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  • 4月21日

    ずーっと仕事のことを考えているようで、そのせいか生活にメリハリがつかず、気持ちが沈んでいるような気がする。

    いったん仕事から離れてみて、違うことに集中してみると、良かったりするのかなぁとか思ったりしてる。

    ランニングとか。

    それ以外に何も思いつかない、この乏しい想像力が悲しい。とは言え、これが自分の歩んできた道のせいで、それ以外にリフレッシュできるようなことを身につけてこなかったから、自業自得ではあるんだけど。
    いやいや、ランニングという趣味を持ってるだけ、まだ良いのかもしれない。

    もしくは、対症療法的な扱いになるが、仕事に対して不安に思うことを全部書き出してみて、「不安の9割は的中しない」という一般原則に則って考えてみて、自分の中で気持ちを落ち着かせるようなことを考えてみても、良いのかもしれない。
    今イマの自分の感覚だと、それをやってみて気持ちが傷むということにはならなさそうなので、ちょっとそれやってみようかな。

    ここ2日ばかり外に出ていないので、単純に外の空気を、4月20日前後の空気を感じていないってことになるのかなぁと思ったりする。

  • 4月14日

    自分の価値観を、揺るがずに持っていることにポリシーと感じているような人は、私からすると合わないのかもしれない。

    人によるから、私はその人に対して良いとか悪いとか、そういう判断ができない。私の判断なんてなんの意味もないから。自分の機嫌を取りたいだけだから。

    だから、頑固な人、周りに合わせようとしない人、努力しない人には、今までずーっと「なんであの人は協力しないんだろう」と一人で悔やみ、がっかりしていたのだけれど、

    それは私がその人に対して期待をしていたからであって、多分、ではなくきっと、私の思惑が間違っていたんだと思う。

    そうすべきじゃなかった、ということ。

    期待すんな、と1週間に20回くらい考えることがあって、それはつまり私が、人や、組織に対して期待してしまっていることの裏返しなのであるからなのだけど、少なくとも私の意識を変えるだけで、もしかしたら世界が変わってみてるのかもしれない。

    同じように、厭世的な考えをずーっと持っていて、この世に対してなんの未練もありません、今すぐに命が終わっても良いです、と考えていたんだけど、

    一方で、

    例えば、もうすでに別れてしまった人に対して、もっと優しくすべきだったとしても、その人が死別してしまっているとしたらすでに手遅れで、それは後悔の一つで、

    その点で、

    私はまだ会いたい人がいるし、その人と会って話がしたいし、その人の顔が見たいし、てかずーっと見ていたいし、それはつまり家族であったり旧い友人であったりするんだけど、

    そういう人たちとの、黄色いTシャツの番組みたいな言い方をすると「絆」というものが思い浮かぶんだけど、その絆があるから、まだ死にたくないな、と思うようになりました。

    ただそこにも、他人には期待すんなよ、ということがあり、私が会いたいからと言って、向こうも同じように会いたいと思っているかは彼らの勝手なのだから、私はそこに期待しちゃいけないんだな、ということは忘れないでいたい。

  • 4月7日

    季節が移り変わっていく。少しずつ暖かくなってきて、北向きの部屋で仕事をしているのだがようやく暖を取る装置を片付けても良いかな、と思うようになってきた。

    桜はまだギリギリのところで頑張っている。あともう1回、雨が降ったらきっと、一気に散ってしまうだろう。
    この、儚いところが、桜の良いところなのだ。その儚さが、日本の侘び寂びにつながっていると信じたい。

    詫びとか寂びとか、いつまで酔いしれているのだろう、日本人は。
    かくいう私も好きな話なので、私が死ぬまで寄り添っていきたい。

  • 3月31日

    世の中では「年度末」と言われる日。翌日はエイプリルフールとして、世界が滅亡するだとか、しょうもないジョークが飛び交うのかもしれない。世界が滅亡とか、その温度感で飛び交うジョークは、地球の北の方でバチバチやっている地域があるから、さすがに不謹慎だわ、とか言われちゃったりするのかね。

    話したいのはそんなことじゃない

    何もないことが最上、という人と、
    今持ってないものをどんどん手に入れることが最上、という人がいる。

    私は前者だな、と思ったのよね今日。

    何も心配する点がない、不安なところがないです私は、めっちゃ正常です、というのが、私にとって最上なんだな、と。
    今、花粉症でめちゃくちゃ悩んでいたり、たまに胃が痛くなったり、たまにものすごくこの世とお別れしちゃいたくなったりするんだけど、そういうのが一切ない状態が、自分の中で一番気持ち良いんだな、と思った。

    多分、これは俗に言うネガティブ思考ということになるのだろうけど。

    逆に考えると、そういうところがないか、常にセンサーを張り巡らせているような気がしてて。
    身体やメンタルの不調がないか、もしあったら一気に赤信号を灯し、それを解決するために全力を尽くすような生活。

    ネガティブ思考であり、心配性なのかもしれない。

    もしかすると、そういうのを探しにいこうとするマインドセットを変えてみると、また違った景色が見えるのかもしれない。

    上述の、後者のほう、これはポジティブ思考かというと、なんとも言えんよね。

    なんでも欲しがっちゃう性格。今がゼロで、ここから自分が気持ちよくなることを探しにいくというか。
    これは快楽主義ってやつになるのかなよく知らんけど。

    こうやって2パターンで比較しちゃうと、つい、どっちが良いとかって話になりがちだけど、どっちも一長一短あると思ってて。

    私の方は、たぶん、不健康になりにくい気がする。
    悪いところがあるとすぐ、それを解決しようとするから、病院に行ったり、休んだりして、復調に努める気がするんだよな。

    ただそういうところに気づかずに、ひたすら身体に毒なことをし続けてしまう、ストレスのある環境に浸ってしまうと、そういう信号すら無視しちゃう訳だから、普通?に帰ってくるのにも時間がかかったり、するような。