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  • 6月8日 手動テストのシナリオを自動化するのではなく、自動テストのシナリオを自動化すれば効率性、正確性の点でメリットがあるんじゃないか説

    6月8日 手動テストのシナリオを自動化するのではなく、自動テストのシナリオを自動化すれば効率性、正確性の点でメリットがあるんじゃないか説

    仕事で、自動化されたCucumberのシナリオを確認する仕事をしている。
    数百あるシナリオを、地道に1行ずつ見ていると、そのスクリプトを作成するチームのリードから、
    「数百のシナリオをある程度マージしたい。そうすることで効率的になると思うから」
    と言われた。

    ここで私は、ちょっと立ち止まって考えてみた。そのことを今日の日記に書きたいと思う。

    考えたというのは、手動テストを自動化していくよりも、最初から自動化することに主眼を置いたテストシナリオを用意する方が良いのではないか、ということ。

    まだ私の中で、自動化スクリプト(Selenium + Cucumber)の良し悪しを隅々まで理解していないので、なかなか上手いことは言えないのが心苦しいのだけれど、以下のような違いがあると考えた。

    • 手動テスト:表示された画面やデータベースに保存された内容を見て、開発されたものが正しいかどうかを確認する。人の目で確認する。
    • 自動テスト:画面表示テストだったら、画面を構成するものが正しいPATHとかで置かれているか、またデータベースの中にあるものだったら、適切なタイミングでストアされているかを確認する。機械で確認する。

    やろうとしていることは同じように思えるのだけれど、人の目と、機械で確認するという違いは割と大きいように思う。
    人の目だと、見逃す、勘違いする可能性がある。
    一方、機械(コンピュータ)で確認すると、見逃しや勘違いすることはないだろう。ただ、きちんと期待結果を入力しておかないと、どれが正しいのか分からなくなってしまう。ここさえきちんとすれば、自動化の方が(きちんとメンテナンスされていれば)いつでもできるという点、間違いがないという点で、こっちをちゃんとやっておきましょう、というふうに考えることができるのではないか。

    で、そうなると、手動テスト(人の目)をベースとして作ったテストシナリオよりも、自動テスト(機械の目)をベースとして作ったテストシナリオの方が、作りやすいなどあったりするのではないだろうか、と。

    いや、テストシナリオの中にあるテストケースの、テストで確認したいポイントは同じでも良いのかもしれない。順を追って進んでいくテストステップのところで、わざわざ画面に表示されている「ボタンを押す」という行為を機械に押させるようなことはしなくても良いのではないか。
    「ボタンを押した状態」を意図的に作り出せれば、その方がSelenium+Cucumberとしてやりやすいのであれば、メリットが多かったりしないだろうか。

    私に自動化スクリプト作りのスキルがないから、これは仮説でしかなく、ここにスキルが加われば、仮説を検証することができるのになぁ。
    Still Day 1、ここが始まりで、コツコツ勉強していけばいいんだろうけども。やろっかな。

  • 6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

    6月1日 ここに書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記

    3月21日から始めた、この毎日なにかしらブログを書くということで、「今日なに書こうかなぁ」と考える時間が増えた。
    ネタに困る、とシンプルに言うとそういうことも少なくはなく、だけど、日々気になったものや、新たに始めてみようと思うようなことをここに書き留めることで、自分の考えを俯瞰できるような気がしている。
    過去に書いた日記を振り返ることは、ほとんどしない。
    正直に言うと、昨日書いた日記すら、なにを書いたか覚えていない。
    せっかく書いたんだから、と思う一方で、どうせ死ぬまでの暇つぶしで、1日に数万回くらいの発想を無意識に行なっている中で、それが記憶に残る程度まで強かったものだとしても、それがどうした、と考えてしまう。
    私としては後者の方が思いとしては強く、ほぼ日手帳にも同じように日記を書いている中で、そちらも気が向いた時くらいしか振り返ったりはしない。
    最近投資を新たに始めたので、時系列で追うことで何かが見えてくるかもしれないが、それをやる労力と効果を比較した時に、メリットが感じられないので、まぁいいかと思ったり。

