったようなことがあったんだと思う、だけどそういうのって昇華してしまう気がするんだよな。
    楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら良いのかもしれないけどね。