8月27日 腹黒い私

私はそこまで歴史に詳しい人間ではなく、学校の勉強で習った程度、それプラス、旅行した時にはそのあたりを治めていた領主のことをWikipediaで調べる程度なのですが、ちょっと思い立ってNHK大河ドラマの「どうする家康」を毎回欠かさずに観るようにしています。

どうする家康、っていう言い方がまた、彼の優柔不断さを体現しているように感じるのですが、その家康も回を重ねるごとに逞しく、頼れる人に成長していく様が描かれていて、そこがとても良いです。

徳川家康について、私はあまり好印象を持っていませんでした。
というのも私は司馬遼太郎の関ヶ原をKindleで買って何度か読んでおり、あれは石田三成が主人公として描かれているから、どうしても徳川家康を悪役として考えてしまうところがあり。
小説の中では調略家として描かれているように思います。実際はどうだったのかは分かりませんが。

その、小説の中の家康をイメージしているところなので、どうする家康では主人公として描かれているから、どうしたってギャップが生まれてしまうのです。
そこは私の中の解釈として、どちらも正解であり、正解ではないという感覚で捉えているのですが、

人は見かけによらないよなぁということを常々考えています。どうする家康を観ながら。

裏表がない人、って言われると良いイメージとして伝わってきます。
裏表がない人というのは誰に対しても同じ態度、情熱で接するイメージがあり、分け隔てなく接する人=いい人、みたいなイメージが先行するのかな。
逆に言うと腹黒い、とかそういう意味になると思うんですが、こちらは悪いイメージになりますね。

では、腹黒いと言うことは、本当に悪いイメージなんでしょうか。
腹黒いと言うのは、ベースに「自分に優しい」と言うことがあるように思います。
なぜなら、自分が都合良くなるように物事を進めようとするわけで、それは自分が気持ちよくなりたいから、ということになるのかなと。
だから、自分にとってはいい人であるということになりますね。
自分にとって、良い人であるべきと言うのは、この世を滑らかに生きる人としては必要なことだと思います。
私だって常々、自分を肯定するのは自分しかいないと考えているので、つまり私も、腹黒い人と言えなくもないのかな、と。
表裏一体です。