    ここで書く日記と、ほぼ日手帳に書く日記、なにが違うのだろう。
    一番最初に思いつくのは、他人が見るかどうか。ここは誰かしら見る場合があるので、書いてることの支離滅裂さはある程度制限させ、私としてはきちんとした文章を書こうと心がけている。
    一方でほぼ日手帳のほうは、完全に殴り書き。誰も見ないし。たまーに、書いたところを写真で撮影してツイッターとかにアップロードすることもあるけれど、自分の書く字の輪郭など含めてプライベートに踏み込み過ぎていると考えており、あまり載せるようなことはしていない。
    どちらかに寄せても良いのかもしれない、と考えることがある。
    今のところはどっちも共存させていくつもりで、その分2倍の労力がかかるのだけれど、思考を外向けと内向けで使い分けることで、お互いの良い面を生かしながら自分の文章を書く力に役立てていけたら嬉しい。

    いや、これは自分の文章を書く力として役立っているのだろうか。
    このブログだって思いついたことをさらさらと書くだけで、自分のスキルとして身についているのか、甚だ疑問だ。
    自分のスキルを測るのって難しいけどね。続けることで、自然と身についていくものなのかもしれないけども。

  • 5月25日 心療内科と眠りについて

    5月25日 心療内科と眠りについて

    落ち着いた1日。今日は心療内科の診察日だった。
    先週から今日までの1週間、割と落ち着いていたように思う。
    感情の浮き沈みという観点では、平穏。それが最良なように感じる。
    ちょっとだけ浮く時期があった。その日はランニングをして汗を流し、走り終えた時には爽快感とともに、また心地よい眠りという副産物もあって、走るのって良いなぁと感じることができた。
    ただ、それって浮いている状態で、

    とか、勝手に「浮いている状態」って決めつけたけど、それが私の「平穏と呼べるレンジ」だとすると、私がランニングに出ることのできるマインドセットは、私の平穏と考えることができるのかもしれない。
    何が良いのか、分からなくなってくる。
    浮いているとか、沈んでいるとかって自分の捉え方の問題で、そんなのは日々の考え方で変わっていくだろうから、もしかするとそういうことはあんま考えないで、自分のやりたいことに集中して取り組むくらいで良いのではないだろうか。
    レイソルの応援でジャンプしまくり、声出しまくりみたいなのも、自分がやりたかったことの一つで、それをやって満足できれば、それが生きてて良かった!につながっていくはずだから。

    今日の診察では、割と安定しています、と話、薬は前回処方されていたものと同じものがまた、処方された。
    私の中では不眠が問題で、入眠するまでに1時間くらいかかることと、朝3時から4時くらいに目が覚めてしまうことを伝えていて、けど先生的には目が覚めてもすぐにまた眠れれば良いと思っているようで、そこが私のバロメーターになっているのかもしれない。
    44歳にもなると夜ずっと眠ることも難しいことだってあるかもしれないよね。
    そのためにお酒は極力控えるようにしているし、眠りを最優先して日々暮らしているけど、ここしばらくの間、朝までぐっすり眠れました!みたいなことってないんだよなぁ。
    年齢のせいなのかなぁ。男性にも更年期障害があるって言うしね。

  • 5月18日 優しい嘘

    5月18日 優しい嘘

    どっちが正義だとか、良く分からなくなっちゃってさ。
    少年は、自分が原因で起こしたクラス内での諍いを、隣の部屋に住む、なんの仕事をしているか良く分からないおじさんに話した。
    いじめられている友達を庇ったら、今度は少年がいじめられるようになってしまった。
    こんなことなら、庇うなんてことしなかったのに、と。
    物事はこれ以上なくシンプルだ。いじめられている子が悪い。
    だけどそのいじめられている子は、家では二人目のお父さんに頬を打たれることが多いと知ってしまった。
    そうなると悪いのはそのお父さんじゃん。いじめてる子は悪くないじゃん、と。
    おじさんは変わった匂いのタバコを吸いながら、少年の話を聞く。明後日の方向を向きながら。

    もしかすると、そのお父さんも、誰かにいじめられているのかもしれないぞ。
    だとしたら、お父さんすらも悪くはなくなってしまうよね。
    そうやって、世界って回っているのかも知れないなぁ、とおじさんは、少年に聞かせるでもなく、独り言のように呟く。
    タバコが、最後まで行ったようで、胸のところについてる小さなポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコをその中に入れた。パチッ、とボタンを留めるような音がなり、その後におじさんは携帯灰皿を潰すようにして、タバコを吸う一連の作業を終わりにした。

