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  • 5月1日

    5月1日

    図書館で伊坂幸太郎の、フーガはユーガを借りられたのでとても嬉しかった。
    読むのは2回目で、1回目はだいぶ長い順番待ちをしたものだ。それが、もう予約は不要で借りることのできたという、時間の流れに少しだけ驚いた。
    あれからまだ1年くらいしか経ってないんじゃなかったっけ。

    伊坂幸太郎は、ストーリーの非現実性と、言葉の選び方や小ネタの挟み方がとてもオシャレなところが良い。あとは気持ち悪い性描写や、暴力的なところが少なくて、10代の若い人たちにもウケるような、健やかな風味がある。
    そういうところが、人気のあるところなのかななんて思ったりする。
    個人的には、彼の通った高校が私の自宅近くにあるという点でも、応援していたりする。

    伊坂幸太郎みたいな小説が書けたらなぁ、と何度か考えたことがある。
    彼のようになりたいのではなく、こんな感じで小ざっぱりとした読後感を与えてくれるような作品を仕上げてみたい。
    そんな意志を持って、5000文字くらいまで書くことは良くあるんだけど、そこから先が続かないような作品が、割とたくさんあったりする。

    そう考えると、小説家としてやっていくために必要なことって特別難しいようなことではなく、持続力が一番必要なのではないだろうか。
    物語を書き続ける、最後まで仕上げる力。あとはアイデアを生み出そうと考え続ける力。この二つがあれば、この二つを自分の中で地味にでも良いから続けていくことができれば、自分の理想とする作品を出せるのかな、とか思ったりするね。
    私の場合、アイデアを生み出そうと考えたり、着想を逃さないようにメモったりすることはできているので、そのアイデアの切れ味が鋭いかどうかはさておき、ひとまずその二つのうち一つはできているような気がする。
    そうなるとやっぱ、持続力なんだよなぁ。
    書きかけの5000字、もうちょっと引き伸ばしてみるか。

  • 4月24日

    日曜日、そして雨。

    朝少しだけ走った。8km。少し気温が高かったせいか、10kmまで到達できなかった。
    途中、めっちゃ細い女の人が走っていて、その横を通り過ぎた。
    自己顕示欲の塊だな、と自己嫌悪になる。

    自己嫌悪。自分を嫌いになれる理由なんて、すぐにたくさん見つかる。

    有名人は、有名税と呼ばれている、いわゆるアンチからの反応に苦慮していると聞いたことがある。
    それは有名とか無名とか関係なく、私みたいな人間でも、アンチからの反応があったりする。しかもそれは他人ではなく、自分自身から。

    8kmも走れるなんてすごいじゃん!しかも結構速いペースで!っていう声だって、自分自身に聞かせることができるだろう。
    だけど、私は、あのめっちゃ細い女の人よりも速い自分を見せたかったという、とても卑しい心をクローズアップし、それに対してアンチさながらの罵声を浴びせるのだ。

    罵声は、快感なのかもしれない。

    アンチとして罵声を浴びせたことは、私はないのだけれど、一定数、いつまで経ってもそういう人間が消えないということは、そのやっかみというか、卑屈な心、そして匿名という、自分が安全なところにいながら、人を傷つける。その快感。

    いや、よく分からない。

    自分を傷つけると、自分が傷つく。自分に対する罵声というのは、自分を陥れる…

    つまり自殺行為ということになるのかな、きっとそうだろう。

    深く考えると、身体に良くない領域に入る気がするのでこの辺で

  • 4月17日

    エンタメ小説は、売れることを目的にしている。
    純文学と呼ばれるような小説は、自分の内面から湧き出る想いを文章という形で可視化し、周りに読んでもらうことを目的にしている、ような気がするんだよなぁ。

    昨日の朝ラン中、そんなことを考えたんだった。

    いや、けどそういうカテゴリーはどうでも良くて、私が昨年くらいから描いている小説はその両方に当てはまるような気がしてて。

    そうそう、そもそもカテゴライズしたくなっちゃう病ってのがあんま良くなくて、私のネガティブ思考に関連する話でもあるんだけど「そのどっちにも当てはまらない状態」を認めるのが、すごく気持ちが悪い。イエスかノーか。赤か青か。プラスかマイナスか。そういう教育を受けて育ってきたから?よく分からない。

    グレーを認めると言うのは、多様性を認めるということにもつながる。もしかしたら私の中で、多様性というものを認めたがらないのかもしれない。いろんな考え方があって然るべきだし、58億人の考える、自分の中にある正義や信念に基づいて生きているだろうから、そのことに異議を唱えるつもりはなく、みんなそれぞれ自分の正義や信念を信じて、他人の邪魔をすることなく生きていったら良いのにな、と思ったりします。
    朝食も、ごはん派、パン派だけじゃないと思うんだよね。食べない人、お茶だけ飲む人とか、いろいろいるもんね。

  • 4月10日

    予定のない休日は、ついなんだか生産的なことをしてしまいがちではあるけれど、本当は休むことが必要なので、疲れるようなことをしちゃいけないと思う。

    疲れるというのは、身体的な面、精神的な面の両方があり、私の場合、例えば遠くの場所にある人混みなどはそれに該当したりする。静かな、落ち着いたところが好きなので、図書館とか、森の中でデイキャンプが良かったりする。
    それでもそれが家族の要望と合わなかったりして、それを家族に合わせると、満足のいく休日とは呼べなくなってしまう。

    それじゃ家族がいない方が良いの?という話に展開しがちである。
    となると、それはそれで別問題で、というのも家族から齎されるが多いから。

    どっちもどっちだったりする。どっちも優先したい。どっちも愛したい。
    自分の気持ちと、家族。

  • 3月27日

    キャンプで濡れたテントや寝袋、イスをベランダで干している。
    それを眺めながら日記を。

    とても心地良い。

    スギ花粉が気になるけど、きっと今吸った花粉は明日響いてくるはずだから、明日なんとかするとして、今はベランダにてマスクをせずに、外の空気を吸っている。

    昨日図書館で、エピクテトスの本を借りて、「自分の手や頭でどうにもできないものには執着しない」という言うのが頭にこびり付き、剥がれない。
    最たるものは、天気だろう。天気には43年生きていて何度裏切られたことか。裏切ると言っても、天気は私のことなんて何も気にしていないから、私が一人で騒いでいるだけだが。
    とは言え、天気のせいでイヤな思い出になったということがあっただろうか。

    しばし考える

    イヤな思い出というのはあまりなかったように思う。
    どうだって良かったのだ、天気なんて。
    急な雨が主に挙げられるが、急な雨でイヤになったことなんてあっただろうか。

    どうだって良かったのだ、天気なんて。

    最高気温がゆっくりと上昇していき、そうなることで昼と夜の寒暖差が激しくなってくると、春らしさを感じる。桜も芽吹いてきていて、街を見渡してもだんだんとピンク色が目につくようになってきた。とてもやわらかな、ピンク色。綺麗だ。

    エピクテトスの本を読んでいると、他人に振り回される自分がやたら滑稽に見えてくる。
    家族、会社の人、街ですれ違う人など。

    また、自分の寿命についても、むしろ私がこだわりすぎていたのでは、と思ったりするんだよなぁ。
    これちょっと他の人にも見てもらい意見をもらっても良いかなと思うので、noteに当初してみよう。