カテゴリー: 魂を綴る

  • 5月5日

    冬の間はほぼ放置していた、ベランダの観葉植物たちのメンテナンスを行う。
    もうだいぶ春だ。彼らにも春の訪れと、来る雨の季節、そして夏への準備を。

    植物は言葉を話さないけれど、彼らの葉の色、伸び具合でどんな状態か分かる。
    分かると言っても素人だから、ある程度元気かどうかくらいなものだが、それでも何年も付き合ってきている植物たちなので、徒長しすぎていたら切るし、盆栽は植え替えて根っこが伸びすぎていたら切ったりして、彼らが元気に暮らせるようにする。

    人間だってきっとそうなんだろう、といつも感じる。私は人間関係の厳しいところではすぐに元気をなくすから、私は私のメンテナンスをきちんと行わないといけないよな、と思う。
    幸いなことに人間関係で厳しいところは、上司や同僚に話すことで、改善できたりするので、そこは今の会社での恵まれているところな気がする。

    これから夏にかけて、新しいプロジェクトが動くと聞いた。私も夏バテしないように、日々こまめにメンテナンスしないとだなぁ。

  • 5月4日

    ゴールデンウィークだけあって、だいたいどこも混んでた。どこへ行くにも、何をするにも、人がいるという状況、これはむしろありがたがるべきなのかなぁ。

    というのも、日本全国、過疎化している地域の方が多いから。
    私は、そういう意味で、人がいるところにしかいないということになるのだな。

    人というか車ね。
    渋滞の何がイヤかって、だんだん社内の気温が高くなるところ。
    車だからしょうがないんだろうけれど。

    というわけで疲れた。渋滞に疲れた。

  • 5月2日

    伊坂幸太郎のフーガはユーガを読みながら、久しぶりに通勤した。
    以下、ネタバレを含みます。読みに来る人はあんまいないと思うのですが、もしここに辿り着いた人がいたら、且つまだ読んでなくて、これから読もうと思ってるのよね、という方は読まない方が良いかもしれません。


    先日、どっかの日記で、「伊坂幸太郎はエグい描写がないから好き」と書いたけど、この作品は割とエグみの強い話だったなぁと思う。今まで普通の人が死んじゃう的な扱いってあったっけか(殺し屋に殺される、悪い奴は除く)
    表紙に飾られているイラスト?のような、深い青色が物語を通してずーっと続くような感覚があったなぁ。主人公の生い立ち、家族構成が物語に暗い影を落としていて、幼いうちから身体を痛めつけられるのって、辛かったんだろうなぁと思ってしまい、その共感力のせいでしばらく読み進められなかった。
    途中でちょっと出てきた、小学生の女の子も然り。水槽の話も然り。小玉って漢字を見るだけでいろいろな痛みを想像してしまう。
    理不尽な痛み方をするのって本当に辛くなってくる。けど伊坂幸太郎のことだから、最後に明るくなってくるんだろうな、と言うのを信じ続け、最後まで読み切った感じ。
    残念ながら全ての人がハッピーに、とはならなかったけど、それでもまだちょっとは救われたかなという気分になったよ。

    共感力が強いっていうのも、なかなか考えものだよねぇ。
    そのせいで、人の痛みがわかったり、あとは空気を読んでみんなが気持ちよくなれる方向に動こうとしたりするけれど、そのせいで自分が後になって疲れてしまったりするからさ。
    人の痛みまで背負う必要はないんだよな。そのせいで、自分の背中が重たくなっていることに気づかなかったりするからさ。
    助けを求める人がいる。彼らは、こちらが手を差し伸べるのを待っていたりする。けど全員に対して応えられるわけないから、自分の器をきちんと踏まえた上で、可能な限り助けてあげられたら良いかなと思ったり。

  • 4月30日

    自分が信じるべきは自分だけで、それは自分の感覚を大切にしろ、ということなのだと思うど、けど実際は自分の持つ五感すらも怪しいことがあるから、となると何を信じれば良いのだろう。

    自分の五感が怪しいというのは、例えば大好きなご飯の匂いも、食欲がない時はそんな風に感じられなくなったりとか。
    自分の見える色が、他人には全く同じではない、とか。

    そして体調によって意識の持ち方も変わったりする、体調が悪い時はだいたいのことに対して保守的、ネガティブになったりするから、そうなると意識すらも、生きている間ずっと同じようなレベル、考え方で持つことができない、とかあるでしょ。

    自分の過ごす経験によって、言い方を変えると歳を取っていくことによっていろいろ経験が積まれていくから、それで見えてくる景色が変わったりするとか。
    若い時ってどうしても他人を許せなくなっちゃったりするような気がするんだよな。
    自分の思い通りにならないから。自分の思い通りにならない!と言って怒るのは、大人になってないから。大人と言えるほどの、経験をしていないから。

