6月28日 過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい

ふと昔の記憶を辿る。
駅から自宅まで歩いている間とか。
スマホとか、PCとか、テレビなどから離れてみて、さらに音楽からも離れる時間を作ると、私の場合は過去の出来事を思い返すことが多いように思う。
その出来事を掘り返し、出来事というのは良い思い出、悪い思い出、両方含めて様々な思いがあるものなどだったりするけれど、掘り返してあの行動は正しかったのか、今この状況でも同じ行動を起こすか、みたいな検証をしたりする。
検証したところであの日、あの時間に私が返ることはないから、ただの思考実験でしかないのだけれど、その行為自体が好きなんだろうなと思う。

だけど、それって後悔を生むことがある。
あの行動は正しくなかった、もっとこうすれば良かった、と思う時は危険で、今思えば正しくない行動だったんだけど、あの時はああするしかなかった、あれ以外に思いつかなかった、みたいに考えてしまう。
それって過去の自分を否定することにつながるだろう。
過去と他人は変えられないといろんなところで目にするけれど、この件はまさにそれで、変えられない過去に対してウジウジと悩んでしまう、そしてそのまま落ちる、みたいな典型的思考パターンだったりする。
私は日々変わっている。昔の価値観と、今の価値観は違う。
だからこそ、過去の検証自体はやってもいいけど、否定するのは違うよな、というのを忘れないようにしたい。
そうだよ、日々、私が成長している証として、過去の振り返りをする、というのは良いと思うんだよな。
自分は昨日までの自分よりも成長している、比較すべき対象として頭の中に存在しているのだから。