    だけどな、少年、君がやったこと、友達を庇うことは悪いことではないだろ?
    おじさんは、ゆっくりと、諭すように少年に聞いてみる。
    少年は少し考えるようにして、そうだね、友達が可哀想だったから、と少年は応える。
    いいんだよ、それで。目の前に困っている人がいたら、助けちゃえばいいんだから。
    お父さんに打たれる?だからって友達をいじめて良いなんてルール、ないだろ?
    少年、君は自分の道を信じて、明日も学校に行けばいいんだよ。
    いじめられることがあったら、うちの隣にヤクザが住んでるんだよね、この間友達になってさ、くらいのことを周りに言いふらしてみ、そしたらいつの間にか、君はいじめられなくなるんだから。
    おじさんはそれを、優しい嘘と名づけた。
    でもおじさん、嘘をつくのは悪いことじゃないの、と言うと、おじさんは笑って、次のタバコを吸う準備をしながら、ついてもいい嘘ってのもあるんだよ、と言った。
    青空を、数羽の鳥たちが、どこかへ飛んでいくのが見えた。

  • 5月11日 心療内科の先生に相談する内容とは

    5月11日 心療内科の先生に相談する内容とは

    心療内科って書こうとしたら、間違えて新緑、となってしまい、そうじゃん、新緑の綺麗な季節になってきたな、と思い返した。
    昨日と今日、家から一歩も出ていない。緑が遠い。
    ベランダで飼っている観葉植物を眺めながら、彼らが自らの腕のように延ばし始めた枝、そこから生えた葉が多くなってきたなぁと感じる。
    そんなふうに、ぼんやりしていたらどんどん暑くなって、知らず知らずのうちに夏を迎えるのだろうか。
    すでに43回分の夏を経験している身としては、44回目を迎えたとしても、今までと大差ない夏がきたな、と感じるんだろうなぁ。

    今日は心療内科へ通院する日。
    何を喋ろう、と思うと、少しだけ緊張する。
    緊張する心療内科ってどうなんだろう。良いのか、悪いのか。
    私の通う心療内科は、「誰でも気軽に来てくださいね」みたいな雰囲気で迎えてくれるのだが、私を診てくれる先生はやや口が重く、私からいつも喋り出すことになっている。
    他を知らないので、それが普通と考えてしまっている。もしかするともっと違う、私に合うような先生がいるかもしれないけれど。

    けれど、今になって病院を替えるというのは、サンクコスト的な考えもあり、腰がだいぶ思い。
    自分に合う/合わないってのがあるから、いろいろ見た方が良いよ、というアドバイスは今まで何人かからいただいたのだけれど、結局実行には移せていない。
    移せていない、というか、違う、今の自分としてはそこで満足している、のかもしれないから、新たなところを開拓する気がない、というのが正しい、

    ような気がしている、けれど、

    いつまでこの薬を飲み続けるんだろう、という思いがある。
    その前に、私がどういう状態になったら、この薬をやめられるのだろうか。
    元気になったら?と考えてはみるけれど、それじゃ今の私は元気じゃないのか、という問いが自然に浮かぶ。
    元気な時は元気だけれど、そうじゃない時だってあるさ、だけどそれって人間だもの、抗うつ剤を飲んでないような人だって同じようなことあるでしょ。
    分からない。
    極論を言うと、先生に決めてもらいたいと思ったりしている。
    私自身じゃ、分からないから。
    どの状態になったら薬をやめる、通院をやめることができるのか、分からないから。
    試しに、薬を飲まないで生活してみる?みたいなことも考えた。
    けれど、それで失敗して不幸のどん底みたいなマインドになってしまったら嫌なので、まだ実行に移したことはない。
    こういうことを、先生に相談してみても良いのだろうか。
    他の患者さんは、どんなことを先生に相談しているのだろうか。ちょっと気になる。

  • 5月4日 TOEIC、今の現在地点

    5月4日 TOEIC、今の現在地点

    先日買ったTOEICの本を少し勉強する。
    試しにトライしてみたリスニングの箇所、80%くらいできていた。
    思ったよりも調子が良くてビビる。
    普段はインド英語しか聞いていないから、いわゆる普通のイントネーションには自信がなかったから。
    まーこれに過信せず、取りこぼしたところの原因をはっきりさせて、さらなるスコアアップを目指したいと思う所存。

    リスニングに限らず、TOEICって長丁場だから、集中力が切れてしまうのが問題だと思ってる。
    リスニングの方はずーっと気合を入れて聴くためのスタンバイをしておかなければいけないし、ライティングの方になると問題数が超多いから、うだうだ休憩してるわけにはいかないし。
    いや、きっとこれは訓練すれば、なんとか持ち堪えるようにはなるような気がするんだけども。
    ということで、ひたすら解く、からの答え合わせを繰り返すことで、その雰囲気に慣れるのではないかと思う。

    コツコツやるためには、自分の中でミッション感覚を忘れないようにすることも大切な気がする。
    絶対飽きちゃうし。人生にとって必要不可欠なものではないし。
    勉強する=自分の時間を使う、という点では、家族との時間を割いてまでこっちに注力するわけだから、家族に対してもそういうアテンションを払っておく必要がある、とか。多分これは考えすぎな気がするけど。

    自分の中での思い込み、先入観っていうのは、時として悪魔になるよね。
    よく、「自分、英語苦手だからー」って一言目に発する人がいるじゃんか。
    そうやって英語から遠ざかった人生を歩んでいるんだろうから、別にいいとは思うんだけど、それも思い込みだと思うんだよね。
    英語が苦手な人なんていないでしょ。ちゃんとやれば、ちゃんと結果がついてくるような気がするんだよな。
    私も英語が苦手だわ〜、って思う時期があった。けど仕事で、英語しかコミュニケーションできない人が同じチームに入り、毎日の朝礼で話す機会があったから、そのおかげで自然にできるようになった。
    TOEICも、プログラミングもそうだけど、毎日コツコツってのが大切なんだろうなぁ。それだけじゃないよな。

  • 4月27日 無心になって未来を信じてみる

    4月27日 無心になって未来を信じてみる

    4月24日の日記で、未来を信じるにはどうしたらいいか、ってのを書いて
    未来なんてものがあるから、望みを託してしまうのであって、
    未来なんてものがあるから、今に絶望してしまうのではないかと思っていて。

    未来を味方につけると、思い描いた未来に近づくように行動を起こすから
    自分の人生を謳歌して生きていくことができるような気がする。
    だけど、もしいくら頑張ったとしても、思い描いた未来とは程遠い結果になってしまったら。

    いや、そんな後ろ向きなことを言っていても、ただ時間が空しく過ぎていくだけだよなぁ。
    あまり期待せずに、なれたらいいなくらいのテンションでやっていくくらいが
    自分には合っているような気がする。

    この、最近は毎日続けている日記みたいなブログも、いつか飽きちゃってやらなくなることだってあるだろうから、期待はせずにしておこうと思っている。

    一度、無心になって未来を信じてみるっていうのもアリな気はするんだよなぁ。
    例えば、私、今、お腹が出てきてしまっていて、この体型が気になるんだけど、
    そんな感じでInstagramを見ていると、ズボラな私が一ヶ月ダイエットを頑張ってみた結果、みたいなのがよく出てきていて、多分そういう人たちは、私みたいに「ダメだったらどうしよう」みたいな後ろ向きなことは考えず、ひたむきになって取り組んでいるんだと思う。
    そしてダイエットや身体作りって効果が目に見えやすいから、自分の頑張りがわかりやすいのも良いんだよなきっと。

    一ヶ月かー。
    私の場合はランニングなんだよなぁ。毎日ってのは流石にアレかもしれないけど、続けてみたら私の体型が変わるんだろうか。

  • 4月20日 唐揚げのゴール

    4月20日 唐揚げのゴール

    彼の顔が好きなの。
    なんでか分かんないんだけど。
    彼の、ボールを跳ね返そうとする時の、歯を食いしばった時の顔が。

    応援しているチームが、防戦一方の展開。
    こちらとしてはなんとか自陣からボールを出してくれ、最悪タッチラインを割ってスローインでも良いから、と戦々恐々としている最中、彼女はそんなことを言った。

    私の願いが叶ったというべきか、あまりうれしくはない願いなのだが、ボールが本当にタッチラインを割り、相手チームのスローインとなった。
    ボールがフィールド内に投げ入れられ、受ける人とそれをマークしてる人の小競り合いが始まる。もう一度スローインとなった。

    けどさ、その、歯を食いしばった時の顔ってさ、ちょっとサディスティックじゃない?
    彼女にそう言った。
    だって普通じゃないもんそれ、と続けて言うと、彼女は少しむっとした顔をした。
    私の好きな、彼女の顔だ。

    うっせーなー!と彼女は言い、食べかけていた唐揚げを私の口に無理やりねじ込んだ。
    まるで数年前に14番をつけていた外国人選手が、彼の身体的アドバンテージを前面に出し、あらゆる選手を薙ぎ倒して最後のゴールキーパーまでひらりと交わした後に決めたゴールのような、唐突さ。
    私の口は咄嗟の攻めにゾーンディフェンスで対応することができず、唐揚げは私の口に、見事とも言えるゴールを決めた。
    ゴールを決めた彼女の顔は、勝ち誇ったような恍惚とした表情で、私の大好物だった。これだからサッカーはやめられない。

  • 4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

    4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

    ふと、気になったサイトの記事。
    割と有名なメディアサイト「キナリノ」の、「誰かのための人生になってない?幸せな「自分の人生を生きる」ヒント」というタイトルの記事。

    誰かのための人生ってなんだろう。自分の人生ってなんだろう。

    人間は、自分のために人生を歩んでいると思っている。
    子供だととてもわかりやすい。
    自分の欲求を満たすために、自分の欲望に対して真っ直ぐに向き合って生きている。

    それが理想だとすると、大人(と呼ばれる人たち)は、自分の欲望に向き合って生きてはいないのだろうか。

    向き合って生きてはいないのだと思う。
    なぜなら、それをやってしまうと、ワガママだとか、周りから叩かれてしまうから。
    だから、そうならないように、世間の目を伺いながら、生きている人が多い。

    たまに、そんなの気にしてらんないわー、私は私の人生を歩むんだから、という人がいる。
    言い換えると「ロックな人」。
    そういう人に、憧れる人は多い。内田裕也に憧れてる人とか、ね。

    憧れるのと、そうなりたいと思う願望って、ちょっと違うと思う。
    仮に、私が内田裕也に憧れているとして、今、私が、仕事をやめて音楽で生きていくぜ!ロックだぜ!それがやりたかったんだぜ!となると、どうだろう。
    私の家族は、食べていけなくなってしまう。
    私には責任がある。家族を養っていくという責任。
    だから、本当はロックがやりたいのに、それを我慢して仕事したりしている。

    文句あるか、別にないだろ、大好きな家族が、美味しいご飯を食べる時に見せる笑顔が見たいという欲望を満たすために、働いているんだからな。
    ここまで考えるとどうだろう、私のやりたかったことって、「家族の喜ぶ顔が見たい」のであり、それは「ロックをやりたい」という欲望よりも上位に来ることがわかる。
    ロックをやりたい、けども、それよりも家族の喜ぶ顔が見たい。

    なんか話がずれてきた気がする。

    自分の人生を生きるために、自分の欲望を明確にすることってすごく大切だと思う。
    だけど、上で思考実験をしてわかったのは、100個の欲望があったとしても、それが全部同じ位置にならんでないよな、ということ。
    優先度が重要度があって、それに応じて、時には世間に合わせて生きたりしてるんだろうなぁ。

  • 4月6日 長嶋有と私

    4月6日 長嶋有と私

    長嶋有の作品は、いつもすかっとする。
    物語のすかっと性ではなく、歯切れの良い文章を読んだ時に感じる、爽快感。
    必要な言葉が最小限使われていて、物語も短編ということでさらっと読めるし、大好きだ。
    こんな風に文章が書けたら良いなー、と読むたびに思う。

    思うだけではダメで、余計な言葉をなるべく使わないように、日々、魂を綴っている。
    魂を綴る、なんて大それた名前にしてるけど、あまり出し控えせずに心の赴くままに書いていると感じる。
    インターネット上に流れる文章だから、それに合わせたリテラシーは守ってるつもりだけど、逆にいえば、それくらいしか制限をかけていないつもり。

    今日はほとんど家から出なかった。
    出ないから何も書けないかというとそんなことはなくて、顕在化された意識、つまり思いつきは8秒間に1回起きるってどっかで聞いたことがあるので、私の中の気づきはそれくらい起きているんだろうな。
    残念なのがほとんど覚えていないという点で、明け方に見た夢を覚えていれば、それについて文章を書くことだってできたのに。
    いや、良いのだ別に覚えていなくても。その程度のものなんだから。
    そしてこれから死ぬまで、8秒間に1回くらいの頻度で何かを思いついていくんだろうな。ほとんど捨てちゃうんだけど。