    これはつまり、経験至上主義ということになるのだろうか。

    旅をして見聞を広めることが、自分の成長につながるみたいな考え方って、そういうことなのかもなぁ。
    もしくは本か。本を読むと他人の経験談(小説含む)が見えるから、それで考え方が変わったりするみたいな。

  • 4月29日

    この時期にしてはだいぶ珍しく、すげー土砂降り。
    今年のGWは降ったり止んだりが続くようで、農作物がすくすくと育つような気がしています。

    今週はとにかく気を遣うことが多く、メンタルがだいぶ疲弊したせいで、昨夜の飲酒量が半端なかった。
    家で飲んだから、帰路で路頭に迷うということはなかったのだけれど。

    路頭に迷う。

    不惑、ということばがあるけれど、自分の道をきちんと定め、それに従って進んでる人って、だいたいどのくらいいるんだろうか。
    例えば10年後の目標を立てて、それに到達するための目標を小刻みに作るとすんじゃん、そうなると、細分化すると1週間単位とかで出来てくるような気がするんすよね。
    そこまで刻んでいくと、それこそ1日単位での、目に見えない目標ができてくるじゃんきっと。で、それが、1日を振り返る時に、どうだったか、っていうところまで反省タイムが作れるような気がするんだけどさ。

    けどさ、そこまでやっちゃうと、きっと疲れちゃうと思うんだよなぁ。
    今日の陽射し、風の雰囲気が最高!
    っていう、10年後の目標とは全く関係のない気持ちを、私は蔑ろにできないと思うからさ。
    そういうところが、人間臭さってものなのではないかね。

  • 4月28日

    大きく、息を吸う

    空気のたゆたさ、まろやかさを感じる

    身体を動かしてみる

    執着を捨てる

    執着を捨てる、って結構難しい。
    自分の過去に対して執着してしまうところがあって、みんなそうなんだろうと信じてやまないけれど、後悔はまさにそれの典型で、さっさと忘れてしまえば良いのにそれを忘れることができず、いつまで経っても「あの時、ああしておけば良かった」とか「あれしなければ良かった」とか、たらればの世界でしかないのに、今住んでいる世界とは別の、その時点で違う選択肢を選んだ後の世界を羨んでしまっている、そんな人生。

    確かにね、人生を左右する選択って、いくつかはあると思うんだ。
    だけどさ、今、お酒をもう1杯飲もうかどうか迷っているんだけれど、ここであと1杯飲んだところで、全く別の世界が待っているとは、あまり思えないんだよなぁ。
    強いて言えば、ここでやめれば酔いが浅いから、明日の目覚めは良いだろうし、調子に乗って朝ランできたりすると思うんだよね。
    一方、もう1杯飲んじゃったとすると、それが二日酔いを引き起こし、走りに行けない、午前中は眠くてたまらない、みたいなしょうもない4月29日を過ごすのかもしれない。それはまた後悔を生み出すような気がするから、

    そこまで考えて、飲むのはやめようかな、と思ったりするね、

    まぁ、飲み過ぎは良くないよな

  • 4月27日

    自殺する人って、決死の覚悟で決行するのではなく、ちょっと思いついたので、という程度の勢いなのではないかと思った。

    今日、仕事でだいぶ追い詰められていて、その心持ちのままリビングからベランダ、外の方を眺めたらとても気持ち良さそうな空、昨日の夜からちょっと強い雨がさらさら降っていて、今朝、子供たちが登校するくらいまでは雨が残っていた状態だったのだけれど、それが10時くらいに見てみると、これから気圧が上がっていくんだよ、というような雲の軽さ、そして空気の密度。
    そんなのを感じていたら、ちょっとだけふわっとベランダから飛んでみて、今抱いている仕事の重たい感じのやつとか、全部忘れられるんじゃないかと思ったのよね。

    もしかしたらこれも一つの希死念慮なのかもしれないけれど、希死念慮って書いちゃうとだいぶ重たい感じするけれど、

    希死念慮って、根本は、

    今いる現実から逃げたい、から来てるのでは無いかと思うのよね。
    *諸説あると思うので、これはあくまで私一人の、素人の考えです。

    逃げる=死ぬっていうのがちょっと安易かもしれないけれど、例えば遠くに逃げる、と仮定した場合、お金や着替えとか、必要だったりするじゃん、お金ってそんな簡単に集められるものじゃないから、例えば、1万円持っていたとしても、それで1週間暮らせ、となった場合、住むところから考えるとだいぶキツいと思うんだけど。
    そんなことを考えるくらいなら、この今いるマンションの6階から、いっそのこと飛び込んでしまえ、とか、思ってしまうんだよな。

    これ多分考えすぎると良く無い方向に行きそうな気がするからこれくらいにしておく

  • 4月26日

    同僚の、使えなさっぷりにイライラしてしまう。
    同僚とはいえ、業務委託という名目で参画してもらっている人。
    その人の単価に見合った動きをしてほしいから、そこに期待している自分がいるから、それにつられてイライラしてしまう。

    仕事とはいえ、他人に期待するのは精神的に良くない。

    そんなこと分かってる。私のチームが持つ業務が回らないから、それを委託しているのであって、お金を払っているんだから、期待するだけの業務をこなしてほしいと考えている、だけなのである。

    これが掛け値無しの、家族だったら、とか、友人だったら、とか、もっというと正社員という立場の同僚だったら違うのかもしれない。
    お金をかけているからこそ、ちゃんと、期待したところまでやってほしいのであって、それができないというのなら、すみませんが業務委託契約は終わりにさせてください、というだけなのかもしれない。

    いや違う、私の期待値が高すぎるのだ、
    いやいや、あの業務委託費ならそこまで、という葛藤が、私を眠れなくさせている。

    いっそのこと自分が眠くならずに、24時間働き続けることができる身体を持っていれば。
    私がロボットになり、滞っている業務を全部的確に解消することができたら。
    私だって人間なのだから、眠くなるし、お腹は減るし、ミスだってする、けど、
    自分がもっとちゃんとしていたら、こんなことにはならなかったのであろうか。

  • 4月25日

    日曜の夜から、憂鬱な時間になるのは、なぜか。

    なぜ、普段と同じ程度の難しさ、仕事量なのに、日曜夜になると途端に怖くなるのか。

    いつも通り、日曜の22時くらいから、なんとなく週末を終わりにさせるのがイヤで、夜ふかしをしてしまっていた。
    だいたい24時を回ったくらいから、だんだん、観念してくる。諦めというか。そこで、眠くても頑張って起きたとして、いずれ朝はやってきてしまうのである。
    25時くらいまで頑張ってみて、やがて諦める。寝床を準備し、布団に入る。
    もともと眠かったので、一瞬で眠りに就く。
    そして朝になり、子供たちは学校へ行き、私は戻りたくない仕事に戻るために、仕事の電源を入れる。パソコンの電源ボタンを押し、VPNで会社のネットワークに入ると、そこはもういつもの日常。
    Teamsにはいくつかのメッセージが届いていて、メールも届いているし、承諾済みのミーティングに被せるように、新たなミーティングが飛び込んできている。それらを地味に検証し、優先度を考え、時には承諾していた会議を諦め、新たな方へ承諾を飛ばす。
    そうしている間に仕事が始まり、会議、昼、会議、夕方、そして仕事が終わる。

    私が、日曜の夜に抱いていたのは、仕事に対する不安ではなく、ただ、週末から離れることの寂しさ、仕事という日常へ戻ることの億劫な気分を抱いていただけだったのだ。

    今の仕事は嫌いか、と言われると、本音で考えても結構好きな部類に入ると思う。そんな仕事に戻るのが嫌というのは、もしかしたら贅沢なことなのかもしれない。

  • 4月24日

    日曜日、そして雨。

    朝少しだけ走った。8km。少し気温が高かったせいか、10kmまで到達できなかった。
    途中、めっちゃ細い女の人が走っていて、その横を通り過ぎた。
    自己顕示欲の塊だな、と自己嫌悪になる。

    自己嫌悪。自分を嫌いになれる理由なんて、すぐにたくさん見つかる。

    有名人は、有名税と呼ばれている、いわゆるアンチからの反応に苦慮していると聞いたことがある。
    それは有名とか無名とか関係なく、私みたいな人間でも、アンチからの反応があったりする。しかもそれは他人ではなく、自分自身から。

    8kmも走れるなんてすごいじゃん!しかも結構速いペースで!っていう声だって、自分自身に聞かせることができるだろう。
    だけど、私は、あのめっちゃ細い女の人よりも速い自分を見せたかったという、とても卑しい心をクローズアップし、それに対してアンチさながらの罵声を浴びせるのだ。

    罵声は、快感なのかもしれない。

    アンチとして罵声を浴びせたことは、私はないのだけれど、一定数、いつまで経ってもそういう人間が消えないということは、そのやっかみというか、卑屈な心、そして匿名という、自分が安全なところにいながら、人を傷つける。その快感。

    いや、よく分からない。

    自分を傷つけると、自分が傷つく。自分に対する罵声というのは、自分を陥れる…

    つまり自殺行為ということになるのかな、きっとそうだろう。

    深く考えると、身体に良くない領域に入る気がするのでこの辺で