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魂を綴る

他人に仕事を任せられない人のことを考えてみたら

他人に仕事を頼めないのは、自分がその人にものすごく期待しているから。期待の幅が狭いことによる。つまり自分のせい。 もしその人が何か失敗をしたとしよう。その時、任せた人の責任になる。つまり、私の責任に。 そうだ、私はその人が失敗した時に、責任を取りたくないから、それだったら自分がやってみて自分で失敗する方が、満足いくものになるから、結局いつまでたっても人に任せることができない。 思い切って、ばーんと […]

1月12日の日記

中途半端に仕事を遅くまでやってしまったせいで、頭が悶々としていて全然寝付けない。そんな1月13日の、1時49分を迎えている。 まだ、私の中では1月12日が終わってないような気分で過ごしている。 先ほどまでウイスキーをロックであおっていた。2杯。イチローズモルトと、カティーサークをそれぞれ1杯ずつ飲んだ。 仕事が忙しいのは、良いことなのだろう。私は暇になると余計な、人生において考える必要のない物事を […]

生きてる意味が良く分からないまま、生きている

誰かに認められるために生きているわけではないのだ。そういう意味では、自分に認めてもらいたいという気持ちはあるのかもしれないけれど。自分以外、家族を含めた他人から認めてもらうことは、生きることにおいて全く必要ではない。 認めてもらうって。だいたいその言い方。自分が下にいるということではないか。 抗え。そんな気持ちに抗うことで、自分は誰にも認めてもらう必要がなく、等身大で生きることができる。自分の力を […]

時間が自動的に過ぎていく

時間は老若男女、お金持ちだろうが貧乏な人という観点にも全く関係なく平等に与えられている、といろいろなところで目にする。 時間は財産だということは、時間が有り余っていてどうやったら有効に使えるか分からない人には分からないのだ。有り余っているから、それが大切なものとは気づかないから。同様に、お金をたくさん持っている人も、有り余っているせいで、大切なものという感覚が薄れてしまう。 不惑の年に入り、実際は […]

消えゆく存在

自分が生き抜くために必要なことは、自分のストレスとなるものをいかに発散するかということに尽きる。 私はきっと一種の現代病に侵されていたのだろう。 3週間くらい前にSNSと呼ばれる類のものを全部やめてみた。 Twitter、Facebook、そしてInstagram。 他人の生活が目に入ってしまうそれらは、私がどんなに「他人は他人、自分は自分」と意識していようが、否応なく私の意識に入ってくるのである […]

辛い過去との付き合い方

過去とは程よく付き合って行く必要がある。 人間は良い思い出や嫌な思い出、どっちもたくさんあるはずで過去の引き出しを定期的に見に行ってしまうから強く思い出すものとそうではないものの差が生まれてしまうのだけど 良い思い出が入っている引き出しだけと付き合っていければいいのだけど実際には嫌な思い出の方も定期的に見に行ってしまうことがあるので嫌な思い出には、どうしたっていつまでも付き合っていくようになってし […]

いつか別れる

家族に限った話ではないが、今、私がつながりを持っている人間は、今だけしかそのつながりが確約されていないということ。絆、って書いちゃうと日テレの黄色いTシャツを思い出してしまうので、そっちには寄せたくないので、あえてつながりという言葉を。 シンプルに、寂しいなぁ、離れたくないなぁ、という気持ち。 人生に別れはつきもの。出会いと同じくらいの頻度で、別れがやってくる。 もう二度と再会できない死別というも […]

未来は僕らの手の中にあるのかもしれぬ

2046年に迎えるシンギュラリティという現象のことを最近、よく考えることがあり、それはつまり人工知能が人間の能力を上回ることらしいのですけれど。 機械が人間をコントロールするのは、今に始まった事ではないと思うんですよね。きっかけは産業革命だと思っていて。機械仕掛けの工場で働く人間は、つまり機械に操られているってことじゃないですか。今でいうとライン生産をしている工場なんかはみんなそれだと思うんですよ […]

自己肯定感を高めようと意識するのをやめた

自己肯定感を高めよう高めようと日頃から考えていたけれど、それは難しいということが分かった。HSPから来る、自分自身への低い評価は根本的には治らないものなので。 違う。治る治らないという話ではない。もともと悪かったものではないはずだから。つまり、治らない。悪くないから、治すという感覚が間違っている。もしくは、治す(というより正す)べきは私の感覚。自己肯定感を高く持っているほうが、人生を軽やかに過ごせ […]

自我について

私は、両親が出会い結婚していなければ生まれてこなかったはず。もし両親が出会っていなければ、もしくは出会っていても結婚していなければ、更に言うと子作りをしていなければ、私はこの世に生まれてこなかった、はず。 私は、自我というものは産まれてから作られると思っている。今、外から雨音が聞こえていて、それが心地良い音と受け取る感覚も、それは両親が出会ったおかげ、結婚したおかげ、子作りしたおかげ、ではなく、産 […]