8月24日 表現方法と私

自分の深層意識から生まれた感情のすべてラベルをつけられるほどのボキャブラリーを持ち合わせていない私は、だいたいのことに「ヤバい」とか「すげぇ」みたいな、少し前に言われてた「小並感」のような、表現方法しか持っていない。ような気がする。

私自身はそれを痛感しているので、だから、それを補うために日々、本を読んだり、ここでブログを書くことで、私なりの表現を勉強しているつもりだ。

だけどどうしたって勝てない相手というものがある。
芥川賞を取った作品を読んでいると、容易にぶち当たる。
みんなすげぇよ。よくもまぁこんなに綺麗に表現できるよ、みたいな。

私だってできる限り、自分の持っているボキャブラリーを最大限使い、表現してるんだけどなー。みたいな。

いや、けど、今持ってるもので戦うことだってできるんじゃないのかなー、とかね。考えちゃったりしてる。
自分は、自分の味方でいるべきだから、現在の自分を肯定してあげるスタンスになってあげないといけないんじゃないのかな、とか。

小説をずーっと書き続けているんですが、一向に終わる気配のないそれの持っていき方を考えているのと並行して上記のようなことを考えたりしている。
私なりの味、とでも言うのかな、そういうのもあるのかもしれないから、今以上に文章を変えなくても良いかなーとか思ったり。

ふらりふらりと文章を書